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両親の死を受け入れることができた【私が自分を生きるまで⑲】

2024年2月13日

母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

その過程で、母に続いて父が亡くなり、情緒不安定に……。

ですが、自分が本当に望んでいるものに気づくことで、両親の死を受け入れることができました。

 

両親の死によって情緒不安定になる

 

足腰が弱って車椅子生活になった後、認知症が進み、老人ホームに入った父。

食事を飲み込む力がなくなったことで衰弱し、2022年7月、息を引き取りました。

 

父の葬儀、死後の手続き、実家の片づけなど、やらなければいけないことが山積している状況。

実家がある福島には、他県に住む弟と交代で帰省し、馬車馬のように働く。

自宅がある東京では、家事や仕事にいそしむ。

 

実家でやるべき作業は、ハイペースで遂行していきました。

ところが、ふと気が緩むと、急に胸が苦しくなり、涙があふれてくるのです。

2019年8月に母が亡くなり、その3年後に父が亡くなったことで、私は思った以上のダメージを受けていたのでした。

 

両親の死は仕方がないと考える一方、両親がいないことがどうしようもなく悲しい私。

やりきれない思いが葛藤し、自分一人では対処しようがありません。

 

自分一人で対処できないときは、仲間の助けを借りればいい。

 

時間が取れるときに、「ハコミセラピー」の研修に参加し、私自身のやりきれない思いを扱っていきました。

 

ちなみに、「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピー。

「マインドフルネス」とは、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくことです。

 

自分の内側で起きていることを探っていく

 

「ハコミセラピー」の研修で、私がクライエント役を取り、個人セッションをしてもらいました。

クライエントとは、セラピーやカウンセリングを受ける人のこと。

個人セッションとは、分かりやすく言えば、セラピーを行うことです。

 

私は、マインドフルネスの状態になり、自分の内側で起きていることに意識を向けていきます。

すると、私の中にいる小さな女の子のイメージが浮かび上がってきました。

 

小さな女の子は、泣いています。

 

ママもいない。

パパもいない。

もう、ママとパパとおしゃべりすることもできない。

もう、ママにもパパにも会えない。

 

涙がとめどなく流れ落ち、悲しさ、寂しさが全身を包みます。

ですが、ひとしきり感情を出すと、気持ちが楽になりました。

 

日常生活において、大人としての役割を果たしていると、感情を表出する機会がなかなかありませんからね。

日常生活から離れた場所で、目の前に感情を受けとめてくれる相手(セラピスト)がいると、思いきり感情を出すことができます。

 

気持ちが少し落ち着くと、セラピストが声をかけます。

 

どうしてほしい?

何があるといい?

 

ふと浮かんだのが、「両親の笑顔」

 

なるほど~、そうくるか。

自分でも、そんな答えが出てくるとは思いませんでした。

 

マインドフルネスの状態で、セラピストの声を聞くと、無意識の中から私の本当の願いが浮かび上がってきます。

マインドフルネスを使ってセラピーを行う「ハコミセラピー」の真骨頂です。

 

望んでいたのは両親の幸せ

 

「両親の笑顔」は、どのようにしたら得ることができるのか?

 

自分自身に問いかけると、私にとっての答えが、私のイメージの中で展開されていきます。

 

末期がんを患い、やせ細り、痛みに耐えかねて、恐ろしい形相をしている母。

その母を、白い糸で編み込んだハンモックの上に乗せ、ハンモックの両端を二人の青年が持っている。

 

二人は、母の孫たち。

先頭は私の甥っ子、後ろは私の息子。

お気に入りの孫たちに運んでもらい、母はちょっと嬉しそう。

でも、痛みがひどいため、鬼のような形相をしたまま、世界中を呪う言葉を吐いている。

 

二人の孫たちが、母を乗せたハンモックをしずしずと運んでいく前方に、ガラスのケースが見えてくる。

ガラスのケースは、7人の小人たちが白雪姫を入れたガラスのひつぎみたいな感じ。

そのガラスのケースの中には、透明な水がなみなみとつがれている。

水の上には、きれいな花びらも浮かんでいる。

 

母を乗せたハンモックを、孫たちが静かに水の中に入れていくと、母が気泡に包まれ……。

なんと、母が若返り、20代前半の姿に!!

透明な水の正体は、病気を治し、若返らせる、命の水。

 

母のお肌はつるつる、ぴちぴち。

ちょっとふっくらしていて、笑顔がまぶしい。

スキップするように軽やかに歩き、ハツラツとしている。

 

今度は、父の番。

同じく、白い糸で編み込んだハンモックの上に父を乗せ、二人の孫が運んでいく。

足腰が弱った父の身体はやせ細り、くの字に曲がっている。

しかも、認知症が進んでいるため、口は半開きで、ほうけた表情。

 

二人の孫たちが、しずしずと父を運び、ハンモックに乗せたまま、父をガラスのケースに満たされた水に沈めていく。

すると、父が気泡に包まれ、父も若返った!!

 

20代半ばの父は、背筋が伸び、聡明な目が輝いている。

足腰もしっかりして、動きも機敏。

頼もしさと優しさが漂っている。

 

若返った母と父は、手を取り合い、天国へと向かっていく。

見ている私が恥ずかしいほどのラブラブっぷり。

そして、二人は天国で永遠に幸せに暮らす。

 

それを見ている私は、心の底から安心し、涙がこぼれました。

私の中の小さな子どもが願っていたのは、両親の幸せだったのです。

 

心に平穏が訪れる

 

両親の幸せな姿は、あくまでも、私のイメージの中で展開された幻想にすぎません。

ですが、イメージには、想像を絶する威力があります。

だって、人間が五感で知覚しているものは全て、再現されたものなんですよ。

 

目や耳などの感覚器で受信した刺激が、電気信号に変えられて脳に伝わり、脳で再現される。

私たちは、それを「見える」「聞こえる」などと感じているに過ぎないのです。

だから、マインドフルネスの状態で、ありありとイメージしたものは、現実で起きたことを見聞きしている状態と変わりがありません。

 

実際、私の中にいる小さな子どもの願いを、イメージの中で実現した後から、両親の死を気に病むことが減っていきました。

 

母にも、父にも、もう会えないけれど、母と父が幸せなら、それでいいや。

 

そんな風に思えるようになると、両親の死を受け入れることができ、心に平穏が訪れました。

 

 

ただし、ふと、「何のトラウマも、囚われもなく、みずみずしいままの母だったら、私を可愛がってくれたかもしれないなあ」と思っちゃうんですよね。

まあ、そのあたりは、おいおい取り組んでいきます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

続きはこちら。自分を責める自身の声に翻弄されながら、他人と比べることが無意味であることを実感するようになりました。


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