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ひと筋縄ではいかない「自責の念」の正体と攻略法

2024年11月9日

生きづらさ、苦しさを抱えて、生きてきた私。

「心軽やかな日々を送りたい」という執念にも近い願いのもと、自己探究を続けてきました。

そして、苦しさの根源に、「自責の念」があるということに気づいたものの、いやはや、そう簡単には解きほぐれなくて。

今回は、ひと筋縄ではいかない「自責の念」が三重構造になっていたことと、各々の特徴、正体、攻略法について、お伝えします。

 

ひと筋縄ではいかない「自責の念」が苦しさの根源

 

生きるのが苦しい。

 

高校生の頃から、そうした思いにさいなまれてきました。

 

それでも、何とか頑張っていたものの。

就職して2年目、人事異動になったことを機に、「私は会社の駒に過ぎないんだ」と痛感。

徐々に、精神的に追い込まれていきます。

 

人と話すことが、怖い。

周りのものが、別次元にあるみたいに、ぼんやりしている。

心の中が、ものすごく苦しい。

 

おそらく、解離性の症状が出ていたと思われますが、当時の私は知るよしもありません。

残念ながら、心療内科のクリニックでは、「通院するほど重症ではない」と言われて、おしまい。

 

心理学を学べば、自分の苦しさを解くカギが見つかるかもしれない!

 

そう思った私は、退職し、心理学科のある大学へ学士入学しました。

その後も、大学院で学び、心理カウンセラーとして働くようになってからも、自己探究を続けていったのです。

 

初めうちは、苦しさの原因が、母との関係にあると信じていました。

母は、出来の悪い私に腹を立て、気が済むまで罵倒するところがあったからです。

そのため、母に対する怒りがなくなったら、全て解決すると思っていました。

 

ところが、母への怒りがなくなっても、苦しさはなくなりません。

 

「心軽やかな日々を送りたい」という執念にも近い願いのもと、苦しさの原因を、とことん、とことん、探究してくと。

自分で自分を批判し、否定し、出来の悪さを嘆く、「自責の念」が、苦しさの根源にあることに気がつきました。

 

「自責の念」に対処していけば良い。

 

そう思ったものの、あり得ないほどに、頑強。

ちょっとやそっとでは、「自責の念」がなくらないのです。

 

それでも、あきらめずに、苦しさの根源を探究し続けていくと。

 

「自責の念」が三重構造になっていることに気づきました。

 

そりゃあ、三重構造なんて、スゴイものになっていたら、ひと筋縄ではいきませんわ~。

 

「自責の念」の仕組み(三重構造)とその攻略法

 

長年にわたる、悪戦苦闘、試行錯誤の末。

私自身の「自責の念」が、三重構造になっていることが分かりました。

その仕組みをひもとくにあたって、各々の特徴、正体、攻略法について、お伝えします。

 

指示と叱責を連発する「自責の念」

指示と叱責を連発する「自責の念」の特徴

私の母の言動や思考を取り入れたような存在です。

「自責の念」の三重構造のうち、一番上の階層にあたります。

 

目指すべき「理想の姿」があり、それに近づくよう指示を飛ばしまくる。

そして、ちょっとでもうまくいかない気配を感じると、叱責の嵐。

 

ただ、この「理想の姿」が、クセモノでして。

ひとことで言えば、「完璧な人間」なのですよ。

頭の回転が速く、気が利き、有能で、何事も的確にこなし、みなから好かれる。

 

私のような凡人が、「理想の姿=完璧な人間」になれるはずがないので、私の内側で、指示と叱責がやむことがありません。

 

たとえば、人と関わるときに、指示が次々と出されます。

  • 相手に対して、決して失礼があってはいけない。
  • 自分のほうから、相手に愛想よく話しかけ、相手から好かれないといけない。
  • 相手が興味をもつような、気持ちが楽しくなるような話題じゃないと、ダメ。
  • 相手には、ほんのちょっとでも、不快な思いをさせてはいけない。
  • 黙っていたら、相手を嫌な気持ちにさせてしまうから、すぐさま、気の利いたことを言わないといけない。

