子育てに親のエゴが出るのは自然なこと。暴走を防げば良いだけ。
子どもに対して、親のエゴが出てしまうのは、自然なこと。
とはいえ、親のエゴが暴走すると、トラブルが起きてしまいます。
親のエゴの暴走を防ぎ、ほどほどに留める工夫について、お伝えします。
人間はだれでも「エゴ」をもっている
「子育てに、親のエゴを持ち込んではいけない」
親に「聖人」のような役割を期待する人が、たまにいます。
子育てが楽だった人とか、関わっていない人が、そんなことを言うんじゃないのかな。
立派なことを言うあなたたち、よ~く考えてみてください。
この世の中に、「エゴ」の要素がまったくない人間はいません。
「エゴ」がないのは、悟りを開いた人だけです。
親だって、普通の人間。
子どもに対して、親の「エゴ」が出てしまうのは、自然なことです。
ちなみに、「エゴ」を広辞苑で調べてみました。
「エゴ」は、「エゴイズム」の略。
「エゴイズム」=「利己主義」。
「利己主義」の意味は、「自己の利害だけを行為の基準とし、社会一般の利害を念頭に置かない考え方」。
「自分の損得」で行動してしまうのは、人間として、しかたのないことです。
でも、「社会一般の在り方」を無視して突っ走るのは、やり過ぎですよね……。
親のエゴが、極端な方向へ突っ走り、暴走してしまうと、子どもを苦しめてしまいます。
とはいえ、「ほどほど」というのが、一番難しい!
「自分の損得」だけで、突っ走る。
「社会一般の在り方」に、ただひたすら合わせる。
どちらか一方だけを極めるほうが、簡単なのです。
「ほどほど」を実践するには、親が「自分自身を知ること」がポイント。
自分を知ることで、自分の「エゴ」が見えてきます。
見えてくると、コントロールしやすくなるのです。
親が自分の「得られなかったもの」を知る
親のエゴのベースにある、1つめの要素。
親自身が、それまでの人生で、「得られなかったもの」です。
特に、「幼少期に得られなかったもの」は、大きく影響します。
人は、だれでも、「得られなかったもの」を渇望し、手に入れようと、あがきます。
「得られなかったもの」を手に入れるために、人生を切り開いていく、と言っても、過言ではありません。
ですが、「自分では、手に入れることができない」と、あきらめることもあります。
そして、自分が「得られなかったもの」を、子どもに手にしてほしいと、切望します。
一方で、自分が「得られなかったもの」を、子どもが手にすることが、面白くない、という気持ちをもつ場合もあります。
私が「得られなかったもの」は、「母から愛されていたという実感」です。
私は、息子に、「母親から愛されていたという実感」を与えたいと思い、やっきになっています。
おそらく、私が母にしてほしかったこと、言ってほしかったことを、息子にしてあげたいのです。
息子を、私の分身と考え、私自身を、私の手で、育て直したいのかもしれません。
「得られなかったもの」を手に入れたいという「渇望」が、ベースにあるので、どうしても暴走しやすくなります。
「得られなかったもの」は、生きるために、どうしても手に入れたかったものだからです。
私の場合、親のエゴが暴走すると、必要以上に、息子を甘やかしてしまいます。
一方、息子に冷たくされると、「息子を愛する母」になりきれない自分に傷つき、急に怒り出すことも。
いや~、やっかいです。
人によっては、「学歴」、「お金」、「地位」、「名声」、「容姿」などが、「得られなかったもの」となるかもしれませんね。
親が自分の「ビリーフ(信念)」を知る
親のエゴのベースにある、2つめの要素。
親自身が、それまでの人生で身につけてきた、「ビリーフ(信念)」です。
「ビリーフ(信念)」は、強く信じ込んでいる「考え方のパターン」のことを言います。
「○○すべき」
「○○しておけば、間違いない」
「○○しないといけない」
「確信」に近いものほど、「ビリーフ(信念)」である可能性が高いです。
私の場合。
ビリーフ(信念)
母から愛されているという実感を息子に与えないといけない
↓
暴走すると
息子が私の作った料理を残すと、「美味しい料理を作れない母親は、母親失格」と思って、深く傷つく。
「ビリーフ(信念)」は、その人が信じていて、大切に思っている考え方です。
生きる指針になっていることもあります。
決して、悪者ではないのですが、「ビリーフ(信念)」に無自覚でいると、暴走しやすくなります。
暴走を防ぐために、「自覚する」
親のエゴのベースにある、「得られなかったもの」、「ビリーフ(信念)」をなくすことは、容易ではありません。
もちろん、「得られなかったもの」を手に入れて、心が満たされることで、渇望は薄れます。
「ビリーフ(信念)」も、工夫をすれば、書きかえたり、手放したりすることができます。
親のエゴの暴走を防ぐために、一番手っ取り早い方法は、「自覚する」ことです。
「得られなかったもの」を自覚するための方法
「子どもに与えたい!」と、心から願っているもの。
それを、紙に書き出します。
そして、「子どもに与えたいもの」→「そこから得られるものは何か?」と、どんどん掘り下げていきます。
最後の最後に行きついたものが、あなたが「得られなかったもの」です。
私の場合。
母親から愛されているという実感を息子に与えたい
↓
息子に幸せになってほしい
↓
私の中にいる小さな子どもの代わりに息子に幸せになってほしい
↓
本当は私自身が、母から愛されているという実感を得たかった
私の中にいる子どもの切なる願いが浮き彫りになりました。
「ビリーフ(信念)」を自覚するための方法
子どもと接していてイラッとしたときに、「頭に浮かんでいる考え」。
「頭に浮かんでいる考え」は、「ビリーフ(信念)」の入り口です。
それを、紙に書きとめていきます。
「ビリーフ(信念)」を書きとめたら、「その真意は?」と深堀りするのが、私は好きです。
正直、痛みがともないますし、切なくなりますが、自分の真意が見えてきます。
私の場合。
息子が、せっかく作った私の料理を食べない。
↓
「私が作った料理なんて、マズくて食べられないのね」
↓
「どうせ、私は料理が下手」
↓
「一生懸命頑張っても、私は人並みのことができない」
↓
「やっぱり私はダメな人間」
どの入口から入っても、私の場合、最終的に「やっぱり私はダメな人間」「やっぱり私は要らない子」に行きつきます。
なかなかに根深い「ビリーフ(信念)」です。
親のエゴのベースにある、「得られなかったもの」、「ビリーフ(信念)」を、「自覚する」。
自分自身を客観的に見ることができれば、「傾向」を把握し、「対策」を打つことも、可能になります。
「自覚すること」が難しいあなたには、難しいなりの理由があるはずです。
焦らずにいきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。