自分の身体に意識を向けたら意味深いメッセージが現れた
初めて自分の身体の感覚に意識を向けたとき、両腕が肩から切断されたように消えてなくなるという感覚に襲われました。
そのときは、不快極まりない体験としか思えませんでした。
ですが、そこに意味深いメッセージがあることを知り、身体(無意識)の知恵の凄さを痛感したことについて、お伝えします。
身体感覚は私自身の課題を浮き彫りにした
生まれて初めて、自分の身体の感覚に意識を向けたとき、あり得ないほど不快な体験をしました。
大学院(臨床心理学専攻)の授業で、「フォーカシング」を学んでいたときのことです。
両腕が肩から切断されたように消えてなくなる。
イスに座ったままの身体が、ぐるんと前方向に、一回転する。
頭の上のほうから、私を責める女性の声が、聞こえてくる。
身体の中で起きている感覚(気になる感じ)を頼りにして、自分自身にふれていく「フォーカシング」。
自分をより深く知ることができ、自己成長や悩みの克服をうながすと言われています。
当時、不快な体験をしたのは私だけだったため、「やっぱり私はダメな人間なんだ」と落ち込みました。
ですが、その後、20年以上にわたり、自己探究を重ねた結果。
身体が伝えてきたメッセージが、私自身の課題を浮き彫りにしていたことに気づきます。
自責の念(自分を責める内なる声)が苦しい思いの原因である。
そのために、自分を大切にできない。
それが、私自身の課題。
ところが、この不快な体験には、別の意味深いメッセージも反映されていました。
※身体に意識を向けたときに、様々なメッセージが出てきたことについては、こちら。
身体感覚は「手なし娘」という日本民話と似ていた
大学院を修了して数年後。
私は、職場の先輩にあたる臨床心理士の女性に、「フォーカシング」で不快極まりない体験をしたと話しました。
私としては、ただの雑談といった感じ。
ところが、その女性は、少し考えた後、こんな話をしてくれました。
両腕が肩から切断されるってところ、「手なし娘」の話に似ているのよね。
あなたにとって、意味のある体験なんじゃないかしら。
話をしてくれた女性は、大学院で「ユング心理学」を学んでいたとのこと。
「ユング心理学」では、神話・伝説・夢などの中で、地域や時代を超えて、くり返し似たようなイメージ(物語)が現れ、認識されるような、人類に共通する心の動き方のパターンがあると考えています。
「集合的無意識」と呼ばれるものです。
彼女が教えてくれた「手なし娘」という日本民話の概要は、以下の通り。
継母は、継子である娘を憎み、殺そうと画策する。
父(または使いの者)によって、娘は両腕を切り落とされ、谷底へ落ちる。
どうにか生きていた娘は、さまよううちに嫁ぐ予定だった家にたどり着き、嫁として迎えられる。
そして、夫が用事で不在の折、子を産んだ。
そのことを知った継母は怒り、策略をめぐらせて、娘と子を嫁ぎ先から追い出すことに成功する。
娘は子を背負って歩くうち、喉が渇いて川の水を飲もうとしたら、子が背中から川に落ちそうになる。
娘が、何とかして子を助けようとあがくうち、突如、両手が生えて、子を救い上げることができた。
しばらくして、娘は、探しに来た夫と再会し、幸せに暮らす。
※フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」の「日本民話の『手なしむすめ』」より概要を抜粋
「手なし娘」の概要を聞いたとき、私は正直、驚きました。
「両腕が肩から切断されたように消えてなくなる」という身体感覚に、私と母との関係が、反映されているような気がしたからです。
身体感覚に母と私の関係が反映されている
私の母は、継母ではありません。
実母です。
ですが、母は、思い通りにならない私を罵倒し、ののしるところがありました。
母が、そうなるには、それなりの理由や歴史があったと思います。
母が育った家庭環境、会社員時代のいじめ体験、父と結婚してから嫁姑問題で苦労したこと、など。
母自身、ツライ体験を重ね、必死に生きてきました。
それに、母としては、私を心配し、ちゃんとした人間に育ってほしいと願ったのでしょう。
けれど、母は罵倒し、ののしることで、私を矯正する、という方法しか知りませんでした。
また、母自身の中で処理しきれない感情を、私にぶつけ、心のバランスを保とうとしていたとも考えられます。
ですが、幼い私にとって、母からののしられ、母から嫌われることは、命に関わる一大事でした。
「母親に邪険にされ、苦しめられたが、何とか生き延びようとあがいた娘」というイメージ。
そうしたイメージが、「手なし娘」という日本民話に反映され、私の「フォーカシングでの体験」にも反映されていたのです。
自分の身体の感覚に意識を向けたときに現れたものに、深い意味が込められていることを知り、私は驚いてしまいました。
ストーリーを完結するような体験
「手なし娘」の話を聞いてから、20年以上にわたり、私は自己探究を重ねてきました。
様々な心理療法の研修会、ワークショップ、講座に参加し、私自身も心理療法(心理カウンセリング、セラピー)を体験する日々。
その中で、私の自己理解を深め、心を軽くしてくれたのは、「ハコミセラピー」です。
「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」の状態を用いて、自分の身体と無意識に働きかけるセラピー。
「マインドフルネス」の状態になると、頭で考える意識(顕在意識)が低下し、無意識にあるものが現れやすくなります。
「フォーカシング」も、自分の今ここで起きていることに意識を向けるという点で、「マインドフルネス」に似たところがあるんですよね。
さて、数年前に「ハコミセラピー」のコースに参加していたときのこと。
ゆっくり深呼吸をしながら、目をつぶり、「今ここ」で起きていることに意識を向けていくという、「マインドフルネス」の状態になっていくと。
両腕を肩から切り落とされたという身体感覚の続きを見るような体験をしました。
両腕がものすごく熱くなってくる。
まるで、身体の内側から、マグマがゆっくりと吹き出し、固まって腕になっているような感覚。
その感覚を「マインドフルネス」の状態で、さらに味わっていると、ふと頭に浮かんだことがあります。
切り落とされた両腕が生えてきた。
そのころ、「手なし娘」の話は、すっかり忘れていました。
なにせ、「手なし娘」話を聞いて、20年以上が経っていたからです。
ですが、両腕の感覚をじっくりと味わっていくと、頭に浮かんだことが、確信に変わっていきます。
母に切り落とされた両腕が、ようやく、しっかりと生えてきた。
母にしいたげられ、苦しい思いをしてきたけれど。
すごく時間がかかったけれど。
自分をあきらめないことで、自分の人生を送れる状態になれたんだ。
まるで、ストーリーを完結するような体験。
嬉しい涙があふれてきました。
頭であれこれ考える以上に、身体の中には、様々な知恵やメッセージが詰まっています。
私自身も、身体(無意識)の知恵の凄さを痛感しました。
人々は、身体、つまり、無意識の中に込められた知恵やメッセージを集め、後世に伝えるために、神話や伝説として語り継いでいるのかもしれません。
心理カウンセリングは、どうしても頭で考えを整理することに終始しがちです。
もちろん、考えを整理することも大切。
ですが、頭で考えてもどうにもならないとき。
身体に意識を向けることで、現実に近いレベルで、そして、深層心理に近いレベルで、無意識からの知恵やメッセージを受け取ることができるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。