考え方のクセが自分の首を絞めていた【私が自分を生きるまで③】
母から否定的な言葉をかけられて育ち、「自分は要らない人間だ」と信じ込んで生きてきた私。
「自分を生きる」ために、努力を重ねていきます。
努力の過程で、母への怒りがなくなった!!
それなのに、「周りの人すべてが私を許しても、私だけは、私を許さない!」という、激しい怒りがメラメラと!
私が苦しい思いをするとき、その根底にあるものが、明らかになっていきます。
固まった心をほぐすには、環境が必要
自分を責める状態で凝り固まる
初めての「集中内観」を終えた後、母への怒りがなくなり、晴れやかな気持ちになりました。
ところが、しばらく経つと、自分で自分を責める状態が、いっそう激しくなりました。
ダメな私を、世界中の人が受け入れてくれても、私は、ダメな私を、決して受け入れない!
地獄の業火で焼かれるような苦しみ。
あまりにもツラくて、何とかしたくて。
5年の間に、集中内観へ10回、通いました。
※「集中内観」とは、6泊7日で、自分自身と身近な人との関係を見つめ直し、自己理解を深める心理療法です。
※「集中内観」について、詳しくは、こちら。
3回目の集中内観で、「私なりに頑張っているんだから、まあ、それはそれで、いいんじゃない」と、考える部分が出てきたものの……。
「こんなダメな人間を、許してなるものか!」という部分が、相変わらず、強いのです。
凝り固まって、何ともしようがない感じ。
10回目の集中内観まで、同じような状態が続きます。
安心できる環境との出合い
私が、相も変わらず、七転八倒の苦しみを味わっていたとき。
内観療法の勉強会で、信州内観研修所の所長、中野節子先生に出会いました。
出会った瞬間、「この人なら!」と、自分でも驚くほどの確信。
そして、信州内観研修所で、11回目の集中内観をおこないました。
信州内観研修所の所長、中野節子先生は、凝り固まった心をほぐすための環境を、私に与えてくれました。
集中内観にきた人が、最大限の効果を得られるように、中野先生は、さまざまな工夫をしています。
たとえば、面接者として面接をするときも、私の報告に笑ったり、「それって、どういうこと?」と質問したり。
それまでの内観研修所では、集中内観ならではの特定の型を守り、そこから外れることはありませんでした。
内観で調べたことを報告する際にも、お地蔵さんのように、じっと私の話を聞く面接者ばかり。
会話になることは、ほとんどなかったのです。
中野先生は