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「間が抜けている」のが長所と言われたことから、仕事に必要な才能について考えてみた

仕事に必要な才能とは、何でしょうか。

随分と前のことですが、私の仕事ぶりを知った、ある著名な先生から、「間が抜けている」と言われがことがあります。

でも、「それが長所だ」と言われたことも思い出し、仕事に必要な才能について考えてみました。

 

私の仕事ぶりは「間が抜けている」

 

「君は間が抜けているね」

 

ある事例検討会で、事例を発表した際。

講師を務める著名な大学教授から言われました。

 

ドキッとしたものの、「またか」と思った私。

他の参加者は、あぜんとした表情をしています。

 

ちなみに、「事例検討会」とは。

自分が携わった心理カウンセリングの様子(事例)を発表し、講師の先生や参加者から意見をもらって、自分のカウンセリングをブラッシュアップするものです。

 

さて、「君は間が抜けているね」という言葉をかけられたとき。

私の脳裏には、苦い体験がよみがえってきました。

 

私がそれまでに参加してきた事例検討会では、相談者の問題がどこにあるのか、しっかりと見定め、それにふさわしい対応をしていくことが重んじられていました。

私なりに精一杯対応した事例について発表しても、能力のある方々から見ると、全然なっていないようです。

 

「相談者が抱える問題の根底にあるものを、きちんと見極めることができていない」

「自分の頭で考える力がない」

「場当たり的な対応しかできていない」

「専門家としての自覚がなっていない」

 

事例検討会の講師が厳しい発言をすると、参加者たちも次々と厳しい意見を投げかけてきます。

白熱すると、文字通り、袋叩きの状態。

私の至らない点をビシバシと指摘されまくり、事例検討会が終わります。

 

今回は、「君は間が抜けているね」とさえ、言われてしまった。

いやはや、救いようがない。

 

「間が抜けている」のが長所って!?

 

息を大きく吐いて、気を取り直し、講師を務めていた教授に尋ねてみました。

 

先生は、私のどういったあたりを間が抜けていると思われたのですか?

 

君はね、君と相手との間に存在する「間(ま)」が、抜けているんだよ。

絶妙に「間」が抜けているから、相手は気が緩んで、他の人には言えないことが、君には安心して言えてしまうんだ。

そういう経験って、あるんじゃないかい?

 

おや?

いつもと違う展開??

とはいえ、たしかに、心理カウンセリングを担当していた小学生や中学生から、「面白い」とか、「話しやすい」と言われることがあるなあ。

 

私が、そんなことを考えていると、教授が続けます。

 

君のように「間」が抜けているというのは、心理カウンセラーとして得難い才能だ。

とても良い。

誰でも真似できることではない。

ぜひ、そのままでいてほしい。

 

でも、先生。

間が抜けているせいで、職場では失敗ばかりだし、事例検討会でもたたかれることが多くて、困っているんですけど。

 

「そうか。それは、仕方がないなあ」と教授が笑い、私も「そんなあ」と笑ってしまいました。

 

「間(ま)」について考えてみる

 

「間の抜けているところ」を長所だと評してくださった大学教授は、「間(ま)」についての研究もしている方でした。

その教授の著書に書かれていた「間」とは。

 

心の平穏を守るために、相手や自身の悩み事との間に、ほどよい心理的な距離を取ること。

 

私は勝手に、「間」とは、自分の周りや内側にあるものに意識を向けながら、上手に距離を取る、「大人の振る舞い」から生まれるものという印象を受けました。

 

大人の振る舞いをしていると、周囲との間に波風を立てることはなく、お互いが気持ちよく過ごせるというのが、メリット。

一方で、あちこちに気を配るために、お互いに気が抜けないというのが、デメリット。

 

大人の振る舞いや気遣いに満ちた日常社会。

一方、気を張らないと、大人の振る舞いや気遣いがすっ飛んでしまう私。

私と接すると、大人の振る舞いや気遣いをしなくても良いという安心感が得られるのかもしれません。

 

心理カウンセラーとして必要な才能とは

 

大学教授から「間が抜けているところが長所」と言われたのは、心理カウンセリングの仕事に就いて5年が過ぎた頃でした。

当時は、「私も捨てたもんじゃない!」と思い、勇気をもらいました。

 

ですが、心理カウンセラーとして働き、20年以上が過ぎた今。

別の考えが浮かびます。

 

あの大学教授が言いたかったのは、「心理カウンセラーは間が抜けた人物であるべき」ということではなく、

「君の場合、間が抜けているという才能を活かして、心理カウンセリングをするといい」ということではないか。

 

心理カウンセリングの目的は、「相談者が自分らしく生きることをサポートする」ということ。

その目的を達成するために、心理カウンセラーとして、こうあるべきという考えや、こうするべきという方法があり、私たちは、それを学びます。

 

しかし、自分とは異なる才能の持ち主が見出した考えや方法の通りに実践しても、同じ業績をなすことは難しい。

目的を達成するために、一番効果的なのは、その人ならではの才能を活かすこと。

大学教授は、そう言いたかったのかもしれません。

 

たとえば、私の場合。

相談者などから綿密に情報を集め、分析し、問題の根本的な原因を推定し、様々な要素に気を配りながら、ふさわしい対応を考えるなどといったことの全ては、残念ながら、実践できません。

一方で、話しやすいという雰囲気から、相談者は本音を言いやすくなり、心の重荷をおろして自分らしくいられるという、私自身の良さを活かした方法であれば、心理カウンセリングを進められます。

つまり、心理カウンセリングの業界で求められる定石的な方法ではなくても、自分なりの才能を活かせば、目的を達成することができるのです。

 

仕事に必要な才能とは

 

これは、他の仕事においても言えることです。

 

職場の上司や先輩、同僚などから「こういう時は、こうしないとダメだ」と言われること、あるいは、その業界で「成功するには、こうすべき」と言われていること、ありますよね。

本当にそうでしょうか。

 

もちろん、人の道に外れることや、周りの人たちをひどく傷つけることは、しないほうが賢明です。

それに、先人が成功するにいたった考えや方法には、学ぶべき点もあります。

そのため、人として大切な在り方や、仕事に必要な基礎的なやり方が、ある程度身についたなら、あとは、その人なりの才能を活かしてやっていくと良いのではないでしょうか。

 

この世の中に、「絶対に成功する方法」というものは、存在しません。

「特定の仕事で成功するために、必要な才能」などというものも、存在しません。

 

自らの才能を活かして、自分なりの方法で目的を達成していく。

苦手なところは、工夫したり、周りの人に助けてもらったりする。

それが、肝要なのです。

 

あとは、職場や業界の人たちが、あの大学教授のように、定石にとらわれず、一人ひとりが自身の才能を活かしてその人なりのやり方で仕事をこなしていくことを、温かい目で見守ってくれるか否かが問題。

まあ、そういう人に恵まれる機会が少ないのが、切ないところです。

 

 

私の体験から、仕事に必要な才能について考えてみました。

それと、心理カウンセリングをしているときも、相談者の良さや、その人なりのやり方を「良いなあ」と感じることが、よくあるんですよね。

あの大学教授から、影響を受けているのかもしないと思いました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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