子どもの遊び心で小さなころの嫌な記憶を書き換える
小さなころの嫌な思い出って、ありますよね。
そんな嫌な記憶が、子どもの遊び心を用いたイメージワークで書き換わりました。
私の体験を交えて、お伝えします。
保育園には「オニババ」がいた
秋になるころ、産休代替として、クラスの担任になった女性の園長先生。
保育園の年中さんだった私は、心の中で「オニババ」と呼んでいました。
メガネをかけていて、髪の毛は、ツノをとった鬼の頭のような、クルクルパーマ。
笑うと金歯がギラリと光る。
見るからに「オニババ」でした。
ですが、見た目というより、園児たちへの接し方が、まさに「鬼」だったのです。
ある日、保育園に野良犬が迷い込んだときのこと。
私たちは、犬を追いかけたり、犬に追いかけられたりしながら、キャーキャー大騒ぎ。
あまりに騒いでいたので、チャイムが鳴ったことに気づきませんでした。
ふと、教室のほうを見ると、教室の窓から、「オニババ」が仁王立ちする姿が見えるではありませんか。
「なおちゃん、こっち」
友だちが、教室の後ろのドアから、こっそり手招きをしてくれました。
私が、「オニババ」の目を盗んで教室へすべり込み、さっとイスに座ると、目の前に驚愕の光景が!
なんと、教室の前のドアから入ってきた園児たち数名が、テーブルの上に正座をさせられている。
そのうえ、「オニババ」から強要され、「遅れてすみませんでした」と、泣きながら土下座をしている。
本来だったら、私も、あそこで、土下座をしていたはず。
まぬがれた、という安堵と、申し訳ない、という罪悪感。
いずれにしても、4歳の私にとっては、ものすごく恐ろしい体験でした。
母は取り合ってくれない
いつ、なんどき、「オニババ」の餌食になるか。
4歳の私は、保育園に行くのが恐ろしくてしかたがありませんでした。
「オニババ」が話しているとき、口笛を吹いたA君が、手足をしばられ、寒風吹きすさぶ園庭に放置されたこともありました。
家で「オニババ」の所業を話し、「保育園に行きたくない」と泣きますが、母は取り合ってくれません。
「ガマンしなさい」と言うばかり。
毎朝、母に引きずられるようにして、園バスの乗り場まで連れて行かれます。
園バスのドアが開き、金歯が光る「オニババ」の笑顔が見えた瞬間。
地獄へのとびらが開くような、絶望的な気持ちになりました。
当時、母は、食費を稼ぐため、そして、同居している舅や姑(父方祖父母)から距離を取るため、勤めに出ていました。
今の時代であれば、「夫婦共働きで、こどもを保育園へ預ける」というのは、ありふれた光景です。
ですが、私が幼かった当時。
普通の家庭は、母親が専業主婦で、子どもは幼稚園に預ける。
一方、経済的に厳しい家庭や心無い親は、共働きをしていて、子どもを保育園へ預ける。
そんな風潮がありました。
プライドの高い母にとっては、子どもたちを保育園に入れるだけでも屈辱だったのに、長女である私が保育園へ行き渋る。
私より1歳下の弟は、文句も言わずに、保育園へ通っているのに。
母は、こうして、私に対する不快感を募らせていくのでしょうね。
しかも、当時は、「先生さま」の言うことに従うご時世で、先生方に物申す保護者はいませんでした。
「オニババ」の所業が、現代であれば、幼児虐待とか、パワハラと言われて、然るべきものであっても。
まあ、当時の反動が、ハラスメントに厳しい、今の社会につながっているのかもしれませんけどね。
4歳の私は、母に取り合ってもらえないうえ、母から「面倒な子」といった扱いを受ける日々。
「オニババ」の独裁政権のもと、ひたすらに耐えるしかありませんでした。
イメージワークで「オニババ」を成敗する
「ハコミセラピー」で、「子どものときにつらかった体験」について取り上げたとき。
「オニババ」との思い出が、ありありとよみがえってきました。
「ハコミセラピー」では、「マインドフルネス」の状態になり、ワークを進めていきます。
ゆっくりと深呼吸をしながら、目を閉じ、今、自分に起きていることに意識を向けていくというのが、「マインドフルネス」の状態(瞑想状態)。
「マインドフルネス」の状態で、保育園時代の「オニババ」にまつわるエピソードを思い出していく。
すると、「オニババ」の顔、光る金歯が、鮮明な映像を見ているかのようにイメージされていきます。
もちろん、「オニババ」の悪行の数々も。
4歳だった私、なおちゃんの感情もよみがえります。
「オニババ」がコワイ。
「オニババ」がいる保育園がキライ。
でも、ママが困るから、保育園に行かないといけない。
セラピスト役の人が、なおちゃんの感情に共感してくれると、恐れが和らいでいきます。
なおちゃんがしてほしいこと、あるかな?