 

私が、どんな話題を出したらいいか、困っていると、容赦ない叱責が飛びかいます。

  • 気の利いたことの1つも言えないなんて、情けない。
  • 相手を不快な気持ちにさせるなんて、最低な人間がすること。
  • そんなだから、みんなに嫌われる。
  • ろくに会話もできない人間は、誰にも相手にされない。

 

最終的に、人と関わることが怖くなり、気がふさいでしまいます。

 

指示と叱責を連発する「自責の念」の正体

「認知・思考的フラッシュバック」でした。

 

精神科医である杉山登志朗先生によると。

「認知・思考的フラッシュバック」とは、心理的虐待を受けて育った子どもが、成人をした後も、何事かに取り組もうとすると、そのたびに、「どうせ自分はできない」「何をしても自分はダメな人間だ」という考えが浮かんでくる。

これもまた、虐待者に押しつけられた思考の再体験である。

 

つまり、私が何かに取り組もうとするたびに、母に押しつけられた思考が、反射的に再体験されていたのです。

 

※杉山登志郎(2021)「テキストブック TSプロトコールー子ども虐待と複雑性PTSDへの簡易処理技法ー」日本評論社

 

指示と叱責を連発する「自責の念」の攻略法

杉山登志朗先生が提案する「フラッシュバックを軽減させる治療法」の1つ、「手動処理」を試したところ。

「認知・思考的フラッシュバック」、つまり、指示と叱責を連発する「自責の念」が、ぴたりと消えました。

 

「手動処理」は、身体のいくつかの部位をタッピングするだけ。

フラッシュバックは、脳の過覚醒によって生じるので、タッピングによって、脳の神経回路を鎮めるようです。

 

※「認知・思考的フラッシュバック」、「手動処理」について、詳しくは、こちら。

 

出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」

出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の特徴

私の母の思考を取り入れてはいますが、もっと子どもじみた存在です。

「自責の念」の三重構造のうち、真ん中の階層にあたります。

前述した「手動処理」を行っても、自責の念が出てくる場合は、この存在のせい。

 

指示と叱責を連発する「自責の念」と同様、「理想の姿=完璧な人間」を目指しています。

しかも、周りの誰よりも秀でた「一流の人間」でなければ、納得しません。

「一流の人間」になれていない私に気づくと、激しく罵倒してきます。

 

考えてもみてください。

私のような凡人が、「一流の人間」になれるはずがないではありませんか。

そんな訳で、出来の悪い私を罵倒する声が、私の内側から、なくなることはありません。

 

たとえば、私が仕事でミスをすると。

  • 長年鍛錬を積んでも、使いものにならないようなポンコツは要らない!!
  • こんな使えないヤツは、死に絶えればいい!!
  • 世界中のみんなが私を許しても、私が私を絶対に許さない!!

 

とことん罵倒してくるため、心が折れてしまいます。

 

出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の正体

一流でありたい「内なる子ども(インナーチャイルド)」でした。

 

私のように、母から愛され、受け入れられたという体験に乏しい場合。

「母から認められたい。母に愛されたい」という執着が、「自分はスゴイ人になれる」という幼児的万能感(幼い子どもが、自分はスゴイと思っていること)と結びつき、「スゴイ人になれば、母から認められる」という考えに固まってしまいます。

 

しかも、私の場合、幼少期の環境から生まれた「母から認められなければ、死んでしまう」という考え(コア・ビリーフ)が根源にあるため、「スゴイ人になれない自分」を受け入れることが難しくなるんです。

幼い子どもにとって、親から見捨てられることは、命に関わる問題ですからね。

 

そのため、「スゴイ人になれない自分」「一流にはほど遠い自分」を目の当たりにすると。

もう、ガッカリして、腹が立って、やりきれなくて。

自分自身を罵倒せずにはいられないのです。

 

出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の攻略法

一番効果があった攻略法は、「感謝すること」

 

たとえば、一流でありたい「内なる子ども」が、仕事でミスをした私を罵倒しているとき。

その「内なる子ども」に、声をかけていきます。

 

