自責の念が騒ぎ出す前に低出力でもできること
苦しい思いをすることの根底に、自責の念があると気づいた私。
苦しい思いから逃れたいという願いのもと、自責の念への対応をせっせと重ねていきます。
とはいえ、自責の念が騒ぎ出すと、セルフケアで対応するのに、本当に骨が折れるんですよ~。
今回は、疲れているときでも低出力で取り組める、私なりの自責の念への対処法について、お伝えします。
ささいなことで自責の念が暴走する
他の人と何となくうまくいかないと、私を責めさいなむ声が、私の内側から聞こえてきます。
相手を思いやり、受け入れる器がない。
人間としての魅力がみじんもない。
仕事で失敗したときも、私を責めさいなむ声が、私の内側から際限なくわいてきます。
こんな失敗をするなんて、あり得ない。
無能な人間だと証明しているようなものだ。
周りの人に相談すると、「えっ、何のこと?」と驚かれたり、「気にすることない」と励まされたり。
気に留めるほどでもない、ほんのささいなことでも、私の自責の念は暴走するのです。
私自身のことを、とことん責める「内なる声」は、私の母の言動に似ています。
母は、母の望み通りにならない私を叱りつけ、気が済むまで罵倒するところがありました。
私のことを心配して、私に奮起してほしかったんだろうけど、叱る以外のバリエーションがなくてね。
幼い私は、ふがいない自分にガッカリするばかり。
だからこそ、「立派な人間になって、母に認められたい」という願いを抱き、その願いを実現するために、私自身を鼓舞する部分を生み出しました。
ただ、自分自身を鼓舞する方法として、母のやり方を、そっくりそのまま、取り入れてしまったんです。
自己否定の思いも暴走する
自責の念が騒ぎ出すと、今度は、私の心の中にある、責められてガッカリし、嘆き悲しむ部分がふくれあがります。
やっぱり私は要らない人間なんだ!
生きている価値がない人間なんだ!
嘆き悲しむ部分が、とことん自己否定を始めので、あり得ないほどの苦しみがやってきます。
文字通り、地獄の業火で焼かれるような苦しみ。
分からない人には、全く分からない。
でも、分かる人には、手に取るように分かる苦しみ。
当たり前のことですが、自分自身から逃げることはできません。
私を責めさいなむ声は、どこへ行っても付きまといます。
気力はそげ、ひどいときには、解離症状(現実感覚が薄くなる)が出てしまう。
対人恐怖の症状も出て、人と関わるのが怖くて、避けてしまう。
高校生のころから、こうした症状に苦しんできた私。
それでも、苦しみから逃れたい、心穏やかな日々を送りたいという願いが捨てられません。
20代半ばで、大学の心理学科に入り直し、自己探求の日々をスタートしました。
対応するにはエネルギーが必要
長年にわたる自己探求の結果。
苦しい思いをやわらげるために、「自責の念と、嘆き悲しむ部分の両方に対応すれば良い」ということが分かってきました。
自責の念を静かにする。
自分の存在を否定するほど、嘆き悲しんでいる部分(内なる子ども)をケアする。
自責の念も、嘆き悲しむ部分も、両方とも静かなときは、肯定的な言葉をかけていく。
でも、疲れているとき、体調がかんばしくないとき。
セルフケアをする気力も体力も、ありゃしない。
かといっても、放置すると。
自責の念が暴走し、自己否定の思いも強まり、心身ともに削られてしまうんです。
自責の念に苦しんでいない人が羨ましい。
なんで、私ばっかり、こうなんだろう。
嘆いていても、始まりません。
低出力でも対応できる方法を模索していきました。
※自責の念を抑えるコスパの高い方法は、こちら。
※自責の念を簡単なタッピングで消す方法は、こちら。
※タッピングでも消えない自責の念を静かにする方法は、こちら。
※嘆き悲しむ「内なる子ども」を慰める方法は、こちら。
※自分自身に肯定的な言葉をかけていく方法は、こちら。
自責の念を低出力でケアする方法
試行錯誤、悪戦苦闘の末。
私は、自責の念が大きくならないような、低出力のセルフケア法を見つけました。
四の五の言わずに寝る
20代半ば以降、一般的なストレス解消法をいろいろと試してみましたが、全て効果なし。
友だちと一緒に過ごしたり、趣味に没頭したり、お酒を飲んだりすると、一時的に気が晴れます。
しかし、ふと気が緩むと、徐々に自責の念が再燃し、それに応じて、自己否定の思いが強まっていくのです。
自責の念の暴走を抑え、自己否定の思いで心身を削らないために、20代後半に行きついた方法。
四の五の言わずに寝る。
帰宅したら、サクッと夕飯を食べ、さっさと風呂に入り、とっとと寝る。
気持ちがザワザワして、「危ないな」と感じるときは、スピード勝負。
最寄駅から歩きながら、おにぎりなどを食べて夕飯を済ませ、帰宅後、化粧だけ落としたら、早々に布団に入ります。
布団に入ってから、その日にあった嫌なことを思い出すと、自責の念が動き始めるため、要注意!
