夫婦喧嘩の底には切なる願いが眠っていた
夫婦喧嘩は、しないに越したことはない。
それでも、夫婦喧嘩がエスカレートしたら。
転んでもただでは起きぬ!
そんな精神で夫婦喧嘩を深掘りしたら、夫婦喧嘩の底には、切なる願いが眠っていました。
夫婦喧嘩のきっかけは、ささいなこと
ある日のこと。
夫と口論の末、腹の底からわきあがってくる怒りをこらえることができず……。
手近にあった料理用のボウルを何度も床にたたきつけ、ボコボコに変形させてしまいました。
口論のきっかけは、ホントに、ささいなこと。
オシャレ男子、高2の息子が、40,000円近くもするドライヤーを買ってほしいとねだってきたのです。
「高すぎる」と思い、洗い物をしながら、夫に相談したところ。
夫は、テレビに夢中。
無反応です。
「ちょっと! 私の話、聞いてる!?」
「え? 何?」
「また、聞いてなかったの!? ないがしろにされた気がして傷ついた!」
「ないがしろにするつもりは、全くない!」
「事あるごとに『俺は、ナオミの話を全力で聞くよ』って言うのに、結局、テレビとか、自分が興味のあることに気を取られて、私の話を聞いてないじゃん! 嘘つき!」
「話を聞きたいっていう気持ちは嘘じゃない! ナオミだって、俺の話を聞かない時があるのに、なんで俺ばっかり責めるんだ!」
私たち夫婦の間では、よくある展開です。
そして、夫が決して自分からは引かないことが、口論を激化させます。
私が口論を切り上げようと別室へ移動しても、追いかけてきて、自分の正しさを主張し続ける。
とはいえ、結婚して18年。
私も夫のことが分かってきました。
数年前からは、口論がエスカレートしそうな時に、私が決め台詞として使っている言葉があります。
私のことを大切に思う気持ちがみじんでもあるなら、私から話しかけるまで、私に話しかけないで。
私に話しかけてくるということは、人の気持ちを踏みにじっても、自分の正しさを主張したいという証だからね。
一人になれば、私もクールダウンできるんだから。
何年か、同じセリフを言い続けていたら、ここにきてようやく、夫は静かに去っていくようになりました。
私も夫も、一晩寝ると気持ちが収まり、翌朝、お互いに謝って仲直り。
いつもの夫婦喧嘩とは違う展開
今回も、そのパターンかと思っていたのですが、ふと、「夫に謝ってほしい」という考えが浮かびます。
え?
何を謝ってほしい?
言っていることとやっていることが違っていることを謝ってほしい。
いつもと違う展開が面白いなと感じて、夫に伝えてみました。
「私の話を全力で聞くって、常々言ってるけど、今、聞いてなかったじゃない。『話を全力で聞くよって言っておきながら、話を聞けなくて、ごめんね』って言ってほしい」
「はあ!? 話を聞くって気持ちは嘘じゃないから、そんなことは言えない!」
「お願いだから、謝ってほしい」
「できなかったことは、これから努力すればいいだけのことだろう!」
いきなり、腹の底から、ものすごい怒りがこみあげてきました。
近くにあった茶碗や皿を床にたたきつけたい衝動にかられる。
いやいや。
茶碗や皿をたたきつけたら、もったいないし、片づけが大変。
一瞬のうちに考えがめぐり、手近にあったステンレス製のボウルを床にたたきつけました。
ゴーンという音が辺りに響きわたり、ボウルが変形。
途端に、爽快な気分が全身を駆け抜ける!
初めての体験!
