友だちと折り合いが悪くなっても誰も悪くない
長年親しくしてきた友だちと、折り合いが悪くなることが増え、落ち込んでしまう私。
そんな私が、「誰も悪くない」と思えるようになりました。
そして、そのプロセスの中で、嫌な気分が起きてきたときに、早期発見・早期対応する方法を見つけたことについても、お伝えします。
友だちと折り合いが悪くなるとつらくなるワケ
ここ最近、長年にわたって交流を続けてきた友だちと、折り合いが悪くなることが増えてきました。
絶縁状態になったり、素っ気ない対応をされたり。
折り合いが悪くなった友だちのことを思い浮かべると、気持ちがモヤモヤしてきます。
そんな嫌な気分を放っておくと、自分のいたらなさを責めるスイッチがONに!
私は、どんなに頑張っても、度量の狭い、冷酷な人間のまま。
冷酷なダメ人間は、ふとした言動で、相手を傷つける。
私を責める内なる声、つまり、自責の念が大きくなると。
今度は、「やっぱり私は要らない人間だ」という、自己否定の思いが強まります。
自己否定の思いが強まると、気持ちが削られる。
次第に、つらい思いにさいなまれ、生きる意欲さえ奪われていく。
とはいえ、自責の念の根底にあるのは、「母に気に入られるような良い人間になりたい」という切なる願い。
その願いが強いがゆえに、良い人間になれない自分に気づくと、自分を鼓舞するために、自分を責めてしまうのです。
幼いころから、失敗するたびに、母に叱責され、罵倒されることが多かった私。
まるで、母のやり方を取り入れるように、いたらない自分を責める傾向があります。
以前のように、人から嫌われる恐怖にとらわれることはなくなりました。
ですが、いたらない自分を責める傾向は、どうしても出てきてしまいます。
※人から嫌われる恐怖がやわらいだことについては、こちら。
仲間と一緒に探究する
モヤモヤした気持ちを、仲間と一緒に扱ってみる機会がありました。
「ハコミセラピー」Beingコースの参加者同士で行う、「マインドフルネスワーク」。
ちなみに、「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピー。
「ハコミセラピー」Beingコースとは、この「ハコミセラピー」の手法を使って、様々なグループワークを行い、自分の在り方を探究するコースです。
「マインドフルネスワーク」では、クライエント役の私の前に、セラピスト役の人が座ります。
私は、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくという、「マインドフルネス」の状態に。
「マインドフルネス」の状態になると、あれこれ考え、判断する顕在意識が低下していき、無意識にあるものが浮上しやすくなるんです。
「マインドフルネスワーク」では、クライエント役である私が、自分に起きていることを、言葉で報告すると。
セラピスト役の人が、私の言葉を使って、「~なんですね」と返してくれます。
ただそれだけの関わりでも、すごく心強い。
私の中で起きていることを認めてもらい、存在を肯定されるように感じる。
人とつながることで、パワーをもらい、自分をしっかりと探究することができました。
私の中で起きていることに気づく
「マインドフルネス」の状態になったところで。
折り合いが悪くなってしまった友だちの顔、友だちとの残念なやり取りを思い浮かべると。
私は、視覚優位なタイプなので、鮮明なイメージが展開されます。
私は、自分の心の内側にあるものを、キャラクター化(擬人化)して、自己理解に役立てているのですが、そのキャラクターたちが登場してきました。
私の右手の中に、「きいちゃん」と名づけた、3~4歳ぐらいの女の子の存在を感じる。
母の望むような「良い子」になることを願っている。
だからこそ、友だちから嫌われてしまう、「良い子」には程遠い自分を嘆き悲しんでいる。
一方、私の左手の中に、「なおちゃん」と名づけた、3~4歳ぐらいの女の子の存在も感じる。
世の善悪といった判断基準から離れ、楽しいことを追い求めている。
「良い子になりたいなら、偽善者を極めればいいじゃん」と、ワクワクしている。
「マインドフルネス」の状態で、「きいちゃん」「なおちゃん」の存在を、さらに感じていくと。
各々の感じが変わっていきます。
