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苦しい思いから抜け出せない自分と他人を比べても意味がない【私が自分を生きるまで⑳】

2024年4月16日

母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

両親から愛情を受けていたことに気づき、親離れしたような心境になったものの。

今度は、自責の悪循環から抜け出せない自分を、他人と比べて苦しむようになりました。

 

苦しい思いの真打は、やっぱり自分自身だった

 

母からひどい扱いを受けてきたけど、私は、両親から愛されていた。

苦しんで亡くなった母は、愛する夫(私の父)と、天国で幸せに暮らしている。

ようやく、私にも、心穏やかで健やかな日々が訪れるんだわ~。

 

親離れしたような心境になり、問題は解決したと思っていました。

 

ところが、見当違いも、はなはだしい!

 

心穏やかで健やかな日々なんて、せいぜい1~2ヶ月程度。

徐々に、モヤモヤと嫌な気分が立ちのぼってくるのです。

 

いったい、どういうこと!?

 

困惑しながらも、自分の中で起きていることに意識を向けてみました。

 

すると、理想の人物になれない自分を嘆き悲しみ、自分を責める声が聞こえてくるのです。

 

「親から愛されている」と気づいた人は、心が解放される。

そもそも、親から厳しい言葉をかけられても、折檻を受けても、自分を責めることなく、自分らしく、地に足をつけて暮らしている人がいる。

 

それなのに、私は、「自分はダメ人間」と思い込んで、同じところで、足踏み。

成長も進歩も、ありはしない!

 

私の中に、確固として、今の私の在り様を許さない私がいるのです。

 

苦しい思いを作り出しているのは、やっぱり、私自身。

そして、自責の悪循環から抜け出せない自分を、他人と比べて苦しむようになりました。

 

※母から愛されていたことに気づいたという記事は、こちら。

※両親が天国で幸せに暮らしていると実感し、両親の死を受け入れたという記事は、こちら。

 

生き延びるために理想の人物になろうとする小さな私

 

私自身のことを嘆き悲しんでいるものの正体は、私の中にいる、小さな女の子。

インナーチャイルド(傷ついた子ども)とも言えます。

 

この子は、「良い子になりたい」という切なる願いを持っていて、そうならない自分を嘆き悲しむのです。

 

思い返せば、私が3~4歳の頃、母は嫁姑問題で心が折れ、行き場のないイライラを私にぶつけるようになりました。

母自身、つらい生い立ちを抱えており、自分一人で感情を処理することが難しかったのでしょうね。

 

母から、理不尽な対応を受ける、小さな私。

「私が悪い子だから、ママに怒られるんだ」と信じ込む。

「このまま、ママに嫌われたら、死んじゃうかもしれない」と怖れる。

「だったら、良い子になって、ママに好かれて、生き延びるしかない!」と決意する。

 

母に好かれるような素晴らしい人間になって、生き延びるため。

自分を叱咤激励するシステムが出来上がりました。

 

小さいときは、生き延びるために、必要なシステムだったかもしれません。

でも、すっかりいい歳のおばさんになっている今では、そんなもの、必要ありません。

「必要ない」ということが、頭では理解できても、腑に落ちていないんですよね~。

 

セルフケアが成り立つ唯一の方法は、小さな子の声を聞き、気持ちに共感し、優しい言葉をかけるというイメージワークのみ。

それを、ひたすら行っていくしかないのですが。

 

他の人は、そんなに何回もやらなくても、解放されていく。

何回もやらなければいけないのは、自分がダメな人間だから。

 

そんな声が聞こえてくると、取り組む意欲が削げてしまいます。

 

※自分を責めまくる私がたどりついたセルフケアの方法は、こちら。

 

自分の在り様を受け入れるしかないと気づく

 

このやりきれない状況を、「ハコミセラピー」の個人セッションで見てみることにしました。

 

「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」を使ったセラピー。

心と身体の両方に働きかけていきます。

 

「マインドフルネス」とは、ゆっくりと深呼吸をしながら、目をつぶり、今ここで起きていることに意識を向けていくこと。

 

「マインドフルネス」の状態になると、自覚できる意識(顕在意識)の覚醒が、ゆっくりと低下していきます。

すると、普段の生活では意識していないけれど、無意識の中に眠る大切なものが、浮かび上がってくるのです。

 

浮かび上がってきたのは、忘れていた思い出の1シーン。

 

小さな私、なおちゃんが、道路を走っている。

 

私が保育園年長か、小1の頃。

母、私、弟が乗っていた車が、走行中に横から追突され、3mほど下にあるリンゴ畑に落ちてしまったのです。

 

私と弟は、無傷でした。

ですが、運転していた母は、ハンドルに身体を強く打ちつけ、フロントガラスの破片を全身に浴び、ぐったり。

母は、近くに住む人に助けられ、リンゴ畑のそばのお宅で、救急車を待っています。

 

小さな私は、「ママを助けるんだ!」と思いながら、母がいるお宅の前の道路を、全力で往復していました。

大人の私から見れば、何の意味もないこと。

小さな私、なおちゃんが走り回っても、母の助けにはなりません。

 

ふと、思いつき、大人の私は、走っているなおちゃんに声をかけてみました。

 

なおちゃん、すごい勢いで走ってるんだね。

 

すると、なおちゃんは、大人の私の前を通る度に、走るスピードをちょっと緩め、私を見上げるようにして、いろんなことを言っていきます。

 

なおちゃんのエネルギーは、普通の人の3倍。

なおちゃんは、イノシシより、猪突猛進。

なおちゃんの勢いは、誰にも止められない。

 

なおちゃん、つまり、幼い私の姿を見るうち、気づきました。

 

私は、もともと、生きるエネルギーというか、パワーが強いみたい。

それに、猪突猛進で、柔軟に対応することが苦手。

 

だから、「母に嫌われたら生きていけない」と信じ込むと、その考えをものすごい力で握りしめ、やすやすと手放すことができない。

しかも、理想の人物になれない自分を、あり得ないほど猛烈な勢いで、一生懸命、嘆き悲しんでしまう。

 

とはいえ、人生プラスマイナスゼロ。

無駄にエネルギーが高くて、猪突猛進なお陰で、実生活では、やってみたいことを実現してきたじゃない。

 

実家を出たい一心で、勉強に励み、大学進学を機に、一人暮らし生活をゲット。

仕事を辞め、心理学を学ぶため、大学に学士入学し、大学院にも進む。

心理カウンセラーとして働き、臨床心理士、公認心理師などの資格を取得。

34歳で死ぬ人生しか思い描けなかったのに、婚活に励み、結婚して、息子を出産。

 

私には、私の持ち味があるし、他の人には、他の人の持ち味がある。

比べても、意味がない。

自分の在り様を受け入れるしかない。

私の場合、人の3倍はかかると思って、気長に取り組むしかないなあ。

 

元気に走り回る、おバカだけど、健気な、なおちゃんの姿を見ることで、腹をくくることができました。

 

 

頭で考えても、堂々巡りになることって、ありますよね。

ですが、自覚できる意識(顕在意識)に、ちょっと休んでもらい、無意識にあるものとつながることで、新しい理解が生まれます。

自分に必要なものは、自分が知っているんですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

※「自分を責める内なる声」は、幼い私が信じ込んでいる考えだと思っていたのですが、フラッシュバックでした。詳しくは、こちら。


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