頭で考えても苦しさが続くときは「内なる子ども」に寄り添ってみる
認知療法・認知行動療法の手法をもとに、「考え方の修正」を試みても、苦しい思いが続くことがあります。
私もその一人でした。
頭で考えても苦しい思いが続くときは、どうすればいいのか。
私の体験から気づいたことについて、お伝えします。
「考え方の修正」を試みても納得できない私がいる
だれも、私の話を聞いてくれない。
日常生活で苦しい思いをするとき、私の中では、そんな考えが発動しています。
そして、「そもそも、私は価値のない人間だから、だれも私の話を聞かないんだ」という考えも浮上。
最終的に、この世に存在してはいけないような苦しい思いにさいまなれるのです。
ちなみに、認知療法・認知行動療法では、「出来事」をどのように「認識する(考える)」かによって、「感情」「行動」などが決まってくると考えています。
図で示すと、こんな感じ。
そのため、自分を苦しめる「考え方のクセ」を見い出し、それを変えること、あるいは、「行動」を変えることで、「感情」を整えていきます。
私も、試しに、自分の「考え方」を修正してみました。
自分を苦しめる「考え方のクセ」
だれも、私の話を聞いてくれない。
↓
合理的な考え方に修正してみる
私の話を熱心に聞いてくれる人もいる。
世の中の人全てが、私の話を聞かないという事態は起こりえない。
合理的な考え方を書き出すと、頭では、「たしかに」と思います。
ですが、腹の底のほうから、「そうは言っても……」と、反論する言葉が次々と浮かんでくるではありませんか。
私の話を熱心に聞いてくれるのは、人徳者、特別な人だけ。
私が価値のない人間であることに、変わりはない。
どんなに工夫を重ねても、私の一部がどうしても納得してくれません。
「考え方のクセ」が修正されないため、「感情」を整えるまでにいたらず、苦しい思いが続いてしまうのです。
「小さな私」の願いに寄り添ってみる
だれも、私の話を聞いてくれない。
同じ考えを、今度は、「ハコミセラピー」で扱ってみました。
「ハコミセラピー」は、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけていくセラピーです。
ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくのが、「マインドフルネス」。
私は、「マインドフルネス」の状態になり、日常生活で「だれも、私の話を聞いてくれない」と感じて、つらくなった場面を思い出します。
すると、胸が詰まって息苦しい感じなど、身体の感覚が生じてくる。
「マインドフルネス」の状態のまま、身体の感覚を感じていくと。
私の場合は、イメージが展開されていきます。
「マインドフルネス」になると、意識の覚醒状態が低下していき、無意識の状態が現れやすくなるため、普段は意識しないものが出現してくるのです。
二段ベッドの上の段で寝ている小学校低学年の私。
1歳下の弟は、下の段ですやすや寝息を立てている。
私はテレビで見た「ゲゲゲの鬼太郎」を思い出し、怖くて眠れない。
祟りにあった人の身体が溶けていく話。
寝るのが怖いと、母に話したら。
「今度から、『ゲゲゲの鬼太郎』は見ちゃダメ」
「ナオミはお姉ちゃんなんだから、しっかりして」
「○○(弟の名前)は、一人でもちゃんと寝れるよ」。
小さな私は、ひたすらに耐えるしかない。
すると、セラピスト役の人が、イメージの中にいる小学生の私に声をかけます。
なおちゃんは、何があると、大丈夫になるかな。
小学生の私、なおちゃんは、パッと目を輝かせ、
一緒に寝てくれる人がいるといい。
なおちゃんの姿を見ている大人の私は、母が添い寝をしてくれないことを知っています。
母には、心理的にも、物理的にも、そんな余裕がない。
じゃあ、大人の私が、なおちゃんに添い寝をすればいい!
イメージの中に、現在の私が入り込み、なおちゃんに添い寝をします。
おばさん、だれ?
大人になった、なおちゃんだよ。
え~、なおちゃん、大人になったら、美人さんになれると思ってたのに、なんだか、ガッカリ!
