人気の記事


嫌われるのが怖いけど、嫌われても死なない

2024年2月8日


私は、人から嫌われることを怖れていました。

対人恐怖になるほどに。

そんな私が、「嫌われても何とかなる」と思えるようになった経緯について、お伝えします。

 

「嫌われる勇気」なんて持てるはずがない

 

私は、「嫌われる勇気」が持てませんでした。

というより、「嫌われる勇気」なんて、みじんもない!

そもそも、人から嫌われることを、心底、怖れていたのです。

 

ほんのちょっとでも人から冷たくされると、かなり過敏に反応。

「やっぱり私は嫌われる人間なんだ!!」と嘆き悲しみます。

こうした状態は、20代後半から強くなってきました。

 

そして、人から嫌われることが恐ろしすぎて、あまり親しくない人と話すときは、顔がこわばり、声がうわずる。

言動がぎこちなくなるのが、自分でも分かる。

そして、「こんな変な動きをしていたら、もっと嫌われてしまう!」と、恐怖が強まっていきます。

恐怖が強まるほど、ますます言動がおかしくなるという悪循環。

 

とてもじゃないけど、恐ろしすぎて、人の輪になんて、入れない!

 

なので、いろいろな理由をつけて、人が集まるプライベートな場に行くことを避け続けてきました。

 

ただし、仕事だと問題ない。

たとえば、「スクールカウンセラー」という役割があると、その役割を鎧として身につけたうえで人と接するので、意外と大丈夫なのです。

役割があると人と接することができるけれど、プライベートな場で生身の自分を出すことが怖い。

対人恐怖の典型的な症状ですね。

 

つまり、私は、「自分の生身を人前でさらすと、相手から嫌われる」と信じ込んでいるのです。

 

「嫌われる恐怖」の根底に「死ぬ恐怖」があった

 

自己探求が最大の楽しみである、ド変態の私。

「人から嫌われることを、なぜ、これほどまでに怖れているのか」について、深掘りしてみました。

 

すると、根底にあるのは、母との関係

 

私が3歳半の頃、父、母、私、弟は、父方祖父母と暮らすことになりました。

当時、20代前半だった若い母は、嫁姑の関係で苦労し、精神的にまいってしまった。

 

母は、3歳半~4歳半の小さな私、なおちゃんに接するゆとりがなかったのでしょうね。

なおちゃんは、母との関係から、こう思うようになりました。

 

誰も、なおちゃんの話を聞いてくれない。

誰も、なおちゃんの話を理解してくれない。

なおちゃんと一緒にいるときは、みんな、いつも暗い顔をしている。

誰も、なおちゃんがピンチのときに助けてくれない。

 

視野が狭く、客観的に物事を見ることが難しい、幼い子ども。

家族との関係が、世界の全てといっても過言ではありません。

そのため、母がしたことを、「全ての人がしたこと」として受けとめてしまいます。

 

そして、小さな私が導き出したのは、「私は要らない子だから、ママに嫌われる」という考え。

 

理解しがたい状況で苦しい思いをする幼い子どもは、知恵をしぼって状況を理解しようとします。

親が大好きで、親を悪者にしたくない子どもは、自分を悪者にします。

「私が悪い子だから、ママは私に優しくしてくれないんだ」って感じにね。

 

それに加えて、長子である私だけを厳しく叱り、ときには、暴言を吐く母。

母は、一人ではやりきれなくて、私に八当たりをして、しのいでいたのでしょう。

でも、幼い私に、母の心情を理解できるはずがありません。

 

「私は要らない子。ママから嫌われる子」という信じ込み

「ママに嫌われたら、捨てられて、死んじゃう」という怖れ。

 

私が抱えている「人から嫌われる恐怖」は、「母から嫌われ、捨てられ、死ぬ恐怖」。

つまり、「死ぬかもしれない恐怖」につながっているため、人から嫌われることが、あり得ないほどに怖いのです。

 

嫌われても死なない

 

亡くなる際、母は、私の弟や妹には優しい言葉を伝えました。

でも、私に遺したのは、「ナオミは、バカで、ノロマで、肝心なときに役に立たない」という言葉。

このことは、私にかなりのダメージを与えました。

 

母に嫌われていることが、決定的になった。

しかも、母は亡くなったので、母に好かれるという挽回の機会は、永遠に訪れない。

 

母の死後、精神状態がかなり不安定になりました。

なぜなら、私の中の小さな子どもが、死の恐怖にさらされることになったからです。

 

あまりにも苦しくて、やりきれないので、さまざまな努力や工夫を重ね、自己探求を重ねていったところ。

母が母なりに、私に愛情を注いでくれていたことに気づきました。

 

でも、母が私のことを好きだったとは、とうてい思えません。

「人から嫌われる恐怖」は、私につきまとい続けました。

 

※母の厳しいほどの愛情に気づいたという話は、こちら。

 

母の死から3年ほどが経ったある日。

私が抱えている「人から嫌われる恐怖」は、「母から嫌われ、捨てられ、死ぬ恐怖」なんだよなあ、なんて思った、その瞬間。

「おや?」と思ったのです。

 

小さな私は、母から嫌われたら、死ぬかもしれないと怖れていた。

今の私は、どう?

すっかり、おばさんになった私。

毎日、ご飯をしっかり食べて、仕事をして、家事もこなして、図太く、しぶとく生きている!

母から嫌われているのに、しっかり生きている!

 

嫌われても、死なない!!

 

その言葉が浮かんできたら、心の中にあったしこりが溶けるように、気持ちが楽になりました。

 

「嫌われても死なないなんて、当たり前。そんなことにも気づかないなんて、バカじゃない」と思う人がほとんどでしょう。

その通り。

でも、気づかないのです。

 

ひどく傷つき、気持ちが動揺しているとき。

小さな子どもの私が前面に出てきて、大騒ぎを始めるので、冷静な判断なんてできません。

人に嫌われることが怖くて怖くて、てんてこ舞いしてしまうのです。

 

「嫌われても、死なない」

 

この言葉は、私の中の小さな子どもの部分にも、じんわりとしみ込んでいきました。

時間をかけて、ゆっくりと。

 

それ以降、人から冷たくされるようなことがあっても。

心の中で「嫌われても、死なない」とつぶやくと、「何とかなるさ」と思えます。

「嫌われても、死なない」という言葉は、「嫌われる恐怖」を溶かす、魔法の言葉になりました。

 

 

私は、今日も、しぶとく生きています。

「嫌われる恐怖」の底にあった「死ぬ恐怖」。

「嫌われたら死ぬという恐怖」が、白日のもとにさらされ、「嫌われても生きてる」という現実的な視点を帯びたとき、生きるのが楽になりました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

新着記事のお知らせを配信しています。フォローしてくださいね!