二度、三度、四度と、ボウルを床にたたきつけたら、ボウルがチューリップのような形に。
「意外にもろいんだな」と思っている私がいます。
「近所迷惑になるから、やめろよ……」と、いきなりトーンダウンした夫。
それならと、クッションでソファをたこ殴りにする私。
夫が、その横で呆然と立ち尽くしていました。
私が、気がふれたように物に当たるのを見るのは、初めてだったからでしょうね。
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とは言うけれど
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言います。
ケンカのきっかけは、大抵の場合、ホントにくだらないこと。
他人にとっては、「勝手にやっとけ」というレベルのものばかりです。
当人たちにとっても、「相手のせいで腹が立った。相手が悪い」と、プンプン怒っておしまい。
怒りが収まってきたら、「まあ、いいか」となり、日常に戻っていきます。
夫婦間の折り合いがつかなくなり、「まあ、いいか」で済まなくなると、別居や離婚に発展するかもしれませんけど。
私たち夫婦も、他人から見れば、うんざりするような、くっだらないケンカを、ひたすらにくり返してきました。
それなのに、今回ばかりは、自分でもビックリするほどの怒りが込み上げてきたので、ちょっと考えてみました。
いったい何に腹が立ったのだろう。
夫の言葉と行動が一致していないことが、一番腹立たしい!
「ナオミの話を全力で聞くよ」と言いながら、別なことに夢中になって聞いていない!
あれ?
どこかで体験したことに似ている。
私の母も、言葉と行動が一致していない人でした。
母は、常々、「子どもたち3人を平等に育てた」と自慢していました。
でも、実際は、弟のことは溺愛し、妹のことは愛玩対象とし、私のことはイライラのはけ口にしていたのです。
ああ、そういうことか。
私は、母に謝ってほしかったんだ。
「3人を平等に育てた、なんて言ってたけど、実際は平等じゃなくて、ごめんね」って。
母に対する怒りや恨みはなくなっていたと思っていたのに、夫の姿に母を重ねていたのか。
夫婦喧嘩の底に眠っていた切なる願い
夫の言動と母の言動を重ねていたことを、夫に伝えてみました。
いつもは強情で、自分の考えを曲げない夫が、神妙な顔をして聞いています。
そして、優しい口調で、「全力で話を聞くよって言っていたのに、実際は聞けなくて、ごめんな」と謝ってくれました。
夫の言葉を聞いたら、いきなり涙が流れてきました。
それには、自分でもビックリ!!
喉から手が出るほど欲しかったけれど、手に入れられなかったものが、ようやく手に入ったような嬉しさ。
なかなか手に入らなかった切なさ。
いろんな感情が、一気に込み上げてきます。
「そう言ってほしかった。ありがとう」
夫とは、めでたく仲直りをしました。
激怒するほど心が揺さぶられている時は、心の底に切なる願いがうごめいています。
切なる願いがあるからこそ、似たような状況で、「あの時、こうしてほしかったのに!」という怒りが湧き出てくるのです。
私は、母の姿を夫に重ねて、母から得られなかったものを、夫から得ようと奮闘していたんですね。
心理学の世界では、「親子関係が夫婦関係に投影される」なんて言いますが、まさに、その通りでした。
母は、強い感情をぶつけられると、崩れてしまうようなもろさを持つ人でした。
一方の夫は、私が号泣しても、激怒しても、しばらく経つと、何事もなかったかのように、ケロッとしている。
驚くほどの「鈍感力」が、時には私を傷つけ、時には私を救うので、何とも言い難いのですが……。
いずれにしても、ガラスのハートの母からは永遠に得られないものを、メンタル鋼の夫から得ようとしている。
なかなかに執念深いというか、たくましい自分に、改めて気づきました。
怒りは相手のせいで生じるのではなく、相手の発する言葉や態度が、自分の中にある何かに響くことによって生まれてくる。
夫婦喧嘩も「自分事」で起こると思って眺めてみると、自分を知る貴重な機会となりました。
夫婦喧嘩は犬も食わぬが、自分のものなら食ってみると、大切なものを発見できるんですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※今回の記事は、天狼院書店のメディアグランプリに掲載された文章に加筆修正したものです。