「きいちゃん」は、右手の中で、水芸を始め、芸を極めようと頑張っている。
私の母が求めるような、「ちゃんとした子」になるべく、努力を重ね、技能を熟達しようとする。
「なおちゃん」は、左手の中で、たき火を始め、いろいろな食べ物を焼いて、食べている。
「人生、楽しんで、なんぼ」という感じで、たき火の周りで踊り出し、疲れたら寝てしまう。
すると、頭のあたりに別な存在、「なおぞう君」が現れました。
「なおぞう君」は、データを集め、分析し、検討する10歳ぐらいの少年。
「なおぞう君」は、「きいちゃん」と「なおちゃん」の姿を眺めながら、考えをめぐらせます。
「なおちゃん」がメインだと、人生が楽しくなる。
でも、きちんとしていることが重んじられる日本社会では、「なおちゃん」だけだと、立ち行かない場面もあるはず。
それに、「きいちゃん」が努力を重ねてきたからこそ、成し遂げたこともある。
「なおちゃん」のたき火が、「なおちゃん」ではコントロールできなくなっても、「きいちゃん」の水をかければ、火を小さくすることができる。
ただし、水の量が多すぎると、火が消えて、元気の源がなくなるから、要注意。
「きいちゃん」も、「なおちゃん」も、大切な願いを抱いている。
どちらも、必要な存在だが、バランスが重要だ。
最終的に、私の心の中のキャラクターが、全て登場。
全キャラクター7人が、たき火の周りを踊りながら、グルグル回り、バターのように溶けていく。
全てのキャラクターが、より良い人生を送るために、働いてくれている感じ。
不思議な穏やかさ、ありがたさに包まれると、悩みが解消するような考えが浮かびます。
疎遠になった友だちがいても、仕方がない。
お互いにちょっとずつ、在り方も、好みも、変わっていく。
相手も、私も、誰も悪くない。
今のままの私でも、愛想をつかさない友だちを大切にしよう。
ありありと描かれたイメージを感じているうちに、自分を肯定する思いがわいてきました。
自分を受け入れることで、相手も受け入れることができる。
腑に落ちる感じでした。
※自分の心の内側をキャラクター化(擬人化)して、自己理解をはかることについては、こちら。
嫌な気分を早期発見・早期対応する方法も見つけた
イメージワークのような「マインドフルネスワーク」で、気づいたことがあります。
自分の中に起きていることに、良いも悪いもない。
どれも、なくす必要はない。
ただ、バランスが大切。
自分の中で「何が起きているか」を観察し、気づいていけば、それでいい。
また、日常生活で嫌な気分を対処することについても、アイディアが浮かびます。
自分に起きてきた思いや考えを観察して、その根底にある願いを感じ取る。
そして、自分で「~という願いがあるんだね」と返していけば、嫌な気分が大きくなることなく、おさまっていくのではないか。
その後、自分の中で「何が起きているか」をじっくり観察し、その根底にある願いを探ってみるようにしました。
願いを感じ取ったら、「~という願いがあるんだね」と自分に声をかけています。
たとえば、相手に不用意な助言をしてしまったとき。
相手がつらそうにしていたから、相手の笑顔を見たい、という願いがあるんだね。
相手の役に立つことで、有能な人間だと認めてほしい、という願いもあるんだね。
不用意な発言をした自分を責める言葉が浮かんできたら。
相手を傷つけたくない、という願いがあるんだね。
無能な人間だって、思われたくない、という願いもあるんだね。
その都度、自分に声をかけていくと、嫌な気分が大きくなることなく、快適に過ごせています。
ちょっと手間はかかりますが、「早期発見・早期対応」といった感じです。
声をかけることでは対処できなくなったら、早々に寝る、別のことに意識を向けるなど、他の方法を取り入れていこうと考えています。
※自責の念が大きくなりそうな前兆があるときに、低出力で対応する方法については、こちら。
自分への声かけは、グズグズとものを言う幼い子どもに、声をかけるような感じ。
自分の内なる子どもの願いをくみ取り、声をかけ、認めていくと、大騒ぎをすることが減っています。
そして、自分一人で対処するのに疲れたときは、第三者の関わりが支えとなり、新しい発見にもつながることに、改めて気づきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。