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子どもの遊び心で小さなころの嫌な記憶を書き換える

2024年4月24日

小さなころの嫌な思い出って、ありますよね。

そんな嫌な記憶が、子どもの遊び心を用いたイメージワークで書き換わりました。

私の体験を交えて、お伝えします。

 

保育園には「オニババ」がいた

 

秋になるころ、産休代替として、クラスの担任になった女性の園長先生。

保育園の年中さんだった私は、心の中で「オニババ」と呼んでいました。

 

メガネをかけていて、髪の毛は、ツノをとった鬼の頭のような、クルクルパーマ。

笑うと金歯がギラリと光る。

見るからに「オニババ」でした。

ですが、見た目というより、園児たちへの接し方が、まさに「鬼」だったのです。

 

ある日、保育園に野良犬が迷い込んだときのこと。

私たちは、犬を追いかけたり、犬に追いかけられたりしながら、キャーキャー大騒ぎ。

あまりに騒いでいたので、チャイムが鳴ったことに気づきませんでした。

ふと、教室のほうを見ると、教室の窓から、「オニババ」が仁王立ちする姿が見えるではありませんか。

 

「なおちゃん、こっち」

 

友だちが、教室の後ろのドアから、こっそり手招きをしてくれました。

私が、「オニババ」の目を盗んで教室へすべり込み、さっとイスに座ると、目の前に驚愕の光景が!

 

なんと、教室の前のドアから入ってきた園児たち数名が、テーブルの上に正座をさせられている。

そのうえ、「オニババ」から強要され、「遅れてすみませんでした」と、泣きながら土下座をしている。

本来だったら、私も、あそこで、土下座をしていたはず。

 

まぬがれた、という安堵と、申し訳ない、という罪悪感。

いずれにしても、4歳の私にとっては、ものすごく恐ろしい体験でした。

 

母は取り合ってくれない

 

いつ、なんどき、「オニババ」の餌食になるか。

 

4歳の私は、保育園に行くのが恐ろしくてしかたがありませんでした。

「オニババ」が話しているとき、口笛を吹いたA君が、手足をしばられ、寒風吹きすさぶ園庭に放置されたこともありました。

 

家で「オニババ」の所業を話し、「保育園に行きたくない」と泣きますが、母は取り合ってくれません。

「ガマンしなさい」と言うばかり。

毎朝、母に引きずられるようにして、園バスの乗り場まで連れて行かれます。

 

園バスのドアが開き、金歯が光る「オニババ」の笑顔が見えた瞬間。

地獄へのとびらが開くような、絶望的な気持ちになりました。

 

当時、母は、食費を稼ぐため、そして、同居している舅や姑(父方祖父母)から距離を取るため、勤めに出ていました。

今の時代であれば、「夫婦共働きで、こどもを保育園へ預ける」というのは、ありふれた光景です。

 

ですが、私が幼かった当時。

普通の家庭は、母親が専業主婦で、子どもは幼稚園に預ける。

一方、経済的に厳しい家庭や心無い親は、共働きをしていて、子どもを保育園へ預ける。

そんな風潮がありました。

 

プライドの高い母にとっては、子どもたちを保育園に入れるだけでも屈辱だったのに、長女である私が保育園へ行き渋る。

私より1歳下の弟は、文句も言わずに、保育園へ通っているのに。

母は、こうして、私に対する不快感を募らせていくのでしょうね。

 

しかも、当時は、「先生さま」の言うことに従うご時世で、先生方に物申す保護者はいませんでした。

「オニババ」の所業が、現代であれば、幼児虐待とか、パワハラと言われて、然るべきものであっても。

まあ、当時の反動が、ハラスメントに厳しい、今の社会につながっているのかもしれませんけどね。

 

4歳の私は、母に取り合ってもらえないうえ、母から「面倒な子」といった扱いを受ける日々。

「オニババ」の独裁政権のもと、ひたすらに耐えるしかありませんでした。

 

イメージワークで「オニババ」を成敗する

 