それは、ごめんね。ところで、なおちゃん、怖くて眠れないみたいだけど。
そうなの。
なおちゃんは、「ゲゲゲの鬼太郎」が怖かったことを、熱く語り始めます。
特に、祟りにあった人の身体が溶けていく描写を、事細かに。
「そうか、それは怖かったね」と声をかけると、「そうでしょう!」となおちゃん。
なおちゃんは、安心して眠るかと思いきや、あれこれ語り続けます。
ダンゴムシを菓子箱いっぱいに集めて、フタをして揺すってみたの。
みんな丸まると思ってたら、フナムシが丸まらない。
全部、ダンゴムシに見えるけど、違うんだよ。
むしろをめくったら、太くて大きなミミズがたくさんいたから、割りばしでつまんで、ビンに入れたの。
ミミズをたくさんビンに入れてフタをしたら、うねうね動いて、すっごくキレイ。
でも、ビンをそのまま地面に置いといたら、いつの間にか、腐ってて、ビックリしちゃった。
だから、腐ったミミズを辺りに撒いて、鳥のエサにしてみたんだよ。
大人の私は、全て小さいころに経験したことばかりなので、心の底から共感できます。
それは、面白いね。
キレイだよね。
楽しいね。
そんな言葉をかけ、おしゃべりを楽しむうちに。
なおちゃんは安心して寝てしまいました。
すると、私の身体の中には、「話を聞いてくれる人もいる」という感覚が広がっていきます。
小さな私の願いに寄り添ってみたら、「だれも、私の話を聞いてくれない」という頑なな考えが、緩んでいったのです。
大切なのは「内なる子ども」に納得してもらうこと
「ハコミセラピー」のセッションを通して分かったことがあります。
小学生の私は、だれかに共感してほしかったのです。
「それ、分かるわ~」って。
ただ、客観的に見ても、小学生の私は、一般的な女子児童とは、ちょっと違った感覚を持っています。
共感力が高い「ハコミセラピー」の仲間ですら、「なおちゃんのワクワクした気持ちは分かるけど、虫やミミズはダメ~」って言ってましたから。
常識を重んじる私の母が、小学生の私の気持ちに共感することは、至難の業かもしれません。
ですが、一番分かってほしかった存在、つまり、母に分かってもらえない体験が重なると。
だれも、私の話を聞いてくれない。
私は、ダメな人間だから。
という、極端に偏った考えが生まれてしまいます。
母を悪者にしないため、そして、共感してもらえない状況を理解するために、生まれた考え。
小さなころには、生き延びるために大切な考えでしたが、大人になると、フィットしない状況が増えていきます。
だって、周囲の人にちょっと話を聞いてもらえなかっただけで、「私は、ダメな人間だから」と解釈する大人は、冷静に考えると変です。
小さな子どもが編み出した考えは、認知療法・認知行動療法のような論理的な方法では、太刀打ちできないことがあります。
小さな子に理屈を並べても、ピンと来ないのは、当たり前。
なので、自分の「内なる子ども」が納得するような状況を整えれば良いのです。
私の場合、私の中の小さな子どもが「だれも、私の話を聞いてくれない」と嘆き始めたら。
「だったら、おばさんになった私が、話を聞くよ」と声をかければいい。
価値観は同じだし、同じ体験を共有できるから、これ以上、良い聞き手はいないはず。
自分の中の小さな子どもが「私の話を聞いてくれる人がいる」という体験を重ねていけば、「だれも、私の話を聞いてくれない」という考えが緩んでいきます。
すると、考えが緩んだ分、日常生活で苦しい思いをすることが減っていく。
もし、苦しい思いをしたとしても、対処法が分かっているので、大丈夫。
頭で考えてもどうにもならないときは、自分の「内なる子ども」の願いに寄り添い、小さなときには得られなかった体験を与え、納得してもらえば良いのです。
私が今回紹介した、認知療法・認知行動療法は、やや古い手法です。
最近は、「マインドフルネス」を取り入れた認知行動療法や、幼少期に生まれた考えに焦点を当てる「スキーマ療法」などもありますよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。