愛されてもいい存在だと初めて感じる【私が自分を生きるまで⑬】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
その過程の中、自己否定にとり憑かれている私に、「私は愛されてもいい存在だ」と実感する瞬間が訪れました。
嫌われる存在だと思っていた私
2019年3月におこなわれた「ハコミセラピー」のスペシャル・ワークショップ。
※「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。
※「マインドフルネス」とは、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくことです。
カナダ人のジョージア・マービンさんが、講師として、来日しました。
ジョージアさんは、「ハコミセラピー」シニアトレーナーの資格保有者。
ワークショップをリードしていきます。
ワークショップの参加者は、20人~25人ほど。
さまざまなワークを通して、人間関係の在り方に気づいていく。
スペシャルな2日間。
そのワークショップにおいて、4人組でおこなうワークがありました。
以下のような手順のワークでした。
①体験者2人が、10mぐらい離れた距離に、向かい合って立つ。
1人は、立ったまま動かない。
もう1人は、相手にゆっくりと近づいていく。
②体験者それぞれに、1人ずつ、記録担当者が付き添う。
体験者が感じたことを聞き取って記録していく。
③立ったまま動かない1人が、近づいてくる相手との間で、ちょうどいい距離感を見つける。
相手が、これ以上近づいても、これ以上離れても、居心地が悪くない、という距離。
「マインドフルネス」の状態になって、距離を見極めるのが、ポイント。
何度も確かめながら、ちょうどいい距離が見つかったら、相手に留まってもらう。
※「マインドフルネス」とは、ゆっくりを深呼吸をしながら、目をつぶり、自分の身体を感じていく状態を言います。
④ちょうどいい距離で留まった2人が、互いにどんな感じがするのかを味わう。
このときも、「マインドフルネス」で、相手のことを感じる。
⑤最後に、体験者2人、記録者2人、それぞれが感じたことをシェア(共有)する。
私は、そのワークの手順を聞いて、嫌な気持ちになりました。
対人恐怖っぽい感じのある私。
相手が近づいてきたら、相手に嫌われるという恐さが増していくに違いない。
だから、かなりの距離がある時点で、「ストップ」をかけるはず。
そして、ほかの参加者に比べて、笑ってしまうほど離れた距離をとっている自分に対して、劣等感を感じるんだろうなあ。
渋々始めたワークでしたが、予想もしない展開となりました。
自分は愛されるに値するという体験
私のお相手は、「ハコミセラピー」に初めて参加するという、20代ぐらいの若い女性。
10m先のスタートラインに立つ女性を、マインドフルネスの状態になって見たとき。
意外や意外。
ものすごく、うれしくなったのです。
「ママが、迎えに来てくれた!」
ずーっと待ちわびていた私の母が、私を迎えに来てくれた。
そんな喜びが、身体の中を駆けめぐります。
もう、うれしくてうれしくて、感激のあまり、涙がにじむほど。
「でも、近づいてきたら、ママじゃないって分かって、がっかりするかも」
そんな不安を抱きながらワークを続けたのですが……。
母を投影した女性が、一歩一歩近づいてくるにつれ、喜びが胸をつきあげてきます。
「ママが迎えに来てくれた!ママだ!ママだ!」
私は、身体が触れ合うほどの距離まで、女性に近づいてもらいます。
近くまでやってきた女性を抱きしめて、感極まって、号泣。
長年の夢がかなったような、うれしさ!
「そのままの私でも、母から愛されるんだ」
腹の底からわきあがるような喜びに包まれます。
私が、のどから手が出るほどに、狂おしいほどに求めていたものが、手の中にありました。
自分が必要としているものを得る
「スペシャル・ワークショップ」に参加する10ヶ月ほど前。
自分自身を嘆く存在が、一時的に消えるという体験をしました。
※「自分を否定する部分」が消えたという体験は、こちら。
自分を嘆く存在は、ネガティブな感情を抑えこむ働きをしていたようでした。
なんせ、それが消えた途端、感情がふき出して大変なことに……。
まあ、言うなれば、ブレーキが使えなくなった、暴走列車みたいなものです。
※感情が暴走した体験は、こちら。
でも、何事も、プラスマイナスゼロです。
感情を抑え込む力が弱くなった分。
「自分にとって必要なものを得たい!」という欲求も、ストレートに出せるようになっていたのです。
私の心の中にいる「小さな子ども」、おそらく、幼少期の私が必要としていたこと。
母から褒められること。
母から認められること。
目の前に、私が幼いころの母と、同年代の女性が立った途端。
私の中の「小さな子ども」は、自分のほしいものに、思いきり手を伸ばします。
ワークの意味も、何もかもふっ飛ばして、自分のほしいものをつかみとったのです。
「ずーっと待っていた母が迎えに来てくれた」という体験。
これは、「私は母から愛されて当然の存在だ」という、幼少期の私が心の底から求めていたものを象徴しています。
ほしいものが「ほしい」と言える。
ほしいものを、つかみとることができる。
人には、そうした能力が備わっています。
ただ、私の場合は、そこにいたるまでに、かなりの時間を要しました。
でも、諦めなければ、たどりつけます。
自分が本当にほしいものを手にしていけば、心は軽やかになるのです。
自分を否定する部分を、うまくいなし、パワーダウンさせながら、自分にとって必要なものを手に入れていく。
その地道な営みが、癒しなのではないかしら。
まあ、私の場合は、自分を否定する部分が、なかなかに強力なので、一筋縄ではいかないんですけどね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
続きはこちら。「母から愛されてもいい存在」という体験を経て、母と私との関係性が見えてきました。