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恵まれているのに「居場所がない」と感じるには訳がある

2024年7月4日

「居場所がない」と感じて、つらくて仕方がないのだけれど、傍から見れば恵まれている。

頭では分かっているのだけれど、どうしても「居場所がない」という感じから抜け出せない。

そんな私自身の内面を探究し、「居場所がない」と感じる訳を探ってみました。

 

「居場所がない」と感じてしまう私

 

仕事で大きなミスをしでかして以来、気分の落ち込みが続きました。

 

スクールカウンセラーとして働いている私にとって、保護者からクレームが入るのは、なかなかに大事です。

管理職(副校長)、学年主任から、聞き取りをされる事態となりました。

勤務校の教職員たちが、よそよそしくなったように感じられます。

 

ついに、「能力がない人」と認定されてしまったんだ。

みんな、大人だから、表面上は、私とそれなりに関わってくれるけど。

心の中では、「早く辞めちまえ」ぐらいに思っているんだろうな。

ここに、私の居場所はない。

 

針のむしろに座るような心持ちで、仕事をこなしていきました。

 

家で、夫に相談してみようと思ったのですが、夫は例のごとく、自分の話を一方的にするばかり。

私が疲れていても、私が家事をやるのは当たり前。

夫も、息子も、私を助けてくれません。

 

親しい仲間と過ごしていても、私より大変な思いを抱えている人はたくさんいます。

私より苦しんでいる人が話を始めれば、私の出る幕はありません。

私一人で、ポツンと取り残されたような心境になっていきます。

 

家では、結局は、都合よく使われる家政婦に過ぎない。

親しい仲間も、心の底から私を心配してくれることはない。

この世界のどこにも、私の居場所がない。

 

恵まれた環境にいるのに

 

冷静になると、私自身がいかに恵まれた環境にあるかが分かってきます。

 

勤務校で、私の責任を追及する人は、誰一人としていませんでした。

あんなに大きなミスをやらかしたのに、担任、学年主任がフォローしてくれ、事なきを得たのです。

副校長も、「藤野さんのせいじゃないですよ」と、優しい声をかけてくださる。

しかも、しょんぼりしている私を見かねて、旅行先でお土産まで買ってきてくださいました。

 

家で、夫が私の話を聞いてくれないのは、持って生まれた発達凸凹のため。

夫自身は、愛犬ポチのように、私にまとわりついてきます。

息子も、高校3年生というお年頃なので、私とあまり関わりたがらないだけ。

二人とも、母の日、私の誕生日に、プレゼントを贈ってくれます。

 

親しい仲間は、私に対して、普通に温かく接してくれている。

私を仲間外れにする人なんて、誰もいません。

 

周りの人が、私を受け入れてくれる、とても恵まれた環境。

「居場所がない」と感じるなんて、ぜいたくにもほどがある。

この世には、本当に居場所がなくて、苦しんでいる人が大勢いるのに。

 

ワガママな自分が、ほとほと嫌になります。

でも、「居場所がない」という感じから抜け出すことができません。

自分で自分を持て余し、自暴自棄な気分になっていくばかり。

 

自分の身体をいたわる気にもなれず、風邪をこじらせ、腰痛まで発症。

文字通り、心身ともに弱り果ててしまいました。

 

「居場所がない」と感じてしまう理由

 

苦しい思いにさいなまれ、自分では対処しきれないと判断した私。

ハコミ公認トレーナーである阿部優美さんの個人セッションを受けることにしました。

 

個人セッションは、「ハコミセラピー」の手法を用いて行われます。

ちなみに、「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。

 

私は、仕事でミスをした後、心身ともに弱り果ててしまったことなどを話します。

 

優美さんが、「今、自分に起きていることを感じてみて」と言うのを機に。

私は、ゆっくりと深呼吸をしながら、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくという、「マインドフルネス」の状態になります。

 

身体全体が、やりきれないほどの悲しさで満ちている。

一方、身体のあちこちから、自分を責める声が飛んでくる。

 

そんなことを報告すると、優美さんが私に声をかけます。

「居場所がない」とは伝えていないのに、何かを感じ取ったようです。

 

あなたが、一人ぼっちになっている気がするんだよね。

ちょっと、実験をしてみようかと思うんだけど、いいかな。

ゆっくりと目を開けて、私のほうを見てくれる?

 

ちなみに、「ハコミセラピー」の実験、とは。

セラピストが、言葉、身体、イメージなどを使った働きかけを行い、クライエントの反応から、クライエントの無意識にあるものを明らかにすることを言います。

 

私が、ゆっくりと目を開けると、向かいに座っている優美さんが目に入る。

優美さんは、右手を私のほうにさし出した状態で、「あなたを歓迎するよ。こっちにおいで」と言い、優しい笑顔。

その瞬間。

 

私には、その資格がない!!

手を伸ばしてはいけない!!

 

鋭い声が、私の中に響き渡り、後ろに身を引きたくなりました。

 

私の居場所を用意してくれたとしても、私には、その場にいる資格がない。

 

私は、ようやく、「居場所がない」と感じてしまう理由があることに気がつきました。

 

※「ハコミセラピー」の個人セッションを通して、自分を責める声の正体に気づいたことについては、こちら。

 

居場所のなさは自分の思い込みが原因だった

 

私の居場所を用意してくれたとしても、私には、その場にいる資格がない。

 

それは、私にとって、とても馴染み深い感覚でした。

 

対人恐怖に苦しみ始めた20代半ば以降。

「私自身から嫌な雰囲気が漂っていて、一緒にいる人を不快にする」と、思い込んでいました。

 

だから、人の輪に入っていくことには、かなり及び腰で、うまく言い訳をして、避けてしまう。

人と関わるときは、相手が不快な思いをするのではないかと、気が気でない。

緊張のあまり、挙動不審になるし、声もうわずって、うまく言葉が出ない。

 

40代で「ハコミセラピー」の研修会に参加したときも、そうでした。

「ハコミセラピー」では、気持ちが高まったとき、お互いにハグをしあう慣習があるのですが、私はハグが大の苦手。

「私自身がけがれている」という感覚がぬぐえず、触れた人にケガレを移してしまうような気がしていたのです。

 

私自身がけがらわしい存在で、近くにいる人、触れる人に、不快な思いをさせる。

私に関わってくれる人は、私のケガレをものともしない人格者か、ツワモノだけ。

 

この思い込みは、幼いころから、私の母が私の存在を否定するような言動をくり返し、私が自分自身を「ダメな子」と思い込むようになったために生まれています。

「ハコミセラピー」を学び、体験を重ね、徐々に自分を受け入れるようになってはきたものの。

 

無意識の底に、「私はけがらわしい存在だから、人の輪に入ってはいけない」という考えが刻み込まれている。

 

仕事で大きなミスをしでかしたことをきっかけに。

自分を責める内なる声が大きくなり、自分を受け入れるポジティブな部分が弱り果て、古い在り方が前面に出てきたのです。

 

「居場所がない」のではない。

居場所が用意されていても、「けがれた存在である自分には、その場にいる資格がない」と思い込み、心を閉ざしていただけだった。

 

恵まれているのに「居場所がない」と感じてしまうのは、自分に対するネガティブな思い込みが原因でした。

 

 

「ハコミセラピー」の個人セッションのお陰で、ちょっとだけ心にゆとりが生まれた後。

「居場所がない」という感じを探っていくと、「一人ぼっち」の感じに行きつきました。

その「一人ぼっち」の感じに、じっくりと付きあっていくと。

「居場所がない」「一人ぼっち」という感じを一掃する、面白い解決策に至りました。

 

宜しければ、こちらも、お目通しくださいね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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