ゴミ屋敷の中に亡き母の切なる願いが眠っていた【私が自分を生きるまで⑯】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
母が亡くなる直前、そして、亡くなった後に、ゴミ屋敷と化した実家を片づけていた私。
思いがけず、母の「切なる願い」を知ることになります。
ゴミ屋敷の片づけ
壮絶な状態だった実家
「うわあああ!!!」
不覚にも、大声で叫んでしまいました。
実家の一室を開けたら、むせ返るような甘ったるいニオイ。
ものすごい数の小バエの乱舞。
思わず、ドアを閉めました。
もともと病弱な妹は、真っ青な顔をして、今にも倒れそうです。
あまりにも壮絶な状態に、私も心をくじかれたのですが、何もしない訳にはいきません。
病院から自宅へ戻ってくる母のために、部屋を片づけなければいけないのです。
とりあえず、近所の薬局へ行き、小バエに効く殺虫剤を購入。
意を決してドアを開け、部屋に踏み込むと、ガンマンのように殺虫剤を散布。
殺虫剤の缶が空っぽになったら、すかさず、部屋の外へ撤退。
しばらくして部屋へ戻ると、小バエは全て落下。
よしよし。
むせ返るような甘ったるいニオイの正体は、腐り果てて黒い水と化したバナナでした。
袋に入っていたから、まだ良かった。
私は、部屋に点在する7~8房分の液体バナナを回収し、廃棄。
袋からもれ出た液体に寄生していた幼虫たちが、床でうねうねしていたので、手作業で駆除。
小バエも、掃除機でさっと吸い取る。
小バエにまつわるトラブルは、すべて私一人で対処しました。
小バエ問題が解決しても、部屋の中はゴミ、いえ、物が山積みになっています。
床には、獣道のような細い隙間が、かろうじてあるだけ。
「ゴミ屋敷」を身体で理解するという感じ。
ここ数年の母の精神状態が反映されているようです。
母のおびえや不安を全身で感じながら、妹と二人で、1日半。
汗だくになって、1部屋だけ、何とか片づけて、母を迎える準備を整えました。
ゴミ屋敷を片づけた理由
母は、徐々に身体が弱っていく父の介護を、1年半ほど、一人で担っていました。
「あんたたちには、苦労をかけたくない!」。
そう言い張る母は、私や弟、妹が手伝いに行くことを、頑なに拒み続けました。
母は、必死の思いで探した介護施設に、父を入所させた数日後。
かねてからの体調不良を診てもらおうと、病院を訪れました。
ところが、「すぐ入院」と主治医から言われ、自宅へは戻れませんでした。
そのため、生協で注文した大量のバナナを、真夏の室内に放置せざるを得ず、あの惨劇が生まれたのです。
母が入院して2週間が経った頃。
私たち兄弟、叔母夫婦が病院に呼ばれ、母が末期ガンであると告げられました。
余命は、もって数か月。
私から、「母に告知するなら、せめて母に希望を持たせてほしい」とお願いしました。
主治医が、母に病名を告げると、「手術をしたい」と言う母。
主治医は、「自宅へ戻って静養して、元気になったら手術をしましょう」と伝えてくれました。
退院後の過ごし方について、ワーカーさんと打合せをした後、私は東京へ戻りました。
夫と息子に、「しばらく実家に帰る」と伝える。
職場で事情を説明して、休みをもらう。
さまざまな準備を整えて、1週間後。
また、帰省しました。
そして、鬼神のごとく、部屋の片づけを行ったのです。
「魔窟」を片づける
母が亡くなるまで
とりあえず1室を整えた私と妹が病院へ向かうと、母は見る影もないほどゲッソリしていました。
1週間前には「病院食がまずくて、食べられたもんじゃない!」と吠えていた母が、別人のように小さな声しか出せません。
自宅へ戻っても、豆腐しか口にできず、2日後には、高熱が出てグッタリ。
電話で呼んだ訪問看護師が、「再入院」と判断し、救急車で病院へ戻りました。