自責の念が活発に動き出すと、「自分はダメな人間!」という思いが強まり、眠れなくなります。
それどころか、死にたくなってくる。
夜、布団に横たわっていたら、「ベランダから飛び降りたい」という衝動が高まり、自分の肩を両手で押さえつけたことがありました。
布団に入ったら、自責の念が騒ぎ出さないよう、ひたすらに数を数えます。
私の場合、1から数え始め、300~500ぐらいまで数えると、寝落ちできる感じ。
自責の念が暴走しない人にとっては、帰宅後に趣味を楽しみ、ゆっくり過ごすのは大切なこと。
ですが、自責の念が暴走しやすい私は、自責の念が強まる前に寝るしかありません。
寝ると、翌朝、少しスッキリして、気持ちが軽くなるんです。
ちなみに、前の晩にできなかったことは、起きてから取り組みます。
アホみたいに簡単な方法ですが、低出力でもできるし、効果はバツグン。
今でも、心身ともに弱っているなあと感じるときは、さっさと寝ています。
楽しいこと、今起きていることに意識を向ける
そこまで差し迫ってはいないけれど、じっくりセルフケアを行うほどのエネルギーがないとき。
私は、その日にあった嫌なことを思い出す代わりに、あることをしています。
楽しいこと、今起きていることに意識を向ける。
電車の中、最寄駅から歩いて帰る道すがら、スマホでアニメを鑑賞。
疲れているときは、本を読む気力も残っていません。
でも、アニメは受け身で楽しめるし、世界観に没頭できるので、お手軽です。
電車が混んでいるとき、アニメを見る気力すらないとき。
電車の中の音、揺れる感じ、人とぶつかる感覚などを、目をつぶって感じていきます。
お風呂に入っているときは、自責の念が発動しやすいので、要注意。
頭や身体を洗うときの腕の動き、洗われている頭や身体が受けている刺激などに、意識を向けます。
頭を結構な力でゴシゴシ洗っているのに気づき、ちょっとおかしくなったり。
温かいお湯につかって、身体がホッとする感覚を味わったり。
自責の念が暴走しづらい人にとっては、ごくごく当たり前に楽しみ、味わっていること。
私は、あえて、意識的に行っているだけです。
自責の念が暴走するのを抑えながら、夜の時間を過ごし、寝ます。
言ってしまえば、寝るまでの時間稼ぎみたいな感じです。
今起きていることを感じるのは、「マインドフルネス」とも言われます。
気軽に取り入れてみては、いかがでしょうか。
※生活に「マインドフルネス」を気軽に取り入れることについては、こちら。
今回は、自責の念を発動させないセルフケアのうち、疲れているときでも低出力で取り組める方法について、お伝えしました。
自責の念は、幼い子どもと似ている感じがします。
大泣きすれば、幼い子どもはスッキリするかもしれませんが、対応する大人はヘトヘトに。
幼い子どもが、大泣きしそうになる前に、寝かしつけたり、気を逸らせたりするイメージです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。