「ハコミセラピー」で、「子どものときにつらかった体験」について取り上げたとき。

「オニババ」との思い出が、ありありとよみがえってきました。

 

「ハコミセラピー」では、「マインドフルネス」の状態になり、ワークを進めていきます。

ゆっくりと深呼吸をしながら、目を閉じ、今、自分に起きていることに意識を向けていくというのが、「マインドフルネス」の状態(瞑想状態)。

 

「マインドフルネス」の状態で、保育園時代の「オニババ」にまつわるエピソードを思い出していく。

すると、「オニババ」の顔、光る金歯が、鮮明な映像を見ているかのようにイメージされていきます。

もちろん、「オニババ」の悪行の数々も。

 

4歳だった私、なおちゃんの感情もよみがえります。

 

「オニババ」がコワイ。

「オニババ」がいる保育園がキライ。

でも、ママが困るから、保育園に行かないといけない。

 

セラピスト役の人が、なおちゃんの感情に共感してくれると、恐れが和らいでいきます。

 

なおちゃんがしてほしいこと、あるかな?

 

セラピスト役の人が声をかけると、なおちゃんから、やりたいことがあふれ出てきます。

 

立てた丸太に「オニババ」をくくりつけ、火あぶりの刑に処す。

「オニババ」が、「熱い!熱い!助けて!」と泣き叫ぶ。

なおちゃんは、「オニババ」に指をさし、「みんなに謝れ!」と命令する。

「オニババ」は、「みんなに恐い思いをさせて、ごめんなさい」と謝る。

 

でも、なおちゃんは、許さない。

インディアンのような服装になり、「オニババ」の周りを踊りながら移動する。

「オニババ、死ね死ね。オニババ、死ね死ね」と歌いながら。

 

そして、そのイメージの中に、「ハコミセラピー」の仲間にも加わってもらう。

みんなで、インディアンの服装になり、「オニババ、死ね死ね」と陽気に歌いながら、踊り、めぐる。

 

なおちゃんのイメージは、ギャグマンガの世界のような感じ。

「オニババ」は、「熱い!熱い!」と大騒ぎするけれど、燃えることはありません。

なおちゃんと仲間たちは、「オニババ」を成敗する儀式を楽しむだけ。

 

子どもの遊び心を開放するようなイメージワークを通して、なおちゃん、つまり、小さな私の恐れが消えていきました。

 

嫌な記憶が書き換わる

 

「ハコミセラピー」の面白いところは、自分の中の小さな子どもが願っている形で、必要なものが得られること。

子どもの遊び心が解放されると、楽しい気持ちになれるし、子どもも満足。

しかも、イメージワークを使えば、可能性は無限大。

 

偉い人が園長先生を叱りつける。

みんなで園長先生をボコボコにする。

園長先生を魔法でキノコに変えてしまう、など。

どんな方法でもOK。

 

誰かから与えられたものではなく、子どもの中から生まれたやり方であるため、子どもの納得感がハンパありません。

 

私も、小さな私なりの方法で、「オニババ」を成敗する儀式を行ったところ。

保育園のときのことを思い出しても、痛みや恐れは感じなくなりました。

逆に、成敗される「オニババ」の周りを、歌い、踊りながら、楽しそうにめぐっている小さな私が思い浮かびます。

 

耐えるだけだった、恐ろしい記憶。

そんな嫌な記憶が、「悪いオニババが現れても、成敗できる」という心強い記憶に書き換えられたのです。

 

過去の不快な思い出であっても、書き換えることができ、自分の中に収めることができる、ということ。

私は、身をもって体験しました。

 

 

ただし、私と母のように、もつれた関係性だと、一度や二度のイメージワークで、過去の記憶が書き換わることはありませんでした。

それでも、「ハコミセラピー」のワークを重ねていくと、少しずつ、少しずつ、母や過去に対する印象が変わっていきました。

「雨だれ石をうがつ」ですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

※私が母に対して、「雨だれ石をうがつ」ように、自分を解きほぐしていった経緯は、こちら。

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