その後、母の病状はどんどん悪くなるばかり。
再入院から1週間も経たないうちに、息を引き取りました。
遠方に住んでおり、ようやく休みをとって駆けつけた弟に、自分の死後のことについて伝えると、安心したかのように。
ただ、母の最期の言葉は、私の胸をえぐりました。
なんせ、「ナオミは、バカで、のろまで、肝心なときに役に立たない」ですから……。
心の傷は深く、血が流れ出る感じでしたが、必死に止血して、現実に対処していきます。
※母の最期の言葉に傷つきながら、心を整えていった記事は、こちら。
母が亡くなってから
母が亡くなったあとは、さまざまな手続きに追われました。
葬儀、お墓作り、納骨、介護施設に入った父の対応、確定申告、相続などなど。
母の葬儀後は、2週間ほど、実家に滞在しました。
翌月からは、各地で暮らす兄弟三人が、月1回、実家に集まり、協力して作業にいそしみます。
弟は、書類などの作成。
妹は、その補佐。
私は、ゴミ屋敷と化した実家の片づけ。
妹は、「私は怖くて魔窟には入れない」と言い、物が山積している部屋を「魔窟」呼ばわりします。
そもそも、私が結婚して以来、母は「散らかっているから」と言い、実家には招いてくれませんでした。
なので、私が実家へ足を踏み入れたのは、実に14~15年ぶり。
弟も妹も、同じような状況でした。
父が元気だった頃。
東京にある私の家に泊まりにきた父が、「家が汚くて、足の踏み場がない」とこぼしていました。
父の言う通り、本当に足の踏み場がありません。
あっても、床に獣道の状態。
まさか、実家が本当に「魔窟」と化していたとは……。
初めのうちは「片づけマシーン」となった私が、ガシガシと「魔窟」の片づけをこなしていきました。
感情は全くなく、スピード重視。
だって、そうでもしないと、気持ちが持たない。
「魔窟」には「秘宝」が眠っていた
「魔窟」に積まれた物を、ひたすらに片づけていったとき。
ふと気づきます。
収納ボックスがいっぱい買ってある。
母は、物を整理して片づけたかったんだ。
掃除道具がいっぱい買ってある。
母は、汚い部屋をキレイにしたかったんだ。
洗濯洗剤や漂白剤、物干しがいっぱい買ってある。
汚れた服が山積みになってるけど、母は、キレイに洗濯したかったんだ。
父の洋服がいっぱい買ってある。
母は、父のことを大切に思っていたんだ。
野菜ジュースや健康食品がいっぱい買ってある。
母は、父と一緒に健康に暮らしたかったんだ。
可愛い小物がいっぱい買ってある。
母は可愛いものが好きだったからなあ。
可愛いものを見て、ほっこりしたかったんだ。
ああ、ああ、母は幸せに生きたかったんだ!
幸せになりたくて、いっぱい物を買ったけど、ツライ気持ちが埋まらなかったんだ!
だから、次々と物を買って、積んでいったんだ!
「魔窟」は悪魔が住む場所ではなく、幸せになりたかった母の叶わぬ願いが詰まった「秘宝」が眠る場所でした。
その後は、母の思いを1つ1つ供養するように片づけをしました。
片づけは、もはや苦ではなく、母の思いに触れる貴重な時間となりました。
物には、人の思いや願いが込められています。
一見、ゴミのように見える物たちに、母の切なる願いがこめられていることを、母の死後に知った私。
母が生きているうちに、母の思いを共有したかったなあ。
まあ、私の母の場合、プライドが超高いので、汚い部屋は、絶対、私には見せなかっただろうなあ、とは思いますけどね。
今回は、母が亡くなる前後の出来事をつづりました。
深く傷ついた心の内面を整える作業と並行して、現実からポジティブなものを受け取るという体験でした。
さまざまな体験が、1つ1つ、私の糧となっていきます。
続きはこちら。母の愛を実感することができました。
※今回の記事は、天狼院書店のメディアグランプリに掲載された文章を、加筆修正したものです。