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教育分析は2年で打ち切られた【私が自分を生きるまで①】

2024年12月5日

母に否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

最初に取り組んだのが、「教育分析」でした。

 

「教育分析」への準備と不安

 

「教育分析」とは。

心理カウンセラーを目指す人が、自身の心の問題を解決し、心理カウンセラーとして、とどこおりなく働けるように、自分自身も心理カウンセリングを受けることを言います。

 

私は、臨床心理学専攻の大学院を修了して、念願の「教育分析」を受けました。

大学院を修了後、心理カウンセラーの仕事に就いており、スキルアップしたかった、というのが、表向きの目的。

本当の目的は、母に対する怒りや恨みを解消し、心軽やかな日々を過ごしたかったのです。

 

教育「分析」と、名前がついているぐらいだから、精神「分析」療法じゃないとダメでしょう。

そう考えて、「精神分析療法」で有名な先生に、「教育分析」をお願いすることにしました。

今から思えば、かなり浅はかな考えですよね。

残念だけど、私には、そういうところがある……。

 

「教育分析」を受ける前、私は、「門前払いをくらうかもしれない」と不安を感じていました。

母との問題を解決することは、一筋縄ではいかないだろう。

問題が重すぎて、「教育分析」では扱ってもらえないかもしれない。

 

それで、精神分析療法家の先生のオフィスを初めて訪ねたとき。

私は、自分の生い立ちを詳細に書き記した文書を持っていきました。

その先生が、「私は、相手の状況を見聞きしただけで、全ての見立てを立てることができます」とおっしゃっていたのを聞いたことがあったからです。

 

先生は、私が持参した文書に目を通し、何もおっしゃりませんでした。

私は、一次審査に通ったようで、すごく嬉しかったのを覚えています。

 

教育分析(精神分析療法)の実際

 

教育分析(精神分析療法)を行うにあたって、精神分析療法家の先生からは、「頭に浮かんだことを正直に話すほど、自分が見えてくる」と言われました。

「精神分析療法」では、相談者(クライエント)が、頭に浮かんだことをそのままに話します(これは「自由連想」)。

そして、精神分析療法家(精神分析療法をおこなう専門家)の先生が、どこに課題があるかなどを提示したり(これは「直面化」)、原因を教えてくれたりするのです(これは「解釈」)。

 

私は、一生懸命に話をしました。

純粋に頭に浮かんだことを話すと、「今日は暑い」とか、「お腹がすいた」などになってしまって、もったいない気がする。

それで、「母に関して、頭に浮かぶこと」を話しました。


先生は、たいてい、私の話を黙って聞いています。

そして、1時間の最後に、先生の感想や、私の課題がどこにあるかなど、話してくれました。

 

先生のもとへ通っていれば、母との問題が解決するはず!!

そんな期待を抱き、週1回、先生のもとへ、せっせと通い続ました。

 

ちなみに、教育分析の費用は、1時間10,000円。

大学院を修了し、働き始めたばかりの私にとって、安い金額ではありません。

 

でも、自分の課題が解決するのであれば、なんてことはない!

自分の未来に投資するような気持ちでいました。

 

打ち切られた「教育分析」

 

ところが、「教育分析」が始まって、2年が経とうとしていた頃。

 

私が仕事でおこなっていた心理カウンセリングの様子を、先生に話したら……。

先生から、私の対応がいたらない、ということを指摘されました。

その通りには違いない。

ですが、信頼していた先生に否定された気がして、私はとても傷ついてしまいました。

 

それで、その翌週、「頭の中に浮かんだことを正直に話す」という先生の教えを実践します。

私は、「先生に言われたことで、ガッカリしました」と、涙ながらに訴えました。

かなりの勇気をふりしぼって伝え、話した後は、息をこらして、先生の反応を待ったのです。

 

先生は、しばらく黙っていた後に、口を開きました。

 

あなたは病理が深い。

悩みを相談するだけの人ならいいけれど、心理カウンセリングを仕事にしているから、治療が難しい。

治すのに、10年はかかる。

私は、年だから対応できない。

もう終わりにしましょう。

 

その翌週が、最後の「教育分析」となりました。

 

裏切られたという衝撃。

見捨てられたという、身を切られるようなつらさ。

 

でも、どこかで、「やっぱりそうくるよね。しかたない」と、あきらめる私がいました。

 

悲しみの中で得たもの

 

精神分析療法家の先生は、それから7~8年後に亡くなりました。

「年だから対応できない」というのは、間違いではありませんでした。

 

人間には寿命がある。

先生は、自分でそれを察することができたんだ。

すごい人だよね~。

 

何度も、自分にそう言い聞かせました。

ですが、先生に反抗するような話をした直後に、「教育分析」を打ち切る話が出されたのは、私にとってかなりの痛手でした。

 

私はダメな人間だから、ありのままの自分で接すると、大切な人に不快な思いをさせ、相手から嫌われてしまうんだ。

 

そんな気持ちになりました。

私が母に対して抱いていたのと、同じ気持ちでした。

 

それに、その精神分析療法家の先生は、自分が対応できないかわりに、別の先生を紹介することはありませんでした。

どうしてそうされたのか、分かりません。

ただただ、見捨てられた感じが強まっていきました。

 

とはいえ、悲しい思いに明け暮れた一方、精神分析療法家の先生からいただいたものが、たくさんあります。

 

母に求めていた「温かさ」

私は、先生が、私の話に笑い、感想を言い、普通に会話をするように関わってくれる瞬間が、好きでした。

私は、温かい存在を求めていたのです。

優しい理想の母に話をするように、たくさんたくさん話をしました。

 

心理カウンセラーとしてのスタンス

心理学の教科書には、「精神分析療法家の存在は、鏡のように相手の存在を映し出すものだから、反応をしてはいけない」と、書いてありました。

そのため、「精神分析療法家」、そして、「心理カウンセラー」というものは、相手の話にリアクションをしてはいけない存在だと思い込んでいたのです。

 

ところが、先生は、私の話に、表情豊かに、リアクションしてくださいました。

先生が反応してくれると、「あなたの話に興味がありますよ。あなたの存在を受け入れますよ」と言ってもらえている気がして、すごく嬉しかったのです。

 

私自身、今現在、心理カウンセラーとして働いていますが、クライエント(相談者)の話をうかがうとき、リアクション豊かに応答しています。

先生から、心理カウンセラーとしてスタンスを、勝手に学んだのです。

 

自力で頑張る力

私は、つらい時に、だれかに頼りたくなるクセがあります。

だれかに寄りかかって、その人に助けてほしい、と思ってしまうのです。

「他力本願」ですね。

 

でも、「教育分析」が打ち切られた後。

私は、できるだけ自力で、自分を知るための道を切り開こうと努力しました。

先生は、「人に頼らず、自分で道を切り開きなさい」と、身をもって私に教えてくれたのです。

 

ネガティブな体験をした時は、それと同じだけ、ポジティブな体験も手にしています。

人生プラスマイナスゼロです。

 

※続きはこちら。教育分析の次は、集中内観にトライします!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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