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考え方のクセが自分の首を絞めていた【私が自分を生きるまで③】

2024年2月22日

母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。

「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。

 

努力の過程で、母への怒りがなくなった!!

それなのに、「周りの人すべてが私を許しても、私だけは、私を許さない!」という、激しい怒りがメラメラと!

私が苦しい思いをするとき、その根底にあるものが、明らかになっていきます。

 

固まった心をほぐすには、環境が必要

自分を責める状態で凝り固まる

初めての「集中内観」を終えた後、母への怒りがなくなり、晴れやかな気持ちになりました。

ところが、しばらく経つと、自分で自分を責める状態が、いっそう激しくなりました。

 

ダメな私を、世界中の人が受け入れてくれても、私は、ダメな私を、決して受け入れない!

 

地獄の業火で焼かれるような苦しみ。

あまりにもツラくて、何とかしたくて。

5年の間に、集中内観へ10回、通いました。

 

「集中内観」とは、6泊7日で、自分自身と身近な人との関係を見つめ直し、自己理解を深める心理療法です。

「集中内観」について、詳しくは、こちら。


 

3回目の集中内観で、「私なりに頑張っているんだから、まあ、それはそれで、いいんじゃない」と、考える部分が出てきたものの……。

「こんなダメな人間を、許してなるものか!」という部分が、相変わらず、強いのです。

 

凝り固まって、何ともしようがない感じ。

10回目の集中内観まで、同じような状態が続きます。

 

安心できる環境との出合い

私が、相も変わらず、七転八倒の苦しみを味わっていたとき。

内観療法の勉強会で、信州内観研修所の所長、中野節子先生に出会いました。

出会った瞬間、「この人なら!」と、自分でも驚くほどの確信。

そして、信州内観研修所で、11回目の集中内観をおこないました。

 

信州内観研修所の所長中野節子先生は、凝り固まった心をほぐすための環境を、私に与えてくれました。

集中内観にきた人が、最大限の効果を得られるように、中野先生は、さまざまな工夫をしています。

たとえば、面接者として面接をするときも、私の報告に笑ったり、「それって、どういうこと?」と質問したり。

 

それまでの内観研修所では、集中内観ならではの特定の型を守り、そこから外れることはありませんでした。

内観で調べたことを報告する際にも、お地蔵さんのように、じっと私の話を聞く面接者ばかり。

会話になることは、ほとんどなかったのです。

 

中野先生は、「勝手にいろいろやるから、伝統的な内観研修所の人からは、嫌がられちゃうのよね」と、おっしゃいます。

ですが、柔軟に対応してくれるところ、温かい雰囲気が、私にはフィットしたのです。

 

固まった心をほぐすには、そのための環境が必要です。

悟りを開いたブッダのように、自分一人で、心を解放することができる人もいます。

でも、ほとんどの人は、凝り固まった心をほぐす作業を、一人でやりとげることはできません。

温かく包んでくれる環境が大切なんです。

 

書き出すことで、「考え方のクセ」に気づく

 

中野先生の工夫の中でも、私にピタッとはまったのが、「記録内観」

 

「記録内観」は、

調べる対象(相手)に対して、

年代を区切って

「してもらったこと」、「して返したこと」、「迷惑をかけたこと」という3つの質問を調べ、

紙に書き出す

といったものです。

 

通常の集中内観では、調べたことをメモしてはいけない決まりになっています。

定期的に訪れる面接者に、ただ口頭で報告して、おしまい。

 

「記録内観」に取り組むうち、私は、あることに気づきました。

現実にあることを、ねじ曲げて考えているのは、私だ。

 

頭の中で考えているときは、右から左へと流れて、消えていく考え。

でも、「ノートに書き出す」という作業を加えることで、自分の考えに、気を留めることができたのです。

 

たとえば、「相手にあいさつをしたとき、相手があいさつを返さなかった」という出来事があったとき。

「私のことが嫌いだから、私にあいさつをしないんだ」と、ねじ曲げて考える。

次に、その相手に会ったときには、相手をおもむろに避ける。

 

私が怒ったり、傷ついたりすることの根底に、「事実をねじ曲げて考えるクセ」があることが、ハッキリしました。

 

そして、両親に対しても、ねじ曲がった考えを持っていました。

母は、責任感が強いから、私のようなダメ人間でも、愛情を注いでくれた。

父は、人徳のある人だから、私のようなダメな人間でも、愛情を注いでくれた。

 

だから、両親に感謝はできても、自分が愛されるに値する人間であるとは、思えなかったのです。

 

「考え方のクセ」には、パターンがあった

 

中野先生のもとで、集中内観を終えた私は、「日常内観」に取り組みました。

「日常内観」とは、6泊7日の集中内観を終えて日常生活に戻っても、毎日、内観を続けることです。

 

通常の「日常内観」は、集中内観でおこなったのと、ほぼ同じやり方で行われます。

毎日、ある特定の人物(母、父など)に対して、生まれたときから年代を区切って、3つの質問について調べていく、というもの。

でも、これだと、「前にやったことあるじゃん」という感じ。

目新しい発見がなく、私は三日坊主で終わっていました。

 

ところが、中野先生の「日常内観」は、オリジナル。

「毎日、出会う人」に対して、「3つの質問について調べる」というもの。

 

たとえば、

  • してもらったこと:職場の人から、お菓子をもらった。
  • して返したこと:息子と夫の服を洗濯した。
  • 迷惑をかけたこと:夫が洗い物をしてくれなかったことで、夫を怒鳴りつけた。

 

しかも、「日常内観」を、中野先生宛に、メールで送ってもOK。

毎日、メールで送る「日常内観」に、中野先生からの返信はありません。

でも、中野先生が読んでくれるというだけで、続ける意欲がわいてきます。

 

「日常内観」を半年ほど続けたある日。

私は、「考え方のクセ」のパターンに気づきました。

 

私が、だれかに迷惑をかけるとき。

事実をねじ曲げて考えるクセが、4パターンあるのです。

 

①だれも、私の話を聞いてくれない。

②だれも、私の話を理解してくれない。

③私が大変なときには、だれも、私を助けてくれない。

④私と一緒にいると、みんな、不愉快になる。

 

そして、その根底に、「やっぱり私は要らない子」という考えがあることにも、気づきました。

 

私がつらい思いをするのは、これだったんだ!

自分で自分の首を絞めていたんだ!

 

私が次に取り組むのは、「考え方のクセ」のパターンを解きほぐすこと、に決まりました。

 

私が、中野先生のもとで「日常内観」に取り組んだのは、約9年間でした。

その間、月1回ほど、中野先生が主催される「一日内観」に参加したり、信州内観研修所で数回「集中内観」に取り組んだり。

自己探求に励みました。

「一日内観」とは、一日かけて、自分自身と身近な人との関係を見つめ直し、自己理解を深めるもの。6泊7日で行われる「集中内観」の短縮版のようなものです。

 

内観を通して、次第に楽になっていったのですが、どうしても手の届かない領域があることにも気づきました。

執念深い私の自己探求は続きます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

続きはこちら。集中内観で、自分らしさを目の当たりにしたのですが……。


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