父の愛は「施し」ではなかった【私が自分を生きるまで⑱】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
母との関係ばかりに気を取られていた私ですが、父からの愛情に気づく機会を得ました。
父から愛されているとは思えなかった
父は、とても優しい人でした。
父に怒られたことは、3回しかありません。
小学生だった私が、弟の背中を蹴り倒したとき。
中学生だった私が、父方の祖父母を罵倒したとき。
高校生だった私が、家に来たお客さんに無礼なことを言ったとき。
振り返って驚きました。
父が大切に思っている人が傷つけられたときに、父は怒ったのです。
私なんて、自分が傷ついたことで、私の息子を数えきれないほど怒っています。
いやはや、父の凄さに驚嘆するばかり。
私自身、父が愛情深い人であるということは、よ~く分かっていました。
でも、私は、「父から愛されている」と感じることができませんでした。
父は人徳者だから、私のようなダメ人間でも、愛情を注げる。
父の愛情は、徳のある人からの「施し」としか思えなかったのです。
父に思いをめぐらす
2022年5月。
私が所属している「ハコミセラピーの団体(JHEN)」で、スペシャル企画ワークショップが行われました。
カナダ人のシニアトレーナー、ジョージア・マービンさんをゲスト講師に迎えてのワークショップ。
テーマは、「人間関係が楽になる~マインドフルネスのさらなる可能性~」でした。
※「ハコミセラピー」とは、「マインドフルネス」をベースに、心と身体の両方に働きかけるセラピーです。
※「マインドフルネス」とは、ゆっくりと深呼吸をして、目をつぶり、「今、この瞬間」に起きていることに意識を向けていくことです。
そのワークショップの中で、「感謝を感じている人に思いをめぐらす」というエクササイズがありました。
私の中に、ふと、浮かんだのが、父のこと。
父が私にしてくれたことが、1つ1つ思い出されます。
小学校低学年のとき、子ども部屋をもらった私は、夜になるとすごく怖くて、眠れなかった。
「お腹が痛い」とウソをついて、両親の寝室へ行くと、父はすぐ目を覚まし、「大丈夫か」と自分の布団に入れてくれた。
冷えきった足を父のお腹に乗せると、ほんとに温かくて、安心して、朝までぐっすり眠れた。
小学校高学年のとき、家族でスキーに行き、上級者ゲレンデで動けなくなった私。
父は、私をおんぶして、下まで降ろしてくれた。
スキーが上手ではない父は、途中で、何度も何度も転びながら。
私が、考えなしに上級者ゲレンデへ行ったことは、一切とがめなかった。
私の結婚に猛反対し、「結婚するなら、今までナオミにかけたお金を全額返せ!」と、怒り狂った母。
私が預金通帳を持って帰省したら、父は「通帳を持ってきたことは、知らなかったことにする。ママに手紙を書きなさい」と提案してくれた。
父の提案に従い、謝罪と感謝を書き連ねた手紙を出したら、母は機嫌を直し、結婚式に参列。
父だって、花嫁の父として、花婿(夫)に文句の一つも言いたかっただろうに。
息子(父にとっては孫)が生まれると、毎月、私たちを訪ねてきた父。
「美味しいものを食べて栄養をつけろ」と、父が行きつけのお寿司屋さんに行くのが定番のコース。
父は、息子と遊園地に行ったり、サッカーの練習にも同行したり。
私は、うちのリビングで、父と他愛のないおしゃべりをするのが楽しみだった。
「ナオミは、バカでノロマで、肝心なときに役に立たない」と言って、母が亡くなったとき。
父は、「愚痴だと思え~」と慰めてくれた。
ようやく父の愛を知る
父とのエピソードを、ワークショップに参加していたメンバーに語ったあと。
マインドフルネスの状態になり、「感謝する相手にかけたい言葉」を探していきました。
すると、私の中でイメージが展開されます。
父のお腹にしがみついている、小さな私。
小さな私は、「パパ。私もパパが大好き」と言っている。
言いながら、父のお腹に、ギューッとしがみつく。
まるで、大きなトトロのお腹にしがみついているみたい。
私は、マインドフルネスの状態になり、改めて父に言葉をかけます。
パパ。私もパパが大好き。
父に声をかけると、小さな私と父の姿が、光の玉に覆われていきます。
温かい光に包まれていく。
父の愛を全身で感じることができました。
こんなにも愛情をかけてもらってきたのに、これまで全く気づかなかった。
父の愛を「施し」だと思っていたなんて。
無条件の愛って、こういうことなんだ。
ただただ、ありがたい。
涙が止まりませんでした。
私は、父の真の愛に気づき、満たされた思いのまま、しばらく時間を過ごしました。
父の愛に気づけなかったのは私のせい
父の愛情は、私が小さい頃から、私に注がれていました。
そのことに全く気づかなかったのは、私が「私は誰からも愛されない、ダメな人間」と信じ込んでいたからです。
でも、ここにきて、父の愛情を素直に受け入れることができたのは、母の激烈な愛情に気づいたことが影響しています。
母が、私には受けとめづらい、激しい形で、愛情を注いでくれていたことに気づいた結果。
「残念なところはいろいろあるけれど、私は愛されてもよい存在なのかもしれない」と思えるようになったのです。
つまり、「愛情を注がれる価値はない」と信じ込んで、自分を閉ざしていたフタが、パカッと開いたんですね。
さらに、母から否定的な言葉をかけられ、疎外されながらも、私が精神疾患などを発症することなく、しぶとく生きてきたこと。
父が愛情を注いでくれたお陰だということにも、改めて気づきました。
※母の激烈な愛情に気づいたという記事は、こちら。
このエクササイズを行った2か月後、父が亡くなりました。
父には、心を込めた恩返しをすることができませんでした。
でも、「パパ、ごめんね」と言うと、「気にすんな~」と父が笑っている気がします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
続きはこちら。両親が天国で幸せに暮らしていると実感することで、両親の死を受け入れることができました。