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相手から嫌がられる自分に対する認識を変えることができたのは

相手から嫌がられる自分が悲しかった私。

ですが、興味深い体験から、自分の認識を変えることができました。

 

相手から嫌がられる私

 

相手から嫌がられてしまう。

 

スクールカウンセラーとして、カウンセリング業務に携わっている私は、そのことで悩んでいました。

 

個性的なクライエント(相談者)からは好まれ、常連さんのような生徒や保護者がいる一方で。

繊細なクライエントからは敬遠され、カウンセリングが中断してしまうのです。

 

つらい思いを抱え、勇気を出してカウンセリングを受けにきてくれたのに、私のせいで中断してしまう。

私ではないカウンセラーだったら、悩みをじっくり相談できて、解決だってできたはず。

クライエントの方々には、本当に申し訳なくて、たまらない。

 

研修を積み、自己探究を重ねたら、相手から嫌がられることが減るのでは、と期待していたのに。

繊細なクライエントから敬遠される状況は、なくなりませんでした。

 

相手を不快にする自分が悲しい

 

相手から嫌がられてしまう自分自身を深掘りしてみよう!

 

「ハコミセラピー」の仲間とセッション練習をする際、そのことを取り上げてみることにしました。

 

私は、ここ10年弱にわたり、「ハコミセラピー」という、まだまだマイナーな心理療法を学んでいます。

「ハコミセラピー」は、「マインドフルネス」の状態を用いて、心と身体の両方に働きかけていく心理療法。

言葉を交わす心理療法より、無意識の深いところに手が届くため、問題解決の糸口が見えてきたり、自分が本当に求めているものが何であるかが分かってきたりします。

トラウマなどを癒すにも、自己探求を深めるにも、最適なツールです。

 

私は、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていく「マインドフルネス」の状態になります。

そして、「マインドフルネス」の状態のまま、カウンセリングが中断したクライエントのことを思い出していくと。

 

次第に、不思議なイメージが浮かび上がってくるではありませんか。

 

私の毛穴から、黄色いガスのようなものが吹き出てきて、辺りの空間が黄色くかすんでくる。

この黄色いガスは、一種の毒ガス。

吸い込む相手を不快にさせ、人によっては再起不能にしてしまう!

 

害毒をまき散らしている自分自身の姿に、ガッカリして、悲しくなっていきます。

こんな状態では、私に近寄る人など、いるはずがありません。

 

毒ガスの正体と対人恐怖

 

黄色い毒ガスの正体に、私はピンとくるものがありました。

 

浮かんできたのは、事あるごとに私をののしり、罵倒していた母の姿。

母には、私を罵倒でもしていないとやりきれない様々な事情があったのですが、幼い私には知るよしもありません。

幼い私は、「私はママを嫌な気持ちにする何かをもっている」と信じ込むようになったのです。

 

「母を嫌な気持ちにする何か」をイメージ化したものが、黄色い毒ガス。

そして、黄色い毒ガスは、かつて私が苦しんでいた対人恐怖を説明するのにもピッタリ。

 

私の身体から出ている毒ガスのせいで、相手をものすごく不快にさせてしまう。

毒ガスが出ないように、必死で「良い人」をとりつくろうけれど、相手がいつ毒ガスに気づいてしまうか、気が気でない。

身体から毒ガスが出ている私が、相手から嫌われるのは必然だから、怖くて相手に近づけない。

 

自己探究を重ねた結果、「嫌われても死なない」「一般受けしない私でも好んでくれる人がいる」ということに気づき、対人恐怖はやわらいでいきました。

ですが、「相手を嫌な気持ちにする何かを発している私」という感覚が、まだ残っていたのです。

 

自分に対する認識が変わっていく

 

さて、「ハコミセラピー」のセッション練習でにおいて。

私が黄色い毒ガスのイメージに包まれながら、しょんぼりしていると。

相手(セラピスト役)が声をかけてきました。

 

あなたを歓迎しますよ。

 

すると、私の周りに、わらわらと人が集まってくるイメージがわいてきました。

 

生まれつき毒に強そうな人とか、弱い毒を飲み続けて毒への耐性ができたような人もいるけど。

そうは思えないような繊細な人たちもいる。

私から出ているのは、本当に毒だろうか?

 

そんなことを思っていると。

黄色い毒ガスが、クサヤという魚の干物を焼いた煙に変わっていきます。

 

くさくて鼻が曲がりそうなクサヤでも、その美味しさがクセになる人もいる。

そうか、私は、クサヤ的な人間なんだ。

万人受けはしないけれど、通な人には好かれる。

 

妙な安心感が広がっていきました。

 

すると、私は、相手に嫌がられるに違いないと思いながら、クライエントに接していた、ということに気づきます。

繊細な人だったら、私が相手を警戒していることを察知し、同じく警戒態勢になることでしょう。

互いに警戒し合っていたら、カウンセリングに必要な関係性を築けるはずがありません。

 

そのことに気づいてからは。

自分に対する認識をあえて自覚して、クライエントに接することにしました。

 

私は、クサヤ人間です。

焼くとクサイ臭いが出るけれど、意外と美味しいよ。

よかったら、ご賞味あれ。

 

繊細なクライエントとの関係が、今度、どんな風に変わっていくか、楽しみです。

 

 

日常生活や仕事で感じる悩みが、実は根源的な課題とつながっていることがあります。

「そんな些細なこと」とないがしろにせずに、丁寧に扱っていくと、意外な発見につながるかもしれませんよ。

発見がたくさん積み重なって、人生が豊かになっていたら、素敵です。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

※「嫌われても死なない」と気づいたことについては、こちら。

 

※「一般受けしない私でも好んでくれる人がいる」と気づいたことについては、こちら。

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