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母が私を罵倒する言葉に隠れていた思いもよらない母の本音【私が自分を生きるまで㉗】

2025年1月7日

母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

私自身の悩みを探究していくと、私を罵倒する母の姿に行きつくのですが、そこには思いもよらない母のメッセージが隠されていました。

 

悩みの根源として展開された幼い私の心象風景

 

空一面を覆い尽くす黒い雲は、ところどころが稲光で光っており、雷鳴もとどろいている。

一人でポツンと立っている幼い私は、雷に恐れおののきながら、冷たい雨にぬれている。

 

「仕事が思い通りにいかない」という悩みを解決したいと思い、自己探究をしてみたところ。

最初に浮かんだのが、そんなイメージでした。

「何のこと?」と思われるでしょうが、私には、ピンとくるものがありました。

 

これは、幼い私の心象風景を映像化したもの。

黒い雲は、母の機嫌の悪さ。

稲光は、母の怒り。

雷鳴は、母が私を罵倒する声。

冷たい雨は、母の冷たい態度。

 

残念ながら、幼い私は、私の母から見たら、出来の悪い子どもでした。

  • 保育園の先生が怖いから、保育園に行きたくないと泣く。
  • ピアノを習いたいとおねだりしておきながら、練習をさぼる。
  • 決められたお手伝いをせずに、ごまかす。
  • カマキリの卵をたくさん集めて放置し、春先に家中、子カマキリだらけにする。

 

私がいかにダメな人間であるか、母の気が済むまで罵倒されることが重なるうちに。

私の心の中に、「私はダメな人間」「私は要らない人間」ということが、刻み込まれていきました。

「自分を否定する自分」の出来上がりです。

 

「私はダメな人間」「私は要らない人間」などといった信じ込みは、「ビリーフ」とも言われており、「ビリーフ」が様々な物事の判断基準となります。

私の場合、傷つく、落ち込むなど、ネガティブな感情の源を探っていくと、「ビリーフ」を生み出すにいたった、私を罵倒する母の姿に行きつくのです。

 

幼い私が安心するイメージへと展開する

 

私が自己探究に用いたのは、「マインドフルネス」の状態を用いて、心と身体の両方に働きかけていく心理療法、「ハコミセラピー」です。

 

「ハコミセラピー」は、言葉を交わす心理療法より、無意識の深いところに手が届くため、問題解決の糸口が見えてきたり、自分が本当に求めているものが何であるかが分かってきたりします。

トラウマなどを癒すにも、自己探求を深めるにも、最適なツール!

 

私は、「ハコミセラピー」を学びつつ、自己探究を深めるために。

個人セッションでクライエント(相談者)になる機会を、ちょいちょい設けています。

 

クライエントになった私は、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていく「マインドフルネス」の状態になります。

そして、「マインドフルネス」の状態のまま、「仕事がうまくいかない、残念な状況」を思い出していくと、次第にイメージが浮かび上がってきたのです。

 

雷に恐れおののきながら、冷たい雨にぬれている幼い私(なおちゃん)。

 

浮かび上がってきたイメージを、セッション練習をしている相手(セラピスト役の仲間)に報告します。

相手が「なおちゃんのために、してあげられることはないかな」と、声をかけてくれると、イメージが展開していきました。

 

はるか遠くから、モフモフした巨大な羊の群れと、「ハコミセラピー」の仲間たちが、ものすごい勢いで押し寄せてきて、なおちゃんをスッポリと包んでくれる。

ぬれそぼったなおちゃんの身体は、モフモフした羊毛に包まれて乾いていき、ホカホカと温かくなっていく。

「ハコミセラピー」の仲間たちも、「一緒にいるよ~。大丈夫だよ~」と、声をかけてくれる。

幼い私は、安心感に包まれていく。

 

「ハコミセラピー」では、「マインドフルネス」の状態にとどまったまま、個人セッションがなされるため、無意識の中から意外な発想が出てきます。

私の場合、奇抜な発想が多いのですが、自分から出てきたものなので、しっくりくるんです。

 

思いもよらない母の本音が吐露される

 

「ハコミセラピー」の個人セッションは、さらに展開していきます。

 

安心した幼い私(なおちゃん)が、空を見上げると。

空一面を覆い尽くしていた黒い雲は、母の顔に変わっていきます。

それも、なおちゃんを憎々しげににらみつける、母の巨大な顔。

 

なおちゃんを罵倒する言葉が飛び出すか、と思いきや。

母の口から出てきたのは、思いもよらない言葉でした。

 

ママは苦しい!

