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一般受けしない自分にガッカリしながら思わず笑ってしまったのは

2024年12月17日

対人恐怖になるほど、人から嫌われることを怖れていた私。

「嫌われても何とかなる」と思えるようになったものの、一般受けしない自分が残念でなりません。

そんな私が、一般受けしない自分にガッカリしながらも、思わず、笑ってしまった経緯について、お伝えします。

 

一般受けせず、嫌われる私

 

私は一般受けしません。

 

とはいえ、小さい頃は、人から好かれなくても、あまり気にしませんでした。

「私が人から好かれるはずがない」と信じ込んでいたからです。

 

大学時代、私のことを好きだと告白してくれた先輩がいたときでさえ。

とっさに、「この人は頭がおかしい。気の毒に」と心配してしまいました。

 

ある意味、人から好かれることを、諦めていたのです。

 

そんな私が、人から好かれないことを気にするようになったのは、社会人になってから。

 

大学に入学すると同時に、親元を離れ、母から否定的な言葉を浴びせかけられる機会が減ったこと。

就職して、経済的に自立したこと。

 

そうしたことが影響し、「好かれない人間のままでいるのは、イヤだ!」という反骨心が、ムクムクと立ち上がってきたのです。

ですが、「みんなから好かれたい」という私の願いも空しく、私は一般受けしませんでした。

 

特に、心理カウンセリングの仕事に就くようになった20代後半からは、「嫌われる私」があぶり出されてきます。

  • ある職場で、いじめのターゲットになる。
  • 別の職場では、スクールカウンセラーの同僚に嫌われ、口もきいてもらえなくなる。
  • 繊細なクライエント(カウンセリングを受ける相談者)のカウンセリングが中断してしまう。
  • グループスーパーヴィジョン」の場では、袋だたきにあう。

「グループスーパーヴィジョン」とは、自分が携わったカウンセリングの事例を、複数名のグループ内で発表して、講師や参加者に意見をいただき、カウンセリングのスキルを磨く研修のことです。

 

悲しいぐらい、一般受けしない私。

 

「人から好かれるか、嫌われるか」ということに過敏になりすぎて、小さなことを大きく捉えていただけかもしれませんけど。

一般受けしない自分にガッカリするばかりでした。

 

※職場でいじめのターゲットになった話は、こちら。

 

※スクールカウンセラーの同僚に嫌われた話は、こちら。


人から嫌われることが怖いのは

 

人から嫌われるのが怖いことを深掘りしていくと、母との関係に行きつきます。

 

私は幼い頃から、母の機嫌に振り回され、母に罵倒される日々を送っていました。

そのため、幼い私は、母から嫌われ、捨てられ、死んでしまう恐怖を抱えていたのです。

 

ですが、母に嫌われても、図太く、たくましく生きている、自分自身に気づいたら。

「嫌われても死なない」と思えるようになりました。

そして、随分と気が楽になったのです。

 

ところが、しばらく経つと、嫌われることが残念でならない私が出てきます。

嫌われても死なないけど、みんなから好かれたい!

 

私の心の中にいる幼い私は、「みんなから好かれることで、母からも好かれるようになる」と信じ込んでいるみたい。

「母から好かれたい」という願いを、なかなか手放すことができないのです。

願いがかなわないと、苦しい思いにさいなまれます。

 

苦しい思いがひと段落すると、別の欲求が出てきて、新しい苦しみが生まれることのくり返し。

自分の強欲さのせいかなあと思うと、本当にへこたれてしまいます。

 

※嫌われても何とかなると思えるようになった記事は、こちら。

 

自分に対する認識に思わず笑ってしまう

 

一般受けしない自分が残念でならない私。

「ハコミセラピー」の仲間と自主勉強会をした際、そのことを取り上げて、個人セッションをしてもらいました。

 

「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。

「マインドフルネス」とは、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくことです。

 

マインドフルネスの状態になり、一般受けしない自分について感じていくと、もう、残念でたまらなくて、涙さえ流れてきます。

そして、浮かび上がってくるのは、母が弟や妹をかわいがり、私だけをないがしろにしていた、私の子ども時代。

 

私の感情が高ぶったそのとき。

セラピストが、私に声をかけます。

 

あなたは、愛される存在ですよ。

 

マインドフルネスの状態で、その言葉を聞くと、私の心の中で反射的に怒声が響きわたりました。

 

私が、みんなから愛される存在なんてこと、あるわけないじゃない!

私なんて、せいぜい、マニア受けが関の山!

 

自分の中から出てきた言葉とはいえ、「マニア受け」という発想が面白くて、思わず、笑ってしまいました。

自分のことを「誰からも愛されない存在」とは思っておらず、「マニア受けする存在」と認識している、その図太さが面白いんだもの。

 

「マニア受け」という愉快な言葉が心の中に響いていくと。

私自身の認識が、じわじわと変わっていくのを感じました。

 

私は、みんなから好かれる人間ではない。

でも、100人に1人、1,000人に1人の「マニア」がいて、私を好んでくれる。

「マニア」がいるんなら、いいんじゃない!

 

私に優しくしてくれる人。

私と仲良くしてくれる人。

私を気に入ってくれる人。

 

一人ひとりの顔が浮かびます。

そんなに数は多くないけれど、素敵な人たちばかり。

私を中心に「マニアの会」が作られ、そこで楽しく過ごす私のイメージが広がります。

 

それ以降、「相手の人から嫌われている」と感じたら。

「嫌われても死なない」という言葉で、自分を奮い立たせる。

そして、「私はマニア受け。あの人は、私のマニアではなかった。それだけのこと」という言葉で、自分を慰める。

一般受けしない自分を生きていく覚悟が、徐々に固まっていく感じがしています。

 

 

ただね、「私の母は、私のマニアではなかったんだなあ」と思うと、ちょっぴり悲しくなります。

とはいえ、母との関係は、散歩進んで二歩下がるといった感じで、地道に取り組んでいくしかないみたいです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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