初めての「集中内観」で母への怒りは消え去った【私が自分を生きるまで②】
母に否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
「教育分析」の次に取り組んだのが、「集中内観」でした。
母との問題は「教育分析」では歯が立たなかった
私の母は、私が母の思う通りに動かないと、激怒します。
要領が悪い私は、しょっちゅう母に怒られていました。
また、母は、弟や妹と私を比べて、私がいかにダメな人間であるかを、とうとうと説きます。
ひどい言葉を投げかけられることも、よくありました。
まあ、実際、私は、できの悪い子どもでした。
なので、仕方がないなあとは思っていたのですが……。
心のどこかでは、母に対して、静かな怒りを感じていたのです。
心理カウンセラーを目指していた私は、母との関係を見つめ直そうと思い、「教育分析」を受けました。
ところが、2年ほどが経ったころ、「あなたは病理が深い」と言われ、「教育分析」を打ち切られてしまいます。
いずれにしても、母との問題は、「教育分析」では、歯が立たなかったのです。
※「教育分析」とは、心理カウンセラーを目指す人が、自身の心の問題を解決して、心理カウンセラーとして滞りなく働くために、自らも心理カウンセリングを受けることを言います。
※「教育分析」を2年で打ち切られた話は、こちら。
「集中内観」での劇的な体験
「教育分析」を打ち切られた後。
「心の問題を解決するには、教育分析より、集中内観のほうが効果的」という大学教授の言葉を思い出します。
私は、わらにもすがる思いで、「集中内観」をおこなう研修所を訪れました。
※「集中内観」とは、6泊7日で、自分自身と身近な人との関係を見つめ直し、自己理解を深める、「内観療法」のひとつの技法です。
※「集中内観」「内観療法」について、詳しくは、こちら。
初めて母に対する集中内観をおこなったとき。
母に「してもらったこと」、「して返したこと」、「迷惑をかけたこと」。
この3つの質問について、小さいころから順を追って、思い出していきます。
ですが、母に対する怒りが、ふつふつとわいてきて、止まらない!
「母にされたひどいこと」、「母にしてもらえなかったこと」ばかりが思い出されます。
そこで、「うらみ帳」というものを書くことになりました。
怒りや恨みが、次々と出てきて、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこを」を思い出すことができない、という場合。
「うらみ帳」と名づけられた用紙に、恨みや怒りを、箇条書きで書いていくのです。
私は、母に対する怒りや恨みを、90個ほど、書きました。
この個数に、母への怒りや恨みの蓄積を感じます。
母に言えなかった怒りや恨みを、書きなぐり、ぶちまけていく、不思議な爽快感。
かなり集中して取り組みました。
「うらみ帳」を書き終えたら、それを内観研修所の所長に預けます。
恨みや怒りをすべて吐き出した感じで、スッキリしました。
その後、改めて、母に対しての内観をおこなったところ。
いきなり、胎児の私のイメージが、体感もともなって、生じたのです!
母の子宮の中で、ぬくぬくと育っている。
いい気持ち。
本当は子宮から出るのが嫌なんだけど、しょうがない。
身体を縮めて、ぬるぬると産道を通っていき、生まれ落ちる。
思いがけないイメージが現れたことに、動揺しました。
でも、母に対する感謝が強くわきあがり、涙がとまりませんでした。
母は、胎内で私を10ヶ月もの長い期間、育んでくれた!
そして、命をかけて、私を産んでくれた!
「集中内観」で得たもの
母への怒りがなくなった
初めての集中内観で得た、最大の効果。
わずか、1週間で、母に対する怒りがなくなりました!
集中内観を通して、気づいたことがあります。
私は、「理想の母」を追い求め、そうではない母に、怒りを感じていた。
変なたとえですが、ダチョウである母に、シラサギのように優雅に空を飛ぶことを求めていたのです。
私は、空を飛ばずに、地面をドスドス走り回っている母に、腹を立てていた、ということ。
ですが、集中内観を通じて、「母の身の丈」が見えてきました。
たとえて言うなら、母は、シラサギ、つまり、理想的な母親ではありませんでした。
でも、ダチョウとして、精一杯、私に愛情を注いでいたのです。
私への接し方に物申したいことは山ほどあるけれど、あれが母の精一杯だったんだ。
母は、あれ以上でも、あれ以下でも、なかった。
母に、母ができないことを求めるのは、意味のないことだ。
「母の身の丈」を実感すると、怒りがしずまっていきました。
自分の未来が変わった
集中内観で得た、もう1つの効果。
自分の将来についての考え方、行動が変わりました。
大学院の修士課程で臨床心理学を学んでいた私。
ある授業で、自分のライフコース(将来の設計図のようなもの)を作成することになりました。
当時、私は、20代後半でしたが、結婚することなど、考えたこともなく。
「子どもを産む=自分の遺伝子を残す」、なんてこと、子どもがかわいそう過ぎて、できない!
そう思っていました。
それ以上に、34歳以降の自分の姿が、まったく思い浮かびません。
それで、「34歳で死ぬ」ことにしたら、教授がドン引きしていました。
そんな筋金入りのネガティブ思考人間である私。
集中内観を通じて、「子どもを育てる経験をしてみたい。そのために、結婚もしてみたい」と思うにいったのです!
その後、36歳で結婚。
38歳の誕生日の3日前に、息子を出産。
集中内観に行っていなければ、あり得なかったことです。
自分を生きるための鍵が、自分に戻ってきた
集中内観にいって、素晴らしい成果が得られたのですが……。
しばらく経つと、「自分はダメだ!」という気持ちが強くなり、苦しくなりました。
地獄の業火で焼かれるようなツラさ。
母や父はもちろん、周りの人たちが、私を大切に思ってくれていることは分かるし、ありがたく思います。
ですが……。
ダメな私を、世界中の人が受け入れてくれたとしても、私は、ダメな私を、決して許さない!
そんな気持ちが、あり得ないほど、強くなってしまいました。
つらくはありましたが、これは、「前進」でした。
自分を生きるためのカギが、自分に戻ってきた感じです。
人のせいにしているうちは、逃げ場があって楽ですが、それ以上の進展はありません。
自分のせいになったときは、逃げ場がなくて、本当に苦しい。
でも、あきらめなければ、最終的に、「自分を生きていけばいいんだ」という心境に近づいていきます。
自分の思い通りに動かすことができるのは、自分だけだからです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
※続きはこちら。内観を深めることで、「自分を許さない」と思う根本原因が分かりました。