身体の各部位に感謝をすることで心も身体も健やかになる
「セルフ・コンパッション」とは、自分に優しい言葉をかけ、自分を大切にすることです。
その素晴らしさに感銘を受けても、自責の念が強すぎて、すんなりとは取り組めなかった私。
ところが、そんなに頑張らなくても取り組めて、心も身体も健やかになる、「セルフ・コンパッションもどき」の方法を見つけたことについて、お伝えします。
「セルフ・コンパッション」に憧れる
「セルフ・コンパッション」ができたら、心軽やかな日々が送れるはず。
クリスティーン・ネフ博士の著書「セルフ・コンパッション-あるがままの自分を受け入れる-」を読んだときに、感銘を受けました。
ちなみに、「セルフ・コンパッション」とは、直訳すれば、「自分自身に対する慈しみ」。
分かりやすく言えば、「自分自身に対して思いやりの気持ちをもって接すること」です(ネフ、2014、2021)。
たいていの人は、自分に対して自己批判的な言葉を投げかけます。
「自分を批判する」ほど強くなくても、思い通りに行動できない、結果を出せない自分にガッカリするとか、残念に思うとか。
そして、小さな自己批判を重ねるうちに、自分で自分の首を絞めるように、苦しい思いに支配されていくのです。
一方、「セルフ・コンパッション」が高まると、
心身が健やかな状態となり、やる気や自己成長、人間関係の改善にもつながり、生きることに深い喜びを感じることができる
というではありませんか。
ほぼ反射的に、自分自身に否定的な言葉を投げかけ、自分で自分の首を絞めてしまう私にとって。
「セルフ・コンパッション」は、天から降り注ぐ光、そして、憧れでした。
「セルフ・コンパッション」に取り組めない
クリスティーン・ネフ博士の著書を見ながら、自己批判をする代わりに、傷ついた自分を慰め、励ましの言葉をかけてみたところ。
自分で自分を慰めるなんて、浅ましい。
人から優しくしてもらえないダメ人間が、どうしようもないから、自分で自分を慰めてるって感じ。
そもそも、自分に慰められる価値があるなんて、思い上がるにもほどがある。
私の内側から、私を責めるような、けなすような声が、にじみ出てくるのです。
ネス博士の著書には、「自己憐憫の一種ではない」「身勝手さを美化した言葉ではない」と書かれているにも関わらず。
「セルフ・コンパッション」に取り組むほどに、自分を批判する声、責める声が大きくなり、次第に元気がなくなっていきます。
しまいには、意欲が失せ、「セルフ・コンパッション」には取り組まなくなってしまいました。
私は、幼いころから、母の思い通りにならないと罵倒され、厳しい言葉をかけられて育っています。
高校生以降、母の言動や思考を取り入れたかのように、私自身を責める言葉がとまりません。
物事に取り組もうとすると、「そんなことは無理。私になんて、できやしない」。
ちょっとでもうまくいかないことがあると、「どんなに頑張っても、どうせ失敗する。私がダメ人間だから」。
私のように、生い立ちの影響で、自責の念、つまり、自分を責める内なる声が強いタイプにとって。
「セルフ・コンパッション」は、自責の念に邪魔をされ、たやすく取り組むことができないのです。
身体に感謝をしてみたら心も身体も健やかになった
ところが、半年ほど前のある日。
トイレに入っているときに、ふと、思ったのです。
私の身体って、凄くない?
