自分の頑張っている部分をエンパワメントする【私が自分を生きるまで㉕】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
苦しい思いをするのは、「私を責める内なる声(自責の念)」が原因だと気づいてから、自責の念を静かにする方法を試行錯誤するようになりました。
ところが、ある日、私の頑張っている部分にスポットライトを当てることで、興味深い体験をしたのです。
自分の頑張っている部分に注目し、エンパワメントすることも、心を整えるために必要であることについて、お伝えします。
自責の念が騒ぎ出す、いつもの自分
ほんのささいなことで、私を責める内なる声(自責の念)が騒ぎ出します。
たとえば、先日、勤務している学校で、ある教員から言われました。
- 日本だと、スクールカウンセラーって、軽く見られがちですよね。
- 私が海外の学校で働いていたとき、スクールカウンセラーは常駐していて、誰もが敬意を払っていました。
- 日本だと、保護者は、スクールカウンセラーを教員より下に見てしまうんですよ。
多くの人は、「日本と海外の文化が違うんだろうなあ」ぐらいにしか思わないでしょう。
でも、私は、私を責める内なる声が騒ぎ出すため、気持ちが動揺していくのです。
日本でも、力のあるスクールカウンセラーは、みなから敬意を払われる。
私は、能力がないから、みなから軽んじられる。
どんなに頑張っても、ダメな人間は、結果を出せずに終わっていく。
やり取りをしていた教員に対しては、「そうなんですね~」と笑顔で返したものの。
いつものパターンにはまり、しょんぼりしてしまった私。
自分を責める内なる声に対処する気力もなく、帰宅後は、早々に寝てしまいました。
寝るのは、ある意味、最終手段。
寝ることで、自分を責める内なる声をシャットダウンするのです。
※気力と体力があるときは、自分を責める内なる声(自責の念)に対処しています。
落ち着いて冷静な自分がいる?
そんなある日。
「ハコミセラピー」で、「身体に現れるもの」を取り上げ、深めるという機会がありました。
ちなみに、「ハコミセラピー」は、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーでして、私の心のよりどころとなっています。
「身体に現れるもの」は、姿勢、動作、態度、しぐさ、口調、声のトーン、話し方などを指し、「非言語的メッセージ」とも言われるものです。
さて、その日は、私の「身体に現れるもの」を、私以外の三人が観察するところから始まりました。
私は、部屋の入り口から入って、しばらく歩き回り、座布団に座って、仕事上の悩みを話します。
私の一連の動作を観察していた人たちは、「前より落ち着いて、冷静な感じがする」とのフィードバック。
ええっ!?
私は、仕事上で、落ち込むことがしょっちゅうだし、悩んでばかり。
落ち着いて、冷静な要素なんて、ないんですけど。
私が認識している自分とは、あまりにもかけ離れたフィードバックに、驚きながらも、興味を覚えた私。
私がクライエント役となり、セッション練習を行う際、「落ち着いて冷静な感じ」を取り上げることにしました。
クライエント役の私は、目をつぶり、ゆっくりと深呼吸をしながら、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくという、「マインドフルネス」の状態になります。
「マインドフルネス」の状態で、自分の身体の内側に意識を向けていくと。
たしかに、静かで、落ち着いた感じがする。
「マインドフルネス」の状態のまま、静かで落ち着いた感じをじっくり感じていきました。
自分の頑張っている部分に注目する
自分の頑張っている部分が浮かび上がる
「マインドフルネス」の状態で、静かで落ち着いた感じに意識を向けていくと。
別のイメージが浮かび上がってくるではありませんか。
じっくり考えたことを、黙々と遂行していくイメージ。
そのイメージは、キャラクターとして浮かび上がってきました。
実は、私は、自分の心の中をキャラクター化し、自己理解をはかっているのです。
じっくり考えるキャラクターは、「なおぞう君」。
黙々と実践していくのは、「ソルジャーなお」。
「なおぞう君」が、たくわえた知識や、状況を見て判断したことをもとに、考えを練り、アイディアを出す。
すると、「なおぞう君」の前方にいる「ソルジャーなお」が、その指示に従って、任務を遂行していく。
「ソルジャーなお」が遂行した結果が、「なおぞう君」にフィードバックされる。
結果を受けて、「なおぞう君」がさらなる検討を行い、新たなアイディアを出す。
ふと、「任務遂行ブラザーズ」と名づけてしまった、二人の男性陣。
よどみなく前後に動く楕円形の流れを作り、任務を遂行していくのです。
自責の念が立ち現れてくる
「任務遂行ブラザーズ」の流れを感じていると、左側からその流れを眺めている三人組の姿が浮かんできました。
