「理想の姿」とかけ離れている「自分らしさ」【私が自分を生きるまで④】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
その努力の過程で、自分らしさを目の当たりにしました。
ですが、理想とする姿とは、あまりにもかけ離れていて、ガクゼンとします。
設定はものすごく深刻な場面
2014年の春。
信州内観研修所でおこなった12回目の「集中内観」の最終日。
「死の内観」を行いました。
※「集中内観」とは、6泊7日で、自分自身と身近な人との関係を見つめ直し、自己理解を深める心理療法です。
※「集中内観」について、詳しくは、こちら。
「死の内観」の設定は、「あと1時間で死ぬことが、分かっている」という場面。
自分の死が、刻一刻と近づいてくるのを感じながら、病室にいる。
家族を含め、親しい人たちと順番に会っていき、会話を交わしていく。
そんな、ものすごく深刻な設定でした。
音声が流れ、「死の内観」をリードしてくれます。
私は、音声を聞きながら、イメージを展開していきました。
愛と感謝に包まれて最期を迎えるという、涙なくしては語れない感動の結末!
私は、そんなものを想像していたのです。
ところが、あり得ないほど、コントみたいな結末に……。
私らしさをにおわす、コントのような展開
両親との別れ
まず最初に、『お父さん、お母さんに別れを告げましょう』という音声。
イメージの中で、母が、ずかずかと病室に入ってきました。
父は、母の後を追いかけるようにして入室。
母は、怒髪天をつくといった姿。
私の枕元に立ち、私を怒鳴りつけます。
まだ子どもが小さいのに、先に死ぬなんて、身勝手すぎる!!
親としての責任をどう考えているの!!
バカは死んでも治らないって、ほんとね!!
父は、母のとなりに立ち、母ほどではありませんが、私をいさめます。
子どもを残して死ぬのは、よくない。
もっと早く、何とかならなかったのか。
私は、両親に、自分のふがいなさを謝罪。
そして、これまで育ててきてくれたことに、感謝を伝えます。
あと1時間で死ぬと思うと、そんな言葉しか浮かびません。
すると、『次に、お別れを伝えたい人が入ってきます』という音声。
父が、私になおも罵声を浴びせ続ける母の背中を押すようにして、病室の外へ出ていきました。
夫と息子との別れ
次に、夫と息子が、病室に入ってきます。
息子(当時、小2)は、廊下で待たされている間、泣いていたようです。
足に力が入らないらしく、床をズルズルはうようにして、ベッドのほうへ移動してきました。
息子は、ベッドにいる私の身体にしがみつき、「ママ!ママ!」と大泣き。
夫は、ベッドのそばに立ちつくし、「死なないで。困るよ」と言いながら、おろおろするばかり。
私が、夫と息子に、「今まで、一緒に暮らしてくれて、ありがとうね」などと、感謝の言葉を伝えていると。
『次に、お別れを伝えたい人が入ってきます』という音声が流れてきました。
私が思った以上に、展開が速いです。
息子は、私から離れるのを嫌がり、大騒ぎを始めます。
最終的に、夫が息子を引きはがすようにして抱きかかえ、病室を出ていきました。
あり得ない結末で知る、「自分らしさ」
同じようにして、姑(夫の母)、弟、妹、友だちが、順番に、病室に入ってきます。
私は、一人ひとりに、感謝の言葉を告げていきました。
すると、『あなたに残された時間は、あと10分となりました。伝えそびれたことを伝えましょう』という音声。
私は、いきなりベッドの上に立ち上がります。
死にかけているのに、それは、あり得ないのでは……。
そして、「みんな! 早く入ってきて!」と、廊下まで響き渡るような大きな声を出します。
まだ、会っていない人、話ができていない人がいたからです。
お見舞いに来てくれた十数名、全員を、病室へまねき入れます。
そして、私は、ベッドの上に、仁王立ち。
両手を大きく動かして、全身全霊でメッセージを伝えます。
死にかけている人が、することではないと思うのだけど……。
みんな! いつか人は死ぬよ! 私みたいに!
だからこそ、生きているうちは、全力で生きよう!
やりたいことを、全部やろう!
生きているうちが、花なんだから!
熱弁をふるっている途中で、『あなたは、今、息を引きとりました』という音声。
私は、「え!? この状態で!?」と思いつつ。
立ったままの状態で、バタンと前方に倒れ、ベッドの上にうつぶせになります。
これで、臨終。
「理想の姿」とはかけ離れた「自分らしさ」
私が理想とする「ちゃんとした人間」の人物像。
冷静で、落ち着いていて、大人としてのわきまえがあって、賢くて、品行方正。
おそらく、私の母が好む人物像です。
私は、事あるごとに、「ちゃんとした人間」になろうと、頑張ってきました。
ですが、「死の内観」を通じて、分かったこと。
感情的で、ハチャメチャで、子どもっぽくて、アホみたいで、下品。
これが、「私らしさ」なのです。
私が理想とする「ちゃんとした人間」と、「私らしさ」とは、天と地ほど違う!!
「ちゃんとした人間」と、かけ離れている自分自身に、ガクゼンとしました。
そして、「ちゃんとした人間」には、なれないことが、悲しくて仕方ありません。
たくさんたくさん悲しんだ後。
「私は私なんだから、これはこれで、アリなんじゃないかな」と思うにいたりました。
「自分らしさ」が、自分の理想とする姿とは、ほど遠くても。
残念な自分を、これも自分だと受け入れて、覚悟をもって、自分を生きていくしかないんだな、と。
「自分らしさ」は、見つけるものではなく、既にそこにあります。
あとは、ただ、「受け入れる」だけなんですね。
それが、とっても難しい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
続きはこちら。自分の内面で起きていることを整理してみました。