ひと筋縄ではいかない「自責の念」の正体と攻略法
生きづらさ、苦しさを抱えて、生きてきた私。
「心軽やかな日々を送りたい」という執念にも近い願いのもと、自己探究を続けてきました。
そして、苦しさの根源に、「自責の念」があるということに気づいたものの、いやはや、そう簡単には解きほぐれなくて。
今回は、ひと筋縄ではいかない「自責の念」が三重構造になっていたことと、各々の特徴、正体、攻略法について、お伝えします。
ひと筋縄ではいかない「自責の念」が苦しさの根源
生きるのが苦しい。
高校生の頃から、そうした思いにさいなまれてきました。
それでも、何とか頑張っていたものの。
就職して2年目、人事異動になったことを機に、「私は会社の駒に過ぎないんだ」と痛感。
徐々に、精神的に追い込まれていきます。
人と話すことが、怖い。
周りのものが、別次元にあるみたいに、ぼんやりしている。
心の中が、ものすごく苦しい。
おそらく、解離性の症状が出ていたと思われますが、当時の私は知るよしもありません。
残念ながら、心療内科のクリニックでは、「通院するほど重症ではない」と言われて、おしまい。
心理学を学べば、自分の苦しさを解くカギが見つかるかもしれない!
そう思った私は、退職し、心理学科のある大学へ学士入学しました。
その後も、大学院で学び、心理カウンセラーとして働くようになってからも、自己探究を続けていったのです。
初めうちは、苦しさの原因が、母との関係にあると信じていました。
母は、出来の悪い私に腹を立て、気が済むまで罵倒するところがあったからです。
そのため、母に対する怒りがなくなったら、全て解決すると思っていました。
ところが、母への怒りがなくなっても、苦しさはなくなりません。
「心軽やかな日々を送りたい」という執念にも近い願いのもと、苦しさの原因を、とことん、とことん、探究してくと。
自分で自分を批判し、否定し、出来の悪さを嘆く、「自責の念」が、苦しさの根源にあることに気がつきました。
「自責の念」に対処していけば良い。
そう思ったものの、あり得ないほどに、頑強。
ちょっとやそっとでは、「自責の念」がなくらないのです。
それでも、あきらめずに、苦しさの根源を探究し続けていくと。
「自責の念」が三重構造になっていることに気づきました。
そりゃあ、三重構造なんて、スゴイものになっていたら、ひと筋縄ではいきませんわ~。
「自責の念」の仕組み(三重構造)とその攻略法
長年にわたる、悪戦苦闘、試行錯誤の末。
私自身の「自責の念」が、三重構造になっていることが分かりました。
その仕組みをひもとくにあたって、各々の特徴、正体、攻略法について、お伝えします。
指示と叱責を連発する「自責の念」
指示と叱責を連発する「自責の念」の特徴
私の母の言動や思考を取り入れたような存在です。
「自責の念」の三重構造のうち、一番上の階層にあたります。
目指すべき「理想の姿」があり、それに近づくよう指示を飛ばしまくる。
そして、ちょっとでもうまくいかない気配を感じると、叱責の嵐。
ただ、この「理想の姿」が、クセモノでして。
ひとことで言えば、「完璧な人間」なのですよ。
頭の回転が速く、気が利き、有能で、何事も的確にこなし、みなから好かれる。
私のような凡人が、「理想の姿=完璧な人間」になれるはずがないので、私の内側で、指示と叱責がやむことがありません。
たとえば、人と関わるときに、指示が次々と出されます。
- 相手に対して、決して失礼があってはいけない。
- 自分のほうから、相手に愛想よく話しかけ、相手から好かれないといけない。
- 相手が興味をもつような、気持ちが楽しくなるような話題じゃないと、ダメ。
- 相手には、ほんのちょっとでも、不快な思いをさせてはいけない。
- 黙っていたら、相手を嫌な気持ちにさせてしまうから、すぐさま、気の利いたことを言わないといけない。
私が、どんな話題を出したらいいか、困っていると、容赦ない叱責が飛びかいます。
- 気の利いたことの1つも言えないなんて、情けない。
- 相手を不快な気持ちにさせるなんて、最低な人間がすること。
- そんなだから、みんなに嫌われる。
- ろくに会話もできない人間は、誰にも相手にされない。
最終的に、人と関わることが怖くなり、気がふさいでしまいます。