思わず、「自責の念シスターズ」と名前をつけてしまった、三人の女性陣です。
指示と叱責を連発する「タカハシさん」。
出来の悪い私を罵倒する「なおなお」。
ダメ人間の私を嘆き悲しむ「きいちゃん」。
「自責の念シスターズ」は、早速、いちゃもんをつけ始めます。
「タカハシさん」は、このところ、自責の念を消すタッピングの影響で、影が薄いのですが。
「なおなお」は、元気いっぱいで、「任務遂行ブラザーズ」を罵倒する言葉を吐きます。
あんたたちは、もともとヘッポコなのよ。
いっちょ前に、任務遂行なんて言ってるけど、結果が出てないでしょ。
周りの人を納得させるような素晴らしい結果を出さなくちゃ、何もやらないのと一緒。
「なおなお」の罵倒の声を聞くと、今度は、「きいちゃん」の嘆き悲しみが始まります。
やっぱり私は要らない子なんだ。
もともとがダメ人間だから、どんなに頑張っても、良い結果が出ない。
いつもの私のパターンが立ち現れてきたのです。
自分の頑張っている部分をエンパワメントする
「自責の念シスターズ」の声が響き渡ると。
「任務遂行ブラザーズ」は、ちょっと気圧され、楕円形の流れが少し遅くなります。
でも、「やれやれ。また始まったよ」といった感じで、あまりダメージを受けていません。
すぐに、楕円形の流れが、もとの速度になり、任務遂行モードに戻っていくのです。
「自責の念シスターズ」の声に揺るがないほど、「任務遂行ブラザーズ」はしっかりしている。
そのお陰で、私に「冷静で落ち着いた感じ」が生まれているんだ。
思い返すと、以前より、仕事のミスが減っているかも。
「任務遂行ブラザーズ」の地道だけれど、ゆるがない在り様に、胸が熱くなってきた私。
私のセッションを見ているセラピスト役、オブザーバー役の人たちにお願いして、「任務遂行ブラザーズ」に励ましの声をかけてもらうことにしました。
本当によく頑張っているね。
あなたたちのお陰で、仕事も、作業も、はかどっていくよ。
毎日、ありがとう。
「マインドフルネス」の状態で、かけてもらった声を聞いていると。
胸にジーンとした熱いものがこみ上げ、涙があふれてきました。
注目を浴びることがなくても、黙々と働いてきた「任務遂行ブラザーズ」。
承認欲求のようなものがない、無欲な存在。
無欲ではあるけれど、感謝やねぎらいの言葉をかけてもらうと、感無量になる。
「任務遂行ブラザーズ」が感無量になっている感覚。
私自身が「任務遂行ブラザーズ」に心から感謝する感覚。
それらを、じっくりと味わうと、エンパワメントされる感じが広がっていき、セッションが終わりました。
※心の内面をキャラクター化し、自己理解をはかっていることについては、こちら。
自分の心の内面には様々な部分がある
一般社会でも、声の大きい人に注目が集まり、その人の意見が通りがち。
それに、できていること、やれていることは、当たり前のこととして、スルーされてしまうのも、世の常。
私の心の中でも、同じことが起こっていました。
普段は、「自責の念シスターズ」の声が、心の中に響き渡っていることが多いので、どうしても、そちらに気が取られてしまう。
それではいかんと思い、心身の調子が良いときは、「任務遂行ブラザーズ」の二人のことも、チヤホヤするよう心がけてはいても。
「任務遂行ブラザーズ」の働きは、当たり前のこととして、ついつい、スルーしてしまうのです。
「ハコミセラピー」のセッション練習でも、自分の悩み事から入ることが多いので、どうしても「自責の念シスターズ」が主役になってしまうのよね。
でも、今回、「ハコミセラピー」のセッションで、「任務遂行ブラザーズ」、つまり、自分の頑張っている部分にスポットライトが当たったことで、私自身がエンパワメントされました。
心が軽くなり、元気がみなぎり、「明日から頑張るぞ~」という気持ちになれたのです。
心を整えるためには、自分自身の心の内面が、様々な部分でできていることを、改めて自覚することが大切だと感じました。
そして、普段は意識が届きづらい、自分の頑張っている部分に注目し、エンパワメントすることで、心のバランスが保たれます。
セルフケアも欠かせませんが、他者から声をかけてもらうと、効果倍増です。
※自分自身をエンパワメントする別な方法については、こちら。
「心軽やかな日々を送りたい」という執念にも似た願いのもと、自分自身の探究を続けてきた私。
嫌われることへの恐怖はなくなってきましたが、「一流になれない自分を許せない」という部分が、どうしても騒ぎ出し、苦しくなります。
ですが、自分の心を整えていくためには、自責の念ばかりに注目するのではなく、自分の頑張っている部分に気づき、エンパワメントすることも大切だと痛感しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※様々な努力の末、自分の全てとつながるという体験を得ました。