我が子が思春期に豹変したら「かわいいあの子」のお弔いをする
かわいくて仕方がなかった息子。
そんな息子が、思春期に入ると別人のようになりました。
ツライ思いにさいなまれた私が、自分の気持ちを収めるために取った苦肉の策について、お伝えします。
思春期を迎えて豹変した息子
息子が鬱陶しい存在になりました。
中学に入学してから、「なんか、感じが悪くなってきたなあ」とは思っていたのですが。
中3の半ばぐらいから、激化しました。
中学生になったころから、思春期を迎え、いわゆる反抗期に入ったのでしょうね。
話しかけても、返事をしない。
口を開いても、「いや」とか、「別に」だけ。
私が作った食事は、「なんか無理だわ」と言って食べず、インスタント食品を食べる。
一方、欲しいものがあると、買ってほしいとしつこく言いつのる。
そして、自分の思い通りにならないと、これ見よがしに、大きなため息をつく。
保育園のときは、「ママ、大好き」と抱きついてきて。
小学生のときは、「ママが一緒じゃないと、ぐっすり眠れない」と言って、私を待っている。
私には、いろんなことを話してくれて、一緒におふざけをして、笑い合う。
あのかわいい息子が、別人のようになってしまいました!
思春期を迎えた子どもが、親に反抗的な態度を取るというのは、どの家庭でも起こることです。
多くの親たちが、腹を立て、うんざりしながら、子どもの反抗期を乗り切っていくのでしょう。
私も、いつかは息子が反抗期を迎え、私から離れていくと、頭では理解していました。
ところが、いざ、目の当たりにしたとき、予想以上の衝撃を受けたのです。
この世の中で、ひとりぼっちにされた感覚。
身体中を切り刻まれるような痛みが走り、息苦しくなるほどでした。
精神的なダメージの根底にあったもの
豹変した息子を目の当たりにして、自分でも驚くほどの精神的ダメージを受けた私。
他の親から見れば、「そんなの、まだまだカワイイものよ」と言う程度の変化に過ぎないのに……。
なぜ、こんなにショックを受けているのだろう。
そんなことを考えていると、精神的なダメージの根底に、母との関係が影響していることに気づきます。
私の母は、私の弟や妹のことはかわいがっていましたが、私のことだけ叱り、気が済むまで罵倒し続けるところがありました。
私が間抜けな行動をくり返し、母の気持ちを逆なでしていたせいもあるでしょう。
あるいは、母自身が大きなストレスを抱えていて、長女である私に八当たりでもしないと、やっていけなかったのかもしれません。
いずれにしても、幼少期からの母との関係を経て、私は自分のことを「私は要らない子」と信じ込むようになりました。
そして、「誰かから必要とされる人になりたい」と切望するようになったのです。
幼い息子は、全身全霊で私を必要としてくれました。
幼い子が身近な大人になつくというのは、生存本能のひとつに過ぎません。
ですが、私の切なる願いを満たしてくれた息子。
私は、息子を心の支えとして、十数年を過ごしてきたのです。
そのため、息子が思春期を迎え、私を必要としない言動を取るようになったとき。
私は、「誰からも必要とされない人」に逆戻りしてしまったのです。
夫や友人たちも、私を必要とする言動を投げかけてくれました。
でも、幼い子から発せられるものとは比べようがありません。
自分の親から愛されたという感覚に乏しい人は、自分が親になったとき、親から得られなかった愛情を子どもから得ようとすると言われています。
私も、そのパターンに、ドはまりしていたのです。
「かわいい息子」のお弔いをする
思春期の息子と接することが、ツラくて、いたたまれない。
「誰からも必要とされないダメな自分」が浮き彫りになるからです。
かといって、息子を罵倒したり、放置したりするのも、いかがなものか。
母が私にしていた言動を、息子にくり返したくない。
自分の心を何とかして整えて、息子に対応できるようになりたい。
とりあえず、自分の思いを深掘りし、何が一番ツライのかを探ってきました。
すると……。
私を必要としてくれたかわいい息子が、この世からいなくなってしまったことが、悲しくて仕方がない。
ああ、そういうことか。
それなら、かわいい息子がこの世からいなくなってしまったことを弔い、自分の気持ちにケリをつければ良いのではないか。
そこで、苦肉の策ではありますが、イメージの中で、かわいい息子のお弔いを行うことにしました。
まず、幼い息子、かわいらしい息子の姿をたくさん思い出していきます。
寝る前に闘いごっこをしたこと。
即興で物語を作って聞かせると、うきゃうきゃと大喜びしたこと。
しりとりをするとき、私に「うんち」と言わせたがること。
寝るとき、お腹の上に乗ってきたこと。
ひとしきり、かわいい息子を思い出した後、息子に感謝の言葉を述べます。
これまで、私を必要としてくれて、私を支えてくれて、ありがとう。
あなたがいなくなってしまうのは、とっても寂しい。
でも、あなたは、一生分の幸せを、十数年にギュッと凝縮して、私に授けてくれたんだね。
あなたからもらった幸せを胸に、これからの人生を生きていくね。
私が声をかけ終えると、幼い息子は、何人もの天使に囲まれ、キラキラと輝きながら、天国に昇っていく。
悲しさと感謝が入り混じった感情があふれ、涙がこぼれました。
思春期の息子と関わることが楽になる
イメージの中で、かわいい息子とお別れの儀式を行った後。
現実の息子と関わることが少し楽になりました。
私と一心同体のような存在だった幼い息子を弔ったため、現実の息子との間に心の距離が生まれたのです。
それに、かわいい息子が私に授けてくれた思いは、胸の中に残っているので、「必要とされる私」も満たされています。
これは良い方法だ!
そう思い、夫に伝えたのですが、非難を受けました。
「生きている息子を死んだことにするなんて、あり得ない。親のやることとは思えない」
あら、残念。
万人受けする方法ではないみたいです。
思春期の子どもと関わるとき、親がすべきことが、いくつか挙げられています。
私も、別な記事で書いてはいますが、親も人間です。
「こうしたらいいよ」という方法が、うまく使えないことがあります。
頭では理解していても、実践できないとき。
心の奥に潜む「切なる願い」が満たされないために、苦しい思いがわきあがり、行動をはばんでしまうのです。
そんなときは、「切なる願い」を見つけ出し、それを満たしながら、現実を生きていくための工夫を探していけば良いのです。
実現できないことでも、しっかりイメージすると、現実で起きたのと同じような体験を得ることができます。
私の場合は、「かわいい息子を弔う」という苦肉の策が功を奏しましたが、他の方法もあるかもしれません。
※思春期の子どもを向き合う定番的な方法については、こちら。
幼い子どもとは良い関係を築けていたけれど、思春期になって、それが難しくなったというあなた。
精神的なダメージが大きい場合は、心の傷が存在しているかもしれません。
心の傷に手当てをしながら、思春期の子どもと関わっていける方法が見つかるといいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。