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母の最期の言葉に絶望したけど生きていく【私が自分を生きるまで⑮】

2024年2月22日

母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

その過程の中、私の母が、病院で息をひきとりました。

私だけをけなすような言葉を残して……。

「母に褒めてほしい。認めてほしい」と願っていた私は、地獄の底に突き落とされたような心境になりました。

 

母の最期の言葉は私を絶望させた

2019年の夏。

ひどい腹痛に耐えられなくなり、病院を受診した母。

末期ガンと診断され、緊急入院となりました。

みるみるうちに病状が悪化し、入院して3週間後には、食事もとれない状態に……。

 

亡くなる数日前。

病床の母は、急に、私たち兄弟に対して、語り始めました。

 

弟には、「兄弟三人が仲良く過ごしているのは、あなたのお陰」と感謝。

そして、弟がいかに素晴らしい人であるかをほめちぎり、身体をいたわり、健康を願う。

妹の将来を心配し、弟に面倒をみてやってほしいとお願いする。

私のことは、「ナオミは、バカで、のろまで、肝心なときに役に立たない」とくたす。

それだけでは、足りないのか、私に対するうらみごとを、グチグチと言う。

 

その後、妄想と現実が入り混じったような話を、ひとしきり続けた母。

いつの間にか、静かになりました。

そのまま、目を開けることも、言葉を発することもなく、数日後に息をひきとりました。

 

心のどこかで、「母にほめてほしい。認めてほしい」と思っていた私。

母の最期の言葉に、呆然自失の状態に……。

 

わ・た・し・だ・け・ダ・メ・人・間・か。

 

どんなに頑張っても、もう、母には認めてもらえない。

ダメの烙印を押されたまま、私は一生を終えるしかない。

 

すべてを放り投げ、ひきこもり、泣き暮らしたいような、壮絶な絶望感。

腹の底からにじんできて、全身をめぐります。

 

自力で心を整えて生きていく

 

母が亡くなった数時間後。

現実から遠のいてしまいそうな意識の中、私は考えます。

 

翌日には、母の葬儀をとりおこなわなければならない。

その後も、死後の手続きが、山のようにある。

父は、施設に入っている。

もろもろのことを、私、弟、妹の3人でこなさなければならない。

でも、実家がある福島に住んでいるのは、妹だけ。

 

職場でとった休みは、あと1週間で、おしまい。

東京へ戻ったら、仕事、家事、子育てといった現実も引き受けて、生きていかなければならない。

 

ひきこもって泣き暮らすことは、私には許されない。

急場しのぎでもいいから、心を整えないといけない。

 

そう思った私は、まず、シャワーを浴びながら、感情を放出することにしました。

深い悲しみを十分に感じながら、大きな声をあげてオイオイと泣くと、気持ちが少し軽くなる。

気持ちが少し軽くなると、冷静に考える余地が生まれます。

 

それで、母の最期の言葉から生じた絶望と同じ分だけ、「母にしてもらって嬉しかったこと」を、思い出の中から集めていきました。

  • 私が小学校3年生のとき、弟には内緒で、二人きりでソフトクリームを食べたこと。
  • 私が大学に合格して上京する際、知らない土地に出向くことが嫌いな母が、学生寮に入る手続きをするために、一緒に東京へ来てくれたこと。
  • 私が出産直後、知らない場所へ行くこと、知らない人と接すること、仕事を休むことが嫌いな母が、1週間仕事を休んで、私と夫が住むマンションへやってきて、私の世話をしてくれたこと。

などなど。

 

すると、考え方のバランスが整い、別な思いが浮かんできます。

母は、私にひどい言葉を投げかけるけれど、私のことを心底、憎んでいたわけではない。

私は、母に愛されていたのかもしれない。

 

それから、自分が納得するような考え(ストーリー)をひねり出します。

だれかに認めてもらうのではなく、自分で自分を認めることが大切。

そのことを、身をもって私に教えるために、母は最期に、私をくたす言葉を残したのだ。

 

その考え(ストーリー)は、私の気持ちにもフィットし、母に対する感謝の涙が流れます。

シャワーを浴びる間、20分程度の作業でしたが、私の心はスッと整いました。

お陰で、母の葬儀、東京での生活、何度も帰省しておこなった死後の手続きも、表面的には、スムーズにこなしていけたのです。

 

無理なやり方は諸刃の剣

 

ネガティブなことと同じぐらい、ポジティブなことをそろえて、考え方のバランスをとる。

考え方のバランスがとれると、精神的に落ち着き、感謝が生まれる。

 

これは、ジョン・F・ディマティーニの著書、「世界はバランスでできている!」からヒントを得た方法。

日常生活でも、ちょいちょい使っていました。

 

※考え方のバランスを取る方法については、こちら。

 

それで、思い出を使って、考え方のバランスをとったのです。

母の最期の言葉から生じた絶望(ネガティブなこと)。

母にしてもらって嬉しかったこと(ポジティブなこと)。

同じ分だけ、そろえると、心が整った感覚を味わいました。

 

ですが、残念なことに。

母の最期の言葉を聞いた私の心は、考え方のバランスをとっただけでは、おさまりません。

感謝の念がわく状態には、いたらなかったのです。

 

それで、「自分が納得するストーリーを作る」という方法も加えてみました。

 

ちなみに、私の作り出したストーリーは、こちら。

だれかに認めてもらうのではなく、自分で自分を認めることが大切。

そのことを、身をもって私に教えるために、母は最期に、私をくたす言葉を残したのだ。

 

一説によると、私たちは、「幻想」から苦しみを作り出している、と言われています。

たとえば、「母にないがしろにされたのは、私が価値のない人間だから」という幻想にしがみついていると。

現実社会でちょっとでも自分を粗末に扱われると、「やっぱり私はダメな人間なんだ」と、苦しい思いがわきあがってきます。

 

でも、それを逆手に取り、たとえ、嘘八百だとしても、自分が納得するストーリーを作り出すことができれば。

「幻想」から、幸せを生み出すこともできる

 

私の作り上げたストーリーは、一応、役に立ちました。

母に対する感謝の念を感じて、気持ちが安らぎました。

とどこおりなく日常生活を送ることも、できました。

 

でも、ちょっと強すぎたんですよね……。

だれかに頼ること、だれかに受け入れてもらうことを、遠ざける。

そんな副作用も出てしまったのです。

 

そのせいで、しばらく、自分に孤独な闘いを強いることとなりました。

 

 

母の死は、私にとって、大きな転機となりました。

危機的な状況というのは、ネガティブな方向にも、ポジティブな方向にも、どちらにも転がり得ると言われています。

それでも自分を生きていくために、危機的な状況に向き合うしかありません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

続きはこちら。母の死後、母の切なる願いを知ることになりました。


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