指示と叱責を連発する「自責の念」の正体
「認知・思考的フラッシュバック」でした。
精神科医である杉山登志朗先生によると。
「認知・思考的フラッシュバック」とは、心理的虐待を受けて育った子どもが、成人をした後も、何事かに取り組もうとすると、そのたびに、「どうせ自分はできない」「何をしても自分はダメな人間だ」という考えが浮かんでくる。
これもまた、虐待者に押しつけられた思考の再体験である。
つまり、私が何かに取り組もうとするたびに、母に押しつけられた思考が、反射的に再体験されていたのです。
※杉山登志郎(2021)「テキストブック TSプロトコールー子ども虐待と複雑性PTSDへの簡易処理技法ー」日本評論社
指示と叱責を連発する「自責の念」の攻略法
杉山登志朗先生が提案する「フラッシュバックを軽減させる治療法」の1つ、「手動処理」を試したところ。
「認知・思考的フラッシュバック」、つまり、指示と叱責を連発する「自責の念」が、ぴたりと消えました。
「手動処理」は、身体のいくつかの部位をタッピングするだけ。
フラッシュバックは、脳の過覚醒によって生じるので、タッピングによって、脳の神経回路を鎮めるようです。
※「認知・思考的フラッシュバック」、「手動処理」について、詳しくは、こちら。
出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」
出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の特徴
私の母の思考を取り入れてはいますが、もっと子どもじみた存在です。
「自責の念」の三重構造のうち、真ん中の階層にあたります。
前述した「手動処理」を行っても、自責の念が出てくる場合は、この存在のせい。
指示と叱責を連発する「自責の念」と同様、「理想の姿=完璧な人間」を目指しています。
しかも、周りの誰よりも秀でた「一流の人間」でなければ、納得しません。
「一流の人間」になれていない私に気づくと、激しく罵倒してきます。
考えてもみてください。
私のような凡人が、「一流の人間」になれるはずがないではありませんか。
そんな訳で、出来の悪い私を罵倒する声が、私の内側から、なくなることはありません。
たとえば、私が仕事でミスをすると。
- 長年鍛錬を積んでも、使いものにならないようなポンコツは要らない!!
- こんな使えないヤツは、死に絶えればいい!!
- 世界中のみんなが私を許しても、私が私を絶対に許さない!!
とことん罵倒してくるため、心が折れてしまいます。
出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の正体
一流でありたい「内なる子ども(インナーチャイルド)」でした。
私のように、母から愛され、受け入れられたという体験に乏しい場合。
「母から認められたい。母に愛されたい」という執着が、「自分はスゴイ人になれる」という幼児的万能感(幼い子どもが、自分はスゴイと思っていること)と結びつき、「スゴイ人になれば、母から認められる」という考えに固まってしまいます。
しかも、私の場合、幼少期の環境から生まれた「母から認められなければ、死んでしまう」という考え(コア・ビリーフ)が根源にあるため、「スゴイ人になれない自分」を受け入れることが難しくなるんです。
幼い子どもにとって、親から見捨てられることは、命に関わる問題ですからね。
そのため、「スゴイ人になれない自分」「一流にはほど遠い自分」を目の当たりにすると。
もう、ガッカリして、腹が立って、やりきれなくて。
自分自身を罵倒せずにはいられないのです。
出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の攻略法
一番効果があった攻略法は、「感謝すること」。
たとえば、一流でありたい「内なる子ども」が、仕事でミスをした私を罵倒しているとき。
その「内なる子ども」に、声をかけていきます。
- 仕事でミスをした私を、叱咤激励してくれているんだね。
- 一流になるよう頑張れ~って、鼓舞してくれているんだね。
- いつも、私のことを気にかけていてくれているんだね。