  • 仕事でミスをした私を、叱咤激励してくれているんだね。
  • 一流になるよう頑張れ~って、鼓舞してくれているんだね。
  • いつも、私のことを気にかけていてくれているんだね。
  • いつも、私の幸せを願ってくれて、本当にありがとう。

 

不思議なもので、私の母がかけられたら喜びそうな言葉をかけると、静かになっていきます。

私の母が、私の幸せを願っていながら、罵倒して脅し、矯正する方法でしか、私に関われなかったことを暗示しているようです。

 

※出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の正体や、攻略法について、詳しくはこちら。


 

ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」

ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の特徴

ちょっとでもうまくいかないことや、不安なことがあると、うじうじと自己否定を始めます。

「自責の念」の三重構造のうち、一番下、根源の階層にあたります。

前述した一流でありたい「内なる子ども(インナーチャイルド)」の後ろに潜んでいる感じ。

 

他の2つの「自責の念」と同様、「理想の姿=完璧な人間」を目指しています。

そして、「人と比べて劣っている」ということに過敏です。

 

ちょっとしたことでも、「私はダメだ」と悲観し、自己否定の沼に沈んでいきます。

そこに、上述した2つの「自責の念」に責められることが加わると、お先真っ暗な状態に。

 

  • やっぱり私は要らない子。
  • 私はどんなに頑張ってもダメな子。
  • 私みたいな子は、この世に要らない。
  • 死んだほうがいい。

 

私の全身が、自己否定で打ちくだかれ、悲しみで覆い尽くされ、機能が停止状態になります。

最終的に、身動きができないほど、落ち込んでしまうのです。

 

ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の正体

「自分はダメな子」と信じ込んでいる「内なる子ども(インナーチャイルド)」でした。

 

おそらく、私が、3歳半~4歳半のころ。

母が父方祖父母と同居し、泣き暮らすほどツライ思いをしていたとき、私の中で生まれた「内なる子ども」です。

 

当時、母は、新しい生活に慣れず、嫁姑の問題に苦しみ、幼い私に構うゆとりがなかったのでしょう。

私は、母から見捨てられたように感じ、「私は要らない子」と思うようになったに違いありません。

 

その後、私が母の思い描く「良い子」にはほど遠かったことと、1歳年下の弟の出来が良かったことが、事態を悪化させていきます。

弟ばかりが褒められ、母に可愛がられる一方で、私は怒られ、母の気が済むまで罵倒される。

そうした環境のもと、「やっぱり私は要らない子」「私はどんなに頑張ってもダメな子」という信じ込みが、深く深く定着していったのです。

 

ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の攻略法

一番効果があった攻略法は、「優しい言葉をかけること」

 

「自分はダメな子」と信じ込んでいる「内なる子ども」が、嘆き悲しんでいるとき。

まず、気持ちに寄り添い、共感する言葉をかけていきます。

  • あんなに頑張ったのに、うまくいかなくて、ガッカリしちゃったね。
  • これから、大変なことになったらどうしようって、心配になっちゃうね。
  • 「やっぱり私は要らない子」「私はどんなに頑張ってもダメな子」って思うと、すっごく悲しくなっちゃうね。

 

次に、「内なる子ども」がかけてほしい言葉、切なる願いにふれるような言葉をかけていきます。

  • ママのお気に入りになりたくて、頑張っていたんだよね。
  • ママから、「なおちゃんのことが、世界で一番大好きよ」って言われたかったんだね。
  • ママの宝物になりたかったんだね。

 

「内なる子ども」の願いにふれるような言葉をかけると、涙がこぼれ、嘆き悲しみが鎮まっていきます。

 

※ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の正体や、優しい言葉をかけることについて、詳しくはこちら。


 

 

いずれにしても、「自責の念」の底辺には、「母から愛されたい」という、幼い私の切なる願いがあります。

攻略法に関しては、試行錯誤、悪戦苦闘の末、私に一番ピッタリくるものが見つかっただけ。

人それぞれ、ツボというか、ピタッとくるポイントは、違うはずですので、ご参考までに。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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