「どうして人を殺してはいけないの?」という息子の発言から、善悪の根源にあるものを考える
「善悪」とは何か?
答えることが、なかなかに難しいテーマですよね。
今回は、中学生の息子とのやり取りから、「善悪の根源にあるもの」について考えてみました。
どうして人を殺してはいけないのか
人を殺すことは善か悪か
「どうして人を殺してはいけないの?」
あるとき、中学3年生だった息子が言い出しました。
中学生あるあるな発言ですね。
夫は「人を殺すことは倫理に反するからだ」と持論を展開します。
息子は「じゃあ、自分を殺すのはいいの?」と返し、二人でけんけんがくがく。
なんだか空気が悪くなっていきます。
あなただったら、どう答えますか?
正直なところ、正解のない問いなので、答えに困りますよね。
世界中の賢い人たちが、「どうして人を殺してはいけないのか」という問いに、さまざまな答えを出しています。
私は、そうしたさまざまな知見をもとに、勝手に考えていたことがあったので、試しに、息子に伝えてみることにしました。
「人を殺すことが良いか、悪いかは、状況によって違うよ」
街の中で、表情1つ変えずに、次々と何人もの人間を殺していく人がいたら、どう思う?
恐ろしいよね。
きっと歴史に残る連続殺人鬼として、語り継がれると思う。
でも、戦争の最中に、表情1つ変えずに、次々と何人もの敵を殺していく人がいたら、どう思う?
感動するよね。
きっと歴史に残る英雄として、語り継がれると思う。
やっていることは全く同じなのに、一方は殺人者で、一方は英雄。
悪人と善人。
状況が違えば、全く違ってくる。
人を殺してはいけないことの根本にあるもの
「じゃあ、状況が許せば、人を殺してもいいってこと?」
「う~ん、そういう訳にはいかないんだよね」
本で読んだのだけど、どの国でも、どの地域でも、共通して禁じられていることが、2つある。
1つは盗み、1つは殺人。
「どうしてだと思う?」
「自分がされると嫌だから」
「そう、その通り!」
大切に蓄えた食べ物や財産を盗まれると、自分が嫌な思いをする。
自分や大切な人が誰かに殺されたら、同じく、自分が嫌な思いをする。
嫌な思いをすることを避けたいから、「盗みと殺しは、してはいけない」というルールを決める。
ルールを遵守することで、自分の身を守る。
それに、私にとって、あなたは、大切な息子。
あなたが、あなたの命を自分で断つのは、とっても嫌。
だから、絶対にやめてほしいと思う。
「イヤだ」という自分の感覚が、ルールの根本にある。
「な~んだ。結局、人を殺しちゃいけないっていうのは、自分の気持ち優先なのか。自己中じゃん」
「そうだよ」
「でも、『嫌だから、人を殺してはいけない』って言うほうが、納得がいく。本音っていうか、嘘がないっていうか」
「殺人は倫理に反する」という言葉に潜むもの
「じゃあさ、『人を殺すのは倫理に反する』、なんて偉そうなことを言うのは、なんで?」
「『自分が殺されるのが嫌だから、人を殺してはいけない』って言うのは、あまりにも正直すぎて、身も蓋もないじゃない。『倫理に反する』ぐらい、高尚で、美しい言葉ほうが、人の心を惹きつけるんだよ」
これまた、本で読んだのだけど、ホモサピエンスが他の類人猿を押しのけて世界に君臨した理由。
他の類人猿にはなかった特徴があったから。
それは、「ストーリー」をつむぎ出す力。
獲物をとらえる英雄の話をすることで、自分もそうなりたいというモチベーションを高める。
この世にない神秘的な力について語ることで、仲間内の結束力を高める。
素晴らしい未来について語ることで、明日への夢や希望を駆り立てる。
集団に属する人たちをその気にさせ、特定の行動へ駆り立て、集団の結束力を高めるために使われたストーリー。
集団に属する人数が多くなればなるほど、より壮大なストーリーが必要になる。
だから、「倫理」とか、「人の道」とかいう、美しく、荘厳なストーリーを作り上げる。
そして、「人を殺すのは倫理に反する」というストーリーをかかげ、大きな集団の治安を守ることに成功した。
ストーリーが集まって、巨大な力を持ったのが、宗教。
ほかに、資本主義、民主主義、社会主義。
お金もそう。
「お金にはこんなにも価値がある」というストーリーがあるから、みんなそれを信じて、ただの紙きれや金属で作ったものを、後生大事にしている。
ここまで話すと、息子は「なんか、納得した」と、自室へ戻っていきました。
善悪の根源にあるもの
そもそも、善悪とは何か。
あなたは考えたことがありますか?
私は、息子とのやり取りを通じて、考えこんでしまいました。
「人を殺すこと」。
これは、普通の環境であれば、「悪」。
ですが、戦争という状況下においては、「善」になります。
賢いあなたなら、もう、お分かりでしょう。
この世に、絶対的な善も、絶対的な悪もないのです。
では、善と悪は、何から生まれたと思いますか?
神様が決めた?
偉い人が決めた?
私は、一人ひとりの「好き」と「嫌い」から生まれたと感じています。
人殺しは、嫌い。
だって、人殺しをOKにしたら、自分や家族、親しい人たちがいつ殺されるか分からなくて、恐ろしいもの。
多くの人が「嫌い」と思えば、それは「悪」へと昇華します。
でも、戦争で敵を殺してくれる人のことは、好き。
憎い敵を一掃して、戦争に勝ったら、気分は晴れやか。
敵から奪った財産や土地があれば、今の暮らしはもっと楽になって嬉しい。
多くの人が「好き」と思えば、それは「善」へと昇華します。
「悪」や「善」は、ルールを生み出し、それが集まると、法律や常識になります。
法律や常識も、ひとつのストーリー。
法律や常識にのっとり、人々は、多くの人が「嫌い」と感じる言動を避け、多くの人が「好き」と感じることを行うようになります。
そのため、国のような大きな集団でも、秩序を保つことができるのです。
世の中には、たくさんの「善悪」があります。
法律、常識ほど大きくなくても、その集団に特有な「暗黙のルール」とか。
世の中の秩序を守るために、大小さまざまな「善悪」が、張りめぐらされているのです。
ただし、世の中に根づいた「善悪」は、時代とともに、そこに暮らす人々の「好き嫌い」と合わなくなることがあります。
また、「善悪」は、多数派の幸福を目指すものなので、少数派の「好き嫌い」とは、ズレていきます。
少数派の個性をもつ私は、ときどき、息苦しくなることがあります。
たぶん、私の「好き嫌い」という感覚とは違ったことを、世の中の「善悪」として、押しつけられるから。
世の中の「善悪」と、自分の中の「好き嫌い」。
一人ひとりの「好き嫌い」を根源とする「善悪」ですが、場合によっては、自分の「好き嫌い」とは、違っていることもある。
そんなときに、どう折り合いをつけていくか。
いやはや、難しい。
だから、世の中の「善悪」と、自分の中の「好き嫌い」とのギャップが見えてきた少年少女たちは、「どうして人を殺してはいけないの?」と、問うのかもしれません。
息子に伝えた一連の話。
夫にも話してみたのですが、「一種の詭弁だな」と言われて、おしまい。
たしかに、「死」については、たくさんの賢者が、さまざまな見解を説いています。
「まあ、こんな意見もあるんだな」ぐらいに、お考えください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。