いつの間にか、腎臓は、血液中のいらないものをろ過して、尿にしている。
胃腸は、食べ物を消化・吸収し、いらないものを便にしている。
いやはや、ありがたいなあ。
そして、「様々な臓器が、私の意識が及ばないところで、せっせと働いている」ということに、気づきが広がっていきます。
ふと、そのときのことを思い出し、「身体に感謝する儀式」を行ってみることにしました。
トイレに入っているとき、お風呂に入っているとき、などに。
身体の各部位に手を当て、その働きに感謝する言葉をかけていくのです。
たとえば、心臓に対しては、心臓に手をあてて、心の中で声をかけていきます。
心臓さん。
24時間365日、ずっと働き続けて、全身に血液を送ってくれて、ありがとう。
あなたのお陰で、血液を通して、全身に栄養がいきわたっていくし、老廃物が回収されていくよ。
今日も一日、元気に動き回ることができたのは、あなたのお陰だよ。
そんな感じで、脳、目、耳、鼻、口、肺、臓器(胃、腸、肝臓、腎臓など)、手、足、骨、筋肉などなど。
身体の各部位の働きに関する、ちっぽけな知識をフル活用して、感謝の言葉をかけていくのです。
そして、2週間ほど続けただけなのですが、自分でもビックリするほど効果が得られました。
気持ちが穏やかになる。
気持ちがモヤっとして、元気がないときでも。
「身体に感謝する儀式」をひと通り終えると。
嫌な感覚がやわらぎ、心がすっと整ったような感じになるのです。
あんなにひどかった腹痛がなくなった。
大学生の頃から、激しい痛みをともなう腹痛に苦しんできました。
自己探究の末、「頭に血がのぼって、胃や腸まで血がめぐらない」と気づいたため、胃腸などの臓器への感謝に重点を置いてみたところ。
腹痛がなくなりました。
ウソみたいですが、とりあえず、効果があったので、続けています。
「身体の各部位に感謝する」だけなのに、心も身体も健やかになることに、私自身、ビックリ仰天です。
※自己探究の結果、腹痛の原因が分かったことについては、こちら。
「セルフ・コンパッションもどき」に取り組む際の工夫
思いつきで始めた「身体に感謝する儀式」。
こんな簡単な方法で、なぜ、心身が健やかな状態になったのか、考えてみました。
身体に感謝をすることが、「自分自身に対して、思いやりの気持ちをもって接すること」につながっていたのです。
つまり、身体に感謝をすることが、「セルフ・コンパッションもどき」になっていたとも言えます。
では、自責の念が強すぎて「セルフ・コンパッション」に取り組めない私でも、なぜ、身体だと気軽に感謝することができるのでしょうか。
考えてみると、母からダメ出しをされ、罵倒され、改善を強いられてきたのは、私の言動、性格、能力、在り方でした。
そのため、自責の念が発動するのは、私の言動、性格、能力、在り方に限定されています。
一方、身体の各部位の働きに関しては、母からケチをつけられたことがありません。
つまり、身体の各部位の働きは、自責の念の縄張りではないということ。
だから、身体の各部位の働きに、思いやりの気持ちをもって接しても、自責の念が発動しないのです。
一方、身体にまつわることについて、親から責められたという体験がある場合。
たとえば、身体が弱い、背が低い・高い、太りすぎ・痩せすぎ、容姿が悪い、などについて、厳しい言葉をかけられてきた経験があると。
「身体に感謝する儀式」には、すんなりとは取り組めません。
身体に意識を向けることで、傷ついた体験がよみがえり、ツライ気持ちになるからです。
人によっては、身体の各部位の働きに、思いやりの気持ちをもって接すると、自責の念やネガティブな感情が発動するかもしれません。
自分に優しい言葉をかけるときは、親などから叱責されることがなかった、自分自身の部分を探し出して取り組むことが大切です。
今回は、自責の念が強くても手軽に取り組める「セルフ・コンパッションもどき」、つまり、「身体の各部位の働きに感謝すること」について、お伝えしました。
実は、自責の念が強すぎる私でも、自責の念の正体を見極めるとともに攻略法に取り組み、傷ついた「内なる子ども」を探究していった末に、「セルフ・コンパッション」に取り組めるようになっています。
自分の言動、性格、能力、在り方について、優しい言葉をかけることができたほうが、効果は絶大。
でも、そこまでの気力と体力がないときは、自分の身体に優しい言葉をかけ、セルフケアをするという方法もありますよ。
※自責の念の正体と攻略法については、こちら。
※傷ついた「内なる子ども」をセルフケアする方法については、こちら。
※自分をチヤホヤするという「セルフ・コンパッション」については、こちら。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※参考文献
クリスティン・ネフ (著) 石村郁夫ほか(訳) (2021) セルフ・コンパッション[新訳版] 金剛出版
クリスティーン・ネス(著) 石村郁夫ほか(訳) (2014) セルフ・コンパッション-あるがままの自分を受け入れる- 金剛出版