- いつも、私の幸せを願ってくれて、本当にありがとう。
不思議なもので、私の母がかけられたら喜びそうな言葉をかけると、静かになっていきます。
私の母が、私の幸せを願っていながら、罵倒して脅し、矯正する方法でしか、私に関われなかったことを暗示しているようです。
※出来の悪い自分を罵倒する「自責の念」の正体や、攻略法について、詳しくはこちら。
ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」
ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の特徴
ちょっとでもうまくいかないことや、不安なことがあると、うじうじと自己否定を始めます。
「自責の念」の三重構造のうち、一番下、根源の階層にあたります。
前述した一流でありたい「内なる子ども(インナーチャイルド)」の後ろに潜んでいる感じ。
他の2つの「自責の念」と同様、「理想の姿=完璧な人間」を目指しています。
そして、「人と比べて劣っている」ということに過敏です。
ちょっとしたことでも、「私はダメだ」と悲観し、自己否定の沼に沈んでいきます。
そこに、上述した2つの「自責の念」に責められることが加わると、お先真っ暗な状態に。
- やっぱり私は要らない子。
- 私はどんなに頑張ってもダメな子。
- 私みたいな子は、この世に要らない。
- 死んだほうがいい。
私の全身が、自己否定で打ちくだかれ、悲しみで覆い尽くされ、機能が停止状態になります。
最終的に、身動きができないほど、落ち込んでしまうのです。
ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の正体
「自分はダメな子」と信じ込んでいる「内なる子ども(インナーチャイルド)」でした。
おそらく、私が、3歳半~4歳半のころ。
母が父方祖父母と同居し、泣き暮らすほどツライ思いをしていたとき、私の中で生まれた「内なる子ども」です。
当時、母は、新しい生活に慣れず、嫁姑の問題に苦しみ、幼い私に構うゆとりがなかったのでしょう。
私は、母から見捨てられたように感じ、「私は要らない子」と思うようになったに違いありません。
その後、私が母の思い描く「良い子」にはほど遠かったことと、1歳年下の弟の出来が良かったことが、事態を悪化させていきます。
弟ばかりが褒められ、母に可愛がられる一方で、私は怒られ、母の気が済むまで罵倒される。
そうした環境のもと、「やっぱり私は要らない子」「私はどんなに頑張ってもダメな子」という信じ込みが、深く深く定着していったのです。
ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の攻略法
一番効果があった攻略法は、「優しい言葉をかけること」。
「自分はダメな子」と信じ込んでいる「内なる子ども」が、嘆き悲しんでいるとき。
まず、気持ちに寄り添い、共感する言葉をかけていきます。
- あんなに頑張ったのに、うまくいかなくて、ガッカリしちゃったね。
- これから、大変なことになったらどうしようって、心配になっちゃうね。
- 「やっぱり私は要らない子」「私はどんなに頑張ってもダメな子」って思うと、すっごく悲しくなっちゃうね。
次に、「内なる子ども」がかけてほしい言葉、切なる願いにふれるような言葉をかけていきます。
- ママのお気に入りになりたくて、頑張っていたんだよね。
- ママから、「なおちゃんのことが、世界で一番大好きよ」って言われたかったんだね。
- ママの宝物になりたかったんだね。
「内なる子ども」の願いにふれるような言葉をかけると、涙がこぼれ、嘆き悲しみが鎮まっていきます。
※ダメ人間の自分を嘆き悲しむ「自責の念」の正体や、優しい言葉をかけることについて、詳しくはこちら。
いずれにしても、「自責の念」の底辺には、「母から愛されたい」という、幼い私の切なる願いがあります。
攻略法に関しては、試行錯誤、悪戦苦闘の末、私に一番ピッタリくるものが見つかっただけ。
人それぞれ、ツボというか、ピタッとくるポイントは、違うはずですので、ご参考までに。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。