自分の全てとつながると自責の念は通知に過ぎないと気づく【私が自分を生きるまで㉖】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
苦しい思いをするのは、「私を責める内なる声(自責の念)」が原因だと気づき、自責の念をおさめるためのセルフケアに励んできました。
それでも、自責の念に振り回されることがあるので、正直、うんざり。
ところが、自分の全てとつながるという体験を経て、自責の念が単なる通知に過ぎないと気づき、気持ちが楽になったことについて、お伝えします。
自責の念が暴走し、心身ともに弱り果てる
幼い頃から、できが良い弟と比較され、罵倒されて、育ってきた私。
幼い私は、母のお気に入りになりたくて。
私を良い子に育てようと奮闘する母の在り様を、私自身の中に取り入れたようです。
そのため、ダメな私を責める存在が、私の中にできてしまいました。
ダメな私を叱咤激励する存在は、「より良い自分になりたい」という向上心を刺激します。
ですが、一方で、自責の念が発動すると、「私はダメな人間だ」と自身を内側から削ることになり、苦しくなってしまうのです。
そのため、自己探究を重ね、自責の念をおさめるセルフケアを見い出し、実践する日々を送っていました。
自分で言うのもおこがましいのですが、涙ぐましいほど、頑張っている私がいます。
それでも、仕事で分不相応な役割を与えられたことをきっかけに。
「能力がない」「情けない」などといった、自責の念が暴走する事態におちいりました。
無理がたたってか、休みの日は、使いものにならない。
頭が働かず、身体もだるくて動かない。
いやはや、母の影響が、これほどまでに根深いとは。
自責の念を含めたこだわりをさっさと手放し、解放されていく人が、羨ましくて仕方ありません。
心身ともに弱り果てた私は、困ったときの頼みの綱!
ハコミ公認トレーナーである阿部優美さんの個人セッションを受けることにしました。
※自責の念をおさめるセルフケアについては、こちら。
個人セッションで不思議なイメージが展開する
阿部優美さんの個人セッションは、「ハコミセラピー」の手法を用いて行われます。
ちなみに、「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。
私は、仕事で分不相応な役割を与えられ、能力に欠けた自分を責めてしまうことなどを話しました。
すると、優美さんが、私に声をかけます。
いろんなことが起きていても、ぶれずに、スッとそこにいるあなたを感じる。
今、自分に起きていることを、ただただ、そのまま、眺めてみて。
私は、ゆっくりと深呼吸をしながら、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくという、「マインドフルネス」の状態に。
そして、「マインドフルネス」の状態で、自分の身体に起きてくる感覚、わいてくるイメージに意識を向けていきます。
すると、次々と奇想天外なイメージが展開していった末に。
突然、私とは似ても似つかない姿をした、白っぽい男性が現れるではありませんか。
それなのに、直感的に「これは私だ」と思うのです。
(後から、この男性の姿をネットで検索したら、コルコバードのキリスト像に似ていました)。
その男性が、森の中にある泉にゆっくり沈んでいき、水中に浮かんでいる。
泉は、二人の大人が手をつないで、輪を作ったぐらいの大きさ。
でも、泉を横からの断面図で見ると、ツボのような形をしていて、地面の下のほうはもっと大きく広がっている。
私の心の内側にいる7人のキャラクター、そして、私自身が、白っぽい男性の後を追うように、泉に近づいていく。
ちなみに、私は、自分の心の在り様を、7人のキャラクターとして擬人化し、自己理解に用いています。
映画「インサイド・ヘッド」は、感情をキャラクター化していますが、私の場合、役割をキャラクター化している感じ。
私の心の内側にいるキャラクターは、以下の7人です。
私が常識から外れないよう指示を出す「タカハシさん」。
一流の人物になれない能力のない私を罵倒する「なおなお」。
私がダメな人間であることを嘆き悲しむ「きいちゃん」。
元気いっぱいで天真爛漫な「なおちゃん」。
知識や情報を集め、思索する「なおぞう君」。
敵を警戒しながら、実直に任務を遂行する「ソルジャーなお」。
ご縁に感謝し、大きな視点で物事を捉える「なおさん」。
その後、7人のキャラクター、白っぽい男性、私の総勢9名が織りなす、何とも不思議なイメージが展開していきます。
※心の内側をキャラクター化し、自己理解に役立てていることについては、こちら。
自分の全てとつながるというイメージ
私の心の内側にいる「7人のキャラクター」と「私」。
その8人が円形の泉のほとりにつらなり、地面に手をつき、各々が泉の中をのぞきこんでいると。
水中に沈んでいる白っぽい男性が、私の「身(み=身体)」だと分かってきます。
身体も自分の一部ですからね。
泉の中をのぞきこんでいる8人、各々の両肩から、小さな手がピュルピュルと伸びてくる。
お互いの小さな手がつながれていき、8人は円形につながる。
8人の胸からは、各々2本の小さな手が伸びていき、泉の中に沈んでいる「身」の部分に先端が刺さる。
小さな手は、管のような感じ。
管の中を光(エネルギー)のようなものが、循環していく。
「身」から8人の間で循環する流れと、8人相互に循環する流れ。
循環する2つの流れを感じていると。
私自身の全てが1つになっているような感覚になりました。
とても落ち着いて、盤石な感じです。
自責の念は単なる通知だと気づく
自分の全てとつながったイメージを保ちながら、仕事のことを思い返すと。
やはり、自責の念が騒ぎ出します。
「きいちゃん」が、「私は能力がない。何をやってもダメ」と嘆き悲しむ。
「なおなお」が、「一流と言われるスクールカウンセラーだったら、難なくこなせる仕事。ろくなアイディアも出せないなんて、本当に情けない」と罵倒する。
いつもの自責の念が発動し始めたことを伝えると、優美さんが、私に声をかけます。
騒ぐ「なおなお」がいても大丈夫だよ。
あなたが、みんなの面倒を見れるよ。
「たしかに!」という思いが、反射的に返ってくると同時に、新しい気づきが訪れます。
大騒ぎしているのは、私のほんの一部。
「きいちゃん」と「なおなお」の声は、「危険を知らせる通知」なんだ。
自分に不利益をもたらすような状況が近づいているという、単なる「通知」。
あんなに振り回されていたのに、単なる通知に過ぎなかったのか。
その気づきに留まり、イメージを味わっていると。
騒いでいる2人(きいちゃん、なおなお)に、ほかの6人と「身」の部分から、エネルギーが注がれていく。
自分を責める言葉の威力が、小さくなっていき、気持ちが楽になっていく。
私の中に、悪いものはないんだなあ。
私自身がより良く生きるために、心の内側にあるキャラクターたち、身体も、精一杯に各々の役割を果たしているんだ。
最終的に、「私なりに、精一杯生きている」という感覚に満たされ、涙がこぼれました。
今回は、自分の全てとつながる体験を経て、自責の念は通知に過ぎないと気づいたことについて、お伝えしました。
自分の全てとつながるというイメージは、私の中から出てきた、私独自のものであるだけに、私自身にフィットします。
「自責の念が騒ぎ出したなあ」と感じたときに、自分の全てとつながるイメージを思い浮かべ、自責の念に対処するようになりました。
自責の念の攻略法が1つ増えた感じです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。