セラピスト役の人が声をかけると、なおちゃんから、やりたいことがあふれ出てきます。
立てた丸太に「オニババ」をくくりつけ、火あぶりの刑に処す。
「オニババ」が、「熱い!熱い!助けて!」と泣き叫ぶ。
なおちゃんは、「オニババ」に指をさし、「みんなに謝れ!」と命令する。
「オニババ」は、「みんなに恐い思いをさせて、ごめんなさい」と謝る。
でも、なおちゃんは、許さない。
インディアンのような服装になり、「オニババ」の周りを踊りながら移動する。
「オニババ、死ね死ね。オニババ、死ね死ね」と歌いながら。
そして、そのイメージの中に、「ハコミセラピー」の仲間にも加わってもらう。
みんなで、インディアンの服装になり、「オニババ、死ね死ね」と陽気に歌いながら、踊り、めぐる。
なおちゃんのイメージは、ギャグマンガの世界のような感じ。
「オニババ」は、「熱い!熱い!」と大騒ぎするけれど、燃えることはありません。
なおちゃんと仲間たちは、「オニババ」を成敗する儀式を楽しむだけ。
子どもの遊び心を開放するようなイメージワークを通して、なおちゃん、つまり、小さな私の恐れが消えていきました。
嫌な記憶が書き換わる
「ハコミセラピー」の面白いところは、自分の中の小さな子どもが願っている形で、必要なものが得られること。
子どもの遊び心が解放されると、楽しい気持ちになれるし、子どもも満足。
しかも、イメージワークを使えば、可能性は無限大。
偉い人が園長先生を叱りつける。
みんなで園長先生をボコボコにする。
園長先生を魔法でキノコに変えてしまう、など。
どんな方法でもOK。
誰かから与えられたものではなく、子どもの中から生まれたやり方であるため、子どもの納得感がハンパありません。
私も、小さな私なりの方法で、「オニババ」を成敗する儀式を行ったところ。
保育園のときのことを思い出しても、痛みや恐れは感じなくなりました。
逆に、成敗される「オニババ」の周りを、歌い、踊りながら、楽しそうにめぐっている小さな私が思い浮かびます。
耐えるだけだった、恐ろしい記憶。
そんな嫌な記憶が、「悪いオニババが現れても、成敗できる」という心強い記憶に書き換えられたのです。
過去の不快な思い出であっても、書き換えることができ、自分の中に収めることができる、ということ。
私は、身をもって体験しました。
ただし、私と母のように、もつれた関係性だと、一度や二度のイメージワークで、過去の記憶が書き換わることはありませんでした。
それでも、「ハコミセラピー」のワークを重ねていくと、少しずつ、少しずつ、母や過去に対する印象が変わっていきました。
「雨だれ石をうがつ」ですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※私が母に対して、「雨だれ石をうがつ」ように、自分を解きほぐしていった経緯は、こちら。