記憶にない体験がよみがえり、自分を肯定する感覚が湧き上がる【私が自分を生きるまで㉒】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
自分を見つめるプロセスを経て、「母のお気に入りにならなくても良い」と腹落ちしたところ。
記憶にない体験がよみがえり、自分を肯定する感覚が湧き上がってきました。
涙がとまらないという訳が分からない体験
身体が覚えている何かが噴き出してきました。
2024年3月。
私が所属している「日本ハコミ・エデュケーション・ネットワーク(JHEN)」での特別研修。
カナダ人のシニアトレーナー、ジョージア・マービンさんが提案した、とてもシンプルなワークに取り組んでいたときのことでした。
2人組で行うワーク。
体験する側が、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていく状態。
つまり、「マインドフルネス」の状態(瞑想状態)になる。
そして、自分が心地よいと思う場所に、相手の手をあててもらう。
相手に触れてもらっている状態で、自分に起きてくることに意識を向ける。
私が体験する側のとき。
両腕を背後から抱えるように触れてもらいたくなりました。
両腕に触れてもらうと、そのまま、相手に寄りかかりたりたい感じに。
「マインドフルネス」の状態になり、今の自分の感覚に意識を向けていくと。
訳の分からない何かが、急に込み上げてくるではないか!
しかも、涙がボロボロこぼれて、とまらない。
込み上げてくるものの圧がハンパなく、のどが詰まって、息苦しいほど。
なんなんだ、これは!
訳が分からないのに、涙がとまらないという、驚きの体験に、戸惑うばかりでした。
「ハコミセラピー」は、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピー。
私は、身体に働きかけることの威力を、まざまざと痛感しました。
訳が分からない体験の正体は「父の無償の愛」だった
私が、訳の分からない体験に圧倒されていたとき。
ジョージアさんが、別のワークを提案しました。
相手の手が触れているところに、「大切な人」がいるというイメージを思い浮かべる。
「大切な人」と言われたとき、私の中で浮かんだのは、父の姿。
父が私の背後にいて、両腕に手を回してくれ、私は父のお腹に寄りかかる。
すると、急に、私が小学生の頃、母が笑いながら話していたことが思い出されました。
ナオミが小さい時。
家にいるとき、パパはいつも、ナオミを膝の上に乗せていたのよ。
食事中は、パパが食べこぼしたものが、ナオミの頭に降りかかって。
トイレで用を済ませるときも、ナオミを膝の上に乗せていたから、トイレから出ると、ナオミにもトイレのニオイが染みついていたのよ。
母の言葉を思い出すと、自分が体験していることの見当がついてきました。
ああ、そうか。
これは、幼い私が、父の膝の上に乗っていたときの感覚なのか。
父は、目に入れても痛くないほど、幼い私をかわいがってくれていたんだなあ。
ありがたい気持ちと嬉しさで、さらに、涙がこぼれてきました。
記憶には残っていないような幼少期の体験でも、身体がちゃんと覚えているんですね。
そして、私の血の半分には、父の血が流れているという、力強い感覚も生じてくる。
私の血の半分が、キラキラと輝き出すイメージも浮かぶ。
私は、この世の中に存在して良い人間なんだ!
身体に働きかけるワークを通して、私は、記憶には残っていなかった「父の無償の愛」に気づきました。
そして、自分を肯定する感覚も、自然に湧き上がってきたのです。
自分を肯定する感覚を「母の呪縛」が封印していた
私自身の体験を振り返って、気づいたことがあります。
今まで、「私の血の半分は汚れている」って、信じ込んでいたじゃない。
「私の血の半分が、キラキラと輝き出す」って、どういうこと?
母が、父や父方の親戚の悪口を、ひたすらに言い続けていたことが思い出されました。
父方祖父母と同居してから、嫁姑問題、父方の親戚からの苦言に傷ついた母。
父方祖父母、親戚、自分の味方になってくれない夫(父)に対する恨みが、積もりに積もっていったのでしょうね。
暇さえあれば、幼い私を聞き役にして、父方祖父母、親戚、父の悪口を吐き散らしていました。
母にとっては、全員、他人。
でも、私にとっては、全員、血のつながった人たち。
母が父方の人々をひたすらに悪く言うのを聞くしかなかった、幼い私。
父も、私も、父方の血をもつ人たちは、全員、悪人。
私の血の半分は汚れている。
そう信じ込むようになったのです。
父から愛情を注がれていたことは、以前に行った「ハコミセラピー」のワークでも気づいていました。
ですが、「私は、この世の中に存在しても良い人間なんだ」と思えたのは、初めてでした。
悪人の父から愛されても、悪人の私は汚れたまま。
父には感謝しかないけど、自分のことを心底からは肯定できない。
父には申し訳ないけど、そんな私がいたのでしょう。
ところが、「母のお気に入りにならなくても良い」と腹落ちし、ある意味、「母の呪縛」が解けたことで。
父も私も、悪人の座から降りることができた。
そして、記憶にない体験がよみがえり、「父の無償の愛」を実感し、自分の存在を肯定する感覚が自然に湧き上がってきたのです。
母の呪縛が、あり得ないほど強力で、私が自分の存在を肯定する感覚を封印していたことを思い知りました。
その一方で、母の呪縛が解けると世界が広がることも、実感しています。
※父の愛情を初めて実感したことについては、こちら。
※「母の呪縛」が意味を失うという体験が起きたことについては、こちら。
「ハコミセラピー」の仲間に、父から無償の愛を受けていたという体験をシェアしたところ。
「お父さんの話、あんまり聞いたことないから、意外な感じ」と言われました。
いやはや、「母の呪縛」が強すぎて、父のことは意識の中からはじき出されていたみたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。