ママはつらい!

なおちゃん、助けて!

 

大人の私は、そのイメージを見て、ハッとします。

 

母は、苦しくて、つらくて、行き場のない気持ちを、私にぶつけていたんだ。

傍から見れば、私を罵倒する言葉だったけど、本当は助けを求めていたんだ。

 

思えば、母は、なかなかに厳しい生い立ちの中を生き抜いてきた人。

そのうえ、高校卒業後に就職した職場では、いじめにあう。

21歳で結婚したものの、義父母(父方祖父母)との同居や親戚との付き合いで、心身をすり減らす。

親孝行な父は、実の親(父方祖父母)の肩をもち、孤独感にさいなまれる若い母。

 

母が私を罵倒する言葉には、母の本音、つまり、苦しみが隠されていたのです。

 

これまで、私を罵倒し、踏みにじる、怖ろしい母の印象が、どうしてもぬぐえなかったのですが。

秘められた苦しい思いを吐露するかのように、口からドロドロした汚物を吐き出している母のイメージを見ていると。

母がかわいそうになってきました。

 

ふと気づくと、イメージの中で、母は小さな女の子の姿に変わり、立ち尽くして泣いています。

それを見たなおちゃんは、「きいちゃん(母の名前)、こっちにおいで」と声をかけ、モフモフした巨大な羊の中に誘いました。

なおちゃんと幼い母は、モフモフした巨大な羊に包まれ、暖かさを味わいます。

 

そのイメージの中に、大人の私や「ハコミセラピー」の仲間たちも加わり、みんなで幼い母(きいちゃん)の頭や身体をなで、声をかけます。

 

きいちゃん、つらかったね。

きいちゃん、苦しかったね。

でも、もう安心しても大丈夫だよ。

きいちゃんと一緒にいるよ。

 

幼い母と幼い私の中に、何とも言えない安心感が広がり、個人セッションは終わりました。

 

苦しい思いを一人で受けとめきれなかった母

 

私の記憶を振り返ると、母は常に、母の気分を害する他の人たちのことを、くり返しくり返し、悪く言っていました。

ですが、母は、母の気分を害する他者に、直接、苦情を言うことはありませんでした。

「つらい。苦しい。悲しい」などといった思いをもらすこともありませんでした。

 

母は、自分の気分を害した当事者に本音をぶつけることも、誰かに本音をもらすこともできず。

ひたすらに悪口を言ったり、近しい相手(私)に八つ当たりしたりすることで、憂さを晴らしていたのです。

 

私は、無意識下で、そのことを理解しており、時機を見て、イメージとして表出されてきたのでしょう。

 

母が八つ当たりする原因は、自分で自分自身の苦しい思いを受けとめきれないから。

特に、「孤独感」が強まると、自分一人で苦しい思いに向き合うなんて、至難の業です。

だから、自分の本音に気づけず、表現することもできず、八つ当たりするしかなかったのでしょう。

 

母の「孤独感」をやわらげてくれる存在が、母の傍にいてくれたら。

母が、私を罵倒する代わりに、「つらい。苦しい」と本音を伝えてくれたら。

幼い私も、母の言葉を受けとめやすかったし、ここまで自己否定が強くならなかったのになあ。

 

そんな風に思いつつ、母に対するこだわりが、また1つ、解けた気がしました。

 

 

母が私を罵倒する言葉には、母のつらい思いや苦しさが隠されていました。

それが分かると、不思議と、自分が誇らしく思えてきます。

「母に罵倒されるダメな子」から、「母の苦しさを受けとめるために選ばれし存在」に格上げされるような心持ちになるからです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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