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父の愛は「施し」ではなかった【私が自分を生きるまで⑱】

2024年2月13日

母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

母との関係ばかりに気を取られていた私ですが、父からの愛情に気づく機会を得ました。

 

父から愛されているとは思えなかった

 

父は、とても優しい人でした。

父に怒られたことは、3回しかありません。

 

小学生だった私が、弟の背中を蹴り倒したとき。

中学生だった私が、父方の祖父母を罵倒したとき。

高校生だった私が、家に来たお客さんに無礼なことを言ったとき。

 

振り返って驚きました。

父が大切に思っている人が傷つけられたときに、父は怒ったのです。

 

私なんて、自分が傷ついたことで、私の息子を数えきれないほど怒っています。

いやはや、父の凄さに驚嘆するばかり。

 

私自身、父が愛情深い人であるということは、よ~く分かっていました。

でも、私は、「父から愛されている」と感じることができませんでした。

 

父は人徳者だから、私のようなダメ人間でも、愛情を注げる。

 

父の愛情は、徳のある人からの「施し」としか思えなかったのです。

 

父に思いをめぐらす

 

2022年5月。

私が所属している「ハコミセラピーの団体(JHEN)」で、スペシャル企画ワークショップが行われました。

カナダ人のシニアトレーナー、ジョージア・マービンさんをゲスト講師に迎えてのワークショップ。

テーマは、「人間関係が楽になる~マインドフルネスのさらなる可能性~」でした。

 

「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。

「マインドフルネス」とは、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくことです。

 

そのワークショップの中で、「感謝を感じている人に思いをめぐらす」というエクササイズがありました。

 

私の中に、ふと、浮かんだのが、父のこと。

父が私にしてくれたことが、1つ1つ思い出されます。

 

小学校低学年のとき、子ども部屋をもらった私は、夜になるとすごく怖くて、眠れなかった。

「お腹が痛い」とウソをついて、両親の寝室へ行くと、父はすぐ目を覚まし、「大丈夫か」と自分の布団に入れてくれた。

冷えきった足を父のお腹に乗せると、ほんとに温かくて、安心して、朝までぐっすり眠れた。

 

小学校高学年のとき、家族でスキーに行き、上級者ゲレンデで動けなくなった私。

父は、私をおんぶして、下まで降ろしてくれた。

スキーが上手ではない父は、途中で、何度も何度も転びながら。

私が、考えなしに上級者ゲレンデへ行ったことは、一切とがめなかった。

 

私の結婚に猛反対し、「結婚するなら、今までナオミにかけたお金を全額返せ!」と、怒り狂った母。

私が預金通帳を持って帰省したら、父は「通帳を持ってきたことは、知らなかったことにする。ママに手紙を書きなさい」と提案してくれた。

父の提案に従い、謝罪と感謝を書き連ねた手紙を出したら、母は機嫌を直し、結婚式に参列。

父だって、花嫁の父として、花婿(夫)に文句の一つも言いたかっただろうに。

 

息子(父にとっては孫)が生まれると、毎月、私たちを訪ねてきた父。

「美味しいものを食べて栄養をつけろ」と、父が行きつけのお寿司屋さんに行くのが定番のコース。

父は、息子と遊園地に行ったり、サッカーの練習にも同行したり。

私は、うちのリビングで、父と他愛のないおしゃべりをするのが楽しみだった。

 

「ナオミは、バカでノロマで、肝心なときに役に立たない」と言って、母が亡くなったとき。

父は、「愚痴だと思え~」と慰めてくれた。

 

ようやく父の愛を知る

 

父とのエピソードを、ワークショップに参加していたメンバーに語ったあと。

マインドフルネスの状態になり、「感謝する相手にかけたい言葉」を探していきました。

すると、私の中でイメージが展開されます。

 

父のお腹にしがみついている、小さな私。

小さな私は、「パパ。私もパパが大好き」と言っている。

言いながら、父のお腹に、ギューッとしがみつく。

まるで、大きなトトロのお腹にしがみついているみたい。

 

私は、マインドフルネスの状態になり、改めて父に言葉をかけます。

パパ。私もパパが大好き。

 

父に声をかけると、小さな私と父の姿が、光の玉に覆われていきます。

温かい光に包まれていく。

父の愛を全身で感じることができました。

 

こんなにも愛情をかけてもらってきたのに、これまで全く気づかなかった。

父の愛を「施し」だと思っていたなんて。

無条件の愛って、こういうことなんだ。

ただただ、ありがたい。

 

涙が止まりませんでした。

私は、父の真の愛に気づき、満たされた思いのまま、しばらく時間を過ごしました。

 

父の愛に気づけなかったのは私のせい

 

父の愛情は、私が小さい頃から、私に注がれていました。

そのことに全く気づかなかったのは、私が「私は誰からも愛されない、ダメな人間」と信じ込んでいたからです。

 

でも、ここにきて、父の愛情を素直に受け入れることができたのは、母の激烈な愛情に気づいたことが影響しています。

母が、私には受けとめづらい、激しい形で、愛情を注いでくれていたことに気づいた結果。

「残念なところはいろいろあるけれど、私は愛されてもよい存在なのかもしれない」と思えるようになったのです。

つまり、「愛情を注がれる価値はない」と信じ込んで、自分を閉ざしていたフタが、パカッと開いたんですね。

 

さらに、母から否定的な言葉をかけられ、疎外されながらも、私が精神疾患などを発症することなく、しぶとく生きてきたこと。

父が愛情を注いでくれたお陰だということにも、改めて気づきました。

 

※母の激烈な愛情に気づいたという記事は、こちら。

 

 

このエクササイズを行った2か月後、父が亡くなりました。

父には、心を込めた恩返しをすることができませんでした。

でも、「パパ、ごめんね」と言うと、「気にすんな~」と父が笑っている気がします。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

続きはこちら。両親が天国で幸せに暮らしていると実感することで、両親の死を受け入れることができました。


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