心が激震に見舞われてつらくなったときに、そこから抜け出すヒケツ
ほんの些細なことで、心が激震に見舞われ、絶望的な気持ちになった私がいました。
頭では分かっているのに、手も足も出ない無力感。
そんなつらい状況にあるときに見出した、つらい状況から抜け出すヒケツについて、お伝えします。
心が激震に見舞われる
私は誰からも選ばれない!
参加していた研修会で3人グループを作り、ワークを行うことになったとき。
反射的に、「私と一緒にグループを組みたい人なんて、いるはずがない」と思ってしまいました。
そう思った途端、心が激震に見舞われます。
私と一緒にグループを組んでくれる人が出てきたのに、まるで、パンドラの箱を開けてしまったかのように、不安、猜疑心、怖れなど、ネガティブな感情が次々とわき出てくるのです。
一緒に組みたい人が他にいたのに、出遅れてしまった人が、私のところへやってきた。
私がポツンとしているのを、ふびんに思った人が、私のところへやってきた。
本来、私は誰からも選ばれない!
今度は、私が過去に他者から嫌われた場面、うとまれた場面が、走馬灯のように脳裏を駆けめぐります。
そして、自分を責め、否定する言葉が止まらなくなりました。
私みたいなダメな人間が、人から選ばれるはずがない。
誰にも選ばれない人間には、生きている価値がない。
自分を責め、否定する言葉が脳内にあふれると、地獄の業火で焼かれるような苦しさが、全身を走ります。
ですが、同じグループの人に迷惑をかけたくないという一心で、不安な気持ちをぐっと抑え込み、ワークをこなしていきました。
常軌を逸した心の在りようの背景にあるもの
そんな些細なことで心が激震に見舞われていたら、せちがらい世の中で生きていけないでしょう。
しっかりしなさい!
そんな声が聞こえてきそうです。
本当に、ごもっとも。
私も、自分自身の反応や心の在りようが、常軌を逸していることは分かっています。
頭では分かっているのに、些細な出来事で心に激震が走り、しかも、同じことを何度もくり返している自分自身を、誰よりもふがいなく思っているのです。
ですが、つらい思いをするときは、実は、自分を知る絶好の機会。
自分の課題が浮き彫りになるからです。
ほんの些細なことをきっかけに、心が激震に見舞われることが、何度もくり返される場合。
過去に、「トラウマ」と言えるような体験をしている可能性がある。
私自身、自己探究を重ねていくと、「私は選ばれない」と信じ込む背景に、母が兄弟間に作ったカーストがあることが分かってきました。
母が兄弟間に作ったカーストは、こんな感じ。
母のお気に入りである優秀な弟(1歳下)は、殿上人の扱い(1軍)。
末っ子の妹(9歳下)は、母に可愛がられ、平民の扱い(2軍)
母にうとまれていた私は、最下層の扱い(3軍以下)。
幼いころから、私だけ、母に怒られ、ののしられ、無視されることをくり返してきました。
母の思い通りにならない私を、母は、弟や妹と比較して、いかにダメな人間であるかをあげつらう。
私を怒鳴りつけ、無視する母が、弟や妹に接するときには、人が変わったように優しくなっている。
幼い私は、「私はダメな子、要らない子だから、母に選ばれなくても仕方がない」と信じ込み、悲しくて、やりきれない思いを抑え込んでいたのでしょう。
母の言動は、私が成長しても変わらず、「私は選ばれない」という信じ込みは、真実のように心の中に刻み込まれていきました。
そのため、「私は選ばれない」という出来事に触れると、幼少期以来、ためこんできた様々な思いや感情が噴き出し、どうしようもなくなるのです。
頭では分かっていても手も足も出ない私がいる
自己探究が進んでいくと、私にだけきつくあたった母にも、そうせざるを得ない過酷な生い立ちがあったこと、母なりに私を大切に思ってくれていたことが、腑に落ちてきます。
さらに、「私は要らない子」「私は選ばれない」と信じ込んでいるのは、私の心の中のごく一部、幼い頃の私自身であることも分かってきました。
それに加え、脳内を駆けめぐる自責の言葉、自己否定の言葉が、私の心を削る元凶だということも、分かっています。
母の思考や言動をそっくりそのまま移植したかのような存在が、私の中にいるのです。
そのため、私を責め、否定する部分に対処する方法を見出し、実践したところ、自責や自己否定がやわらぐことすら体験しています。
ほんの些細なことで、「私は選ばれない」が発動し、心に激震が走っても、対処することはできるはず。
それなのに、研修会の後、絶望的な気持ちに飲み込まれたまま、無力な私がそこにいます。
自責や自己否定に対処することなく、夜が更けても、ダラダラとスマホを見続ける私がいるのです。
そして、何もできずにいる自分を責め、否定する言葉が、脳内を駆けめぐっています。
こんなに時間をかけ、労力をかけ、努力を重ねて、自己探究をしても、私はダメな人間のまま。
ダメな人間は、何をやっても、ダメなまま。
代わり映えしない。
母の在りよう、自分の心の在りよう、自分がつらくなる元凶も、頭では分かっているのに。
手も足も出ない私がいました。
つらい思いから抜け出すヒケツ
頭ではいろいろ分かっているのに、手も足も出ない私がいる。
そのことにハタと気づき、ゆっくり深呼吸をして、心と身体を落ち着かせてから。
自分の心の中で起きていることに意識を向けてみました。
すると、2つの考えがあることに気づきます。
1つめ。
普通の人は、自責や自己否定が出てきても、特別な対処法なんかやらなくても大丈夫。
特別な対処法をしないとやっていけない私は、異常者だ。
2つめ。
はは~ん、私を責めるというか、ケチをつける部分が炎上して、身動きが取れなくなっているんだ。
冷静な部分(2つめ)があることに気づくと、ふっと無力な状態が薄れます。
その機に乗じて、私を責め、否定する部分に、特別な対処法を試みました。
すると、自責や自己否定がす~っとやわらいでいき、無事、入浴を経て、就寝することができたのです。
翌朝、目が覚めると、気分はスッキリ!
そこで、改めて気づきます。
些細なことで心が激震に見舞われて、つらい思いをしているのは、私の心の内側のほんの一部、幼い頃の私自身。
この年まで、しぶとく生きてきたんだから、着実に力をつけてきた部分、大人の私自身もいるはず。
つらい思いにさいなまれていても、自分の心に起きていることに意識を向けると、大人の自分自身とつながることができる。
大人の自分自身とつながれば、つらい思いから抜け出す糸口も見いだせる。
大人の自分自身とつながるためには、ゆっくり深呼吸をして、自分の心の内側に起きていることに意識を向け、「自分にケチをつける部分が炎上している」などと、起きていることに名前をつけていけば良いのです。
それが、心が激震に見舞われてつらくなった状態から抜け出すためのヒケツ。
大人の部分が立ち現れてきたら、「さて、何をすると良いかな」など、大人の部分に問いかけてみても良いかもしれません。
※自責や自己否定の正体と攻略法については、こちら。
※自責や自己否定は自分の一部に過ぎないと気づいたことについては、こちら。
些細なことで、心が激震に見舞われ、つらくなってしまったあなた。
ふ~っと息をはいてから、「私の心の内側では、何が起こっているのかな?」と、好奇心の目を向けてみましょう。
大人のあなた自身が立ち現れてきて、あなたを助けてくれますよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。