別人になりたかった私が自分を変えなくてもいいと思えたのは
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
悪戦苦闘、試行錯誤の末。
別人になりたいと願っていた私が、「自分を変えなくてもいい」と思えるようになってきました。
別人になりたかった私
自分の性格を変えて、別人にならなければいけない。
生きることがツラくてたまらないときに、私が常々思っていたことです。
思い返せば、幼い頃から、母に罵倒される日々を送っていた私。
しかも、1歳下の弟は、出来が良く、母はもちろん、先生や友達からも愛される存在。
私は、出来の良い弟と比べられ、いかにダメな人間であるか、母の気が済むまで、ののしられていたのです。
弟みたいに性格が良かったら、母に褒められるに違いない。
幼い頃から、そう思っていた私。
成長する過程で、私なりに努力をしたにも関わらず、母から褒められることはありませんでした。
もちろん、性格が変わることも、別人になることもありません。
高校に入学したあたりから、自分のことが嫌で嫌でたまらなくなってきました。
自分を責め、自分を否定し、精神的に自分で自分の首を絞めるような状態。
地獄の業火で焼かれるような苦しさ。
苦しい状態から、何とか抜け出したくて。
ますます、「自分の性格を変えて、別人にならなければいけない」と信じ込むようになっていったのです。
自分を変えようと本気になったら余計につらくなった
生きづらさを解消したいと切望していた私。
数年の社会人生活を経て、心理学科のある大学へ入り直しました。
そこから、私の自己探究の長い道のりが始まったのです。
- いくつかの心理療法(心理カウンセリング)を受ける。
- 様々な心理療法の講座、ワークショップ、研修会を受講する。
- 心理学の学会などで、最新の知見に触れる。
自己探究の過程で、私の苦しみの根本原因が、私の内側に存在することに気づきました。
母との関係が、影響してはいますが。
私の中に、私を責め、否定する部分が形成され、事あるごとに活性化しては、私の心を内側から削っているのです。
自分を変えるためには、自責、自己否定の部分を消し去ればいい。
そこで、自分を責め、否定する部分を消し去ろうと、本気で取り組んで試みたところ。
その反動であるかのように、自分を責め、否定する部分がパワーアップしたではありませんか。
まるで、その部分が、「勝手に悪者にするな!勝手に消すな!」と、いきり立った感じです。
自分を責め、否定する部分がパワーアップすると。
私が何をしても、しなくても、上げ足を取るように、私を責め、否定する感じが止まらなくなりました。
自分を変えようとすればするほど、苦しみが増していく。
良いことをしようとしているのに、なぜ、苦しくなるんだろう。
考えた末に、ハッとしました。
「自分を変える」ということには、「自分の中にある悪い部分を殺す」という含みがある。
だけど、「悪い」と決めつけられた部分にだって、言い分はある。
相手の言い分も聞かずに、勝手に「悪い」と決めつけ、殺そうとしたら、相手が逆上するのは、当たり前。
自責や自己否定の言い分を聞いてみる
自責や自己否定が強い部分を、消し去ろうとするのではなく、言い分を聞いてみることにしました。
浮かび上がってきたのは、3つの部分。
自己否定が強い部分は、とても幼い私の部分(3~4歳ぐらい)。
「ママに好かれたい。ママに良い子って言われたい」という切なる願いを抱いている。
ただ、強く願うがゆえに、ちょっとでもうまくいかないことがあると、不安になっていく。
不安が強くなると、最終的に、「やっぱり私は要らない子」と激しく嘆き悲しんでしまう。
自責の念が強い部分は、2つ。
1つは、ちょっと大人の部分(20代~30代ぐらい)。
理想的な行動を取るよう事前に指示を出し、その指示に従わないと、叱責をくり返す。
でも、本当は、私(とても幼い部分)が失敗して傷つくことがないように、神経を張りつめている。
もう1つは、小学生ぐらいの部分(8~9歳ぐらい)。
ちょっとでもうまくいかないことがあると、「なんで、そんなことするの!ダメでしょう!」と、ギャンギャン文句を言い始めて、止まらない。
でも、本当は、うまくいかないことに不安を感じている私(とても幼い部分)に、喝を入れているだけ。
喝を入れて、気持ちや行動を変えさせ、「ママに好かれたい」という願いをかなえてあげようと、奮起している。
自責や自己否定が強い部分の言い分を聞いて、気づいたことがあります。
「悪人」の要素など、まったくない。
私(とても幼い部分)のために、良かれと思ってしていることばかり。
自分の中に悪いものはないんだから変えなくてもいい
自責の念の言い分に耳を傾けているうちに、私の母と似ていることにも気づきました。
私が「理想的な良い子」になれば、幸せになると思い込んでいる。
子どもを含めた他者への関わり方が分からなくて、指示すること、叱責することで、相手の行動を変えようとする。
私は、自分の中にある自責や自己否定が強い部分の思いを知るにつれ、頭ごなしに「悪い」と否定できなくなっていきました。
母の思いも、自責の思いを通して、伝わってくるような感覚になります。
生きることに不器用だった私の母みたいに、懸命に頑張っているけれど、周囲を傷つけてしまう。
自分のしていることに無自覚だから、起こっているんだな。
そんな風に思えるようになると、私の心の内側にある様々な部分たちを、客観的に観察する私(主人格)が大きくなっていきました。
今の私は、自責や自己否定が強い部分が騒ぎ出しても、たじろぎません。
各々の気持ちに共感し、慰め、落ち着いたところで、感謝やねぎらいの言葉をかけていきます。
すると、「分かってくれたのね。嬉しい」と言わんばかりに、自責や自己否定が静かになっていきました。
しかも、自責の部分は、私が失敗をしないように、力を貸してくれるようになってきたのです。
こうしたプロセスを経て、思うことがあります。
私の心の内側にある様々な部分が、私のために頑張ってくれている。
自分の中に悪いものなんてないんだから、自分を変える必要も、別人になる必要も、まったくない。
自分にあるものを最大限に活かして、自分を生きていけばいい。
あんなにも別人になりたかった私が、こんな風に思えるなんて、驚いちゃいますね。
今回は、別人になることを願ってやまなかった私は、「自分を変えなくてもいい」と思うにいたった体験について、お伝えしました。
「良い・悪い」は、ジャッジする人の価値判断によるんだなあと感じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※自分の心の内側にある部分たちの言い分を聞き、相関関係を考えたことについては、こちら。
※自責や自己否定の強い部分についての記事は、こちら。