手強い自責の念の正体は幼児的万能感の成れの果て【私が自分を生きるまで㉓】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
自分自身をさいなみ、心を削ってきた自責の念が、簡単なタッピングで消え去り、「もう、これで解放された!」と思ったのも、束の間。
さらに手強い自責の念が姿を現しました。
自責の念に打ちひしがれながら、その正体を見極めるにいたった体験について、お伝えします。
自力では太刀打ちできない自責の念が現れた
仕事で大きなミスをしでかして以来、気分の落ち込みが続きました。
スクールカウンセラーとして働いている私は、ある生徒に対応した際、嫌な思いをさせてしまったのです。
そして、保護者から、「専門家としてあり得ない対応をされた」という苦情が、その生徒の担任に届きました。
私は、その生徒が在籍する学年の主任と、管理職(副校長)から、聞き取りを受ける事態に!
その後、その生徒の担任が対応を引き継いでくれ、事態は収束しましたが、私の気持ちは晴れません。
副校長は、「誰にでもあることですから」と声をかけてくれ、落ち込んでいる私を気遣ってくれます。
担任も、学年主任も、変わらずに接してくれる。
職場で、私のことを責める人はいません。
それでも、いたたまれない気持ちが続き、仕事をすることがツラくてたまらないのです。
自分の内側で起きていることに意識を向けると、自分を責める声が聞こえてきます。
能力のない人間は、どんなに努力をしても使えない。
この世に要らないクズ人間。
これまでの経験で、自責の念が、フラッシュバック、つまり、母の思考の再体験だと分かっていたため、フラッシュバックを消すタッピングを行いました。
でも、消えない!
毎日、毎日、タッピングを続けても、自責の念が消えません。
失敗したことに傷ついている自分自身、つまり、「内なる子ども(インナーチャイルド)」をケアしても、効果なし。
せっかく「内なる子ども」のケアをしても、自分を責める内なる声にさらされると、あっという間にボロボロになってしまうのです。
もはや、打つ手なし。
自力では太刀打ちできない自責の念が、じわじわと自分自身を削っていき、セルフケアを行う気力すら失せていきます。
だんだん、生きる意欲すらなくなっていく。
免疫力が低下したためか、息子から感染した風邪をこじらせ、咳がとまらなくなりました。
ですが、私の中で屈せずに持ちこたえている部分が、「このままではイヤだ」と声をあげます。
フラッシュバック(母の思考の再体験)ではない、「自分を責める内なる声」の正体を見極め、対応を考えていかなければなりません。
※フラッシュバック(親などの思考の再体験)として現れる自責の念を消すための方法は、こちら。
※「内なる子ども」を自分でケアする方法は、こちら。
自責の念は「内なる子ども」の声だった
私は、ハコミ公認トレーナーである阿部優美さんの個人セッションを受けることにしました。
個人セッションは、「ハコミセラピー」の手法を用いて行われます。
ちなみに、「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。
私は、仕事でミスをしたこと、その後、自責の念にさいなまれて自力では太刀打ちできないこと、次第に生きる意欲が失われてきたこと、などを話します。
すると、優美さんは、「今、自分に起きていることを感じてみて」。
私は、ゆっくりと深呼吸をしながら、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくという、「マインドフルネス」の状態になります。
自分に起きていることが次第にハッキリと感じられるようになると。
身体全体が、やりきれないほどの悲しさで満ちている。
一方、身体のあちこちから、自分を責める声が飛んでくる。
自分を責める声に耳を傾けてみました。
研修会やワークショップに出まくって、25年近く心理カウンセラーとしてのスキルアップに励んできたのに、ここにきて仕事でミスをするなんて、生まれつき能力がないことの証!
ダイヤモンドの原石は磨けば光り輝くけど、河原の石ころは磨いても光らない!
河原の石ころ風情が、専門家ヅラして働くこと自体、あり得ない!
優美さんは、「あなたが、その声の持ち主になりきって、思いのたけを言ってみて」と声をかけ、私の背後から私の両腕を支えます。
私の中で、急にスイッチが入り、両手をバタバタさせながら、自分自身を罵倒する言葉を叫び始めました。
長年鍛錬を積んでも、使いものにならないようなポンコツは要らない!!
こんな使えないヤツは、死に絶えればいい!!
世界中のみんなが私を許しても、私が私を絶対に許さない!!
どうやら、子どものような存在です。
たぶん、小学校3~4年生、8~9歳ぐらいの感じ。
私の「内なる子ども」、インナーチャイルドとも言えます。
怒れる「内なる子ども」が思いのたけを存分に発散し、少しクールダウンしたとき。
優美さんが、「ねえ、あなたが望んでいることは何かな?」と声をかけました。
すると、怒れる「内なる子ども」が答えます。
ひとかどの人間になってほしい。
この世に爪痕(つめあと)を残したい。
生きた証を示したい。
優美さんが、「あなたは、自分に一流の人間になってほしいのね。でも、ダメ出しばかりすると、元気がなくなって、一流の人間になるための力が発揮できなくなっちゃう気がするんだけど」と声をかけると。
怒れる「内なる子ども」は、ぐうの音も出ない感じになり、黙ってしまいました。
自責の念は幼児的万能感の成れの果て
自責の念は、フラッシュバック(母の思考の再体験)だけでなく、一流でありたい「内なる子ども」の思いでもありました。
ただ、フラッシュバック(母の思考の再体験)が前面に出過ぎていたこと、一流でありたい「内なる子ども」が腹に据えかねたときにしか登場しなかったことから、私もこの声の存在に気づくのに時間がかかっていたのです。
自分はスゴイ人になれる。
そんな思いは、幼い子どもなら誰でも抱くものです。
視野が狭く、経験の浅い子どもならではの「万能感」から生まれたもの。
「幼児的万能感」とも言われます。
ですが、多くの人たちは、成長とともに視野が広がり、自分の身の丈を知っていきます。
そのことにガッカリしながらも、「スゴイ人ではない自分」という現実を受け入れていくのです。
ところが、私のように、母から愛され、受け入れられたという体験に乏しい場合。
「母から認められたい。母に愛されたい」という執着が、「自分はスゴイ人になれる」という幼児的万能感と結びつき、「スゴイ人になれば、母から認められる」という考えに固まってしまいます。
そして、私の場合、「母から認められなければ、死んでしまう」という考え(コア・ビリーフ)が根源にあるため、「スゴイ人になれない自分」を受け入れることが難しくなってしまう。
そのため、「スゴイ人になれない自分」を目の当たりにすると、ガッカリして、腹が立って、自分自身を罵倒せずにはいられないのです。
いずれにしても、自分の心の平穏を保つためには、自分の心を削る自責の念に対処しなければなりません。
「一流でありたい内なる子ども」、言いかえれば、「幼児的万能感の慣れの果て」に、できれば、黙ってもらいたい。
とはいえ、子どもの場合、大人のような理屈が通じないところがあるため、どうしたものか…。
「一流でありたい内なる子ども」に静かになってもらう方法を見つける旅が始まりました。
今回は、自責の念が、「内なる子ども(インナーチャイルド)」からも発せられていたことについて、お伝えしました。
「一流でありたい内なる子ども」に静かになってもらう方法を、あれこれ模索してみたところ。
うまくいかない方法があったものの、うまくいく方法も見つけました♪
最後までお読みいただき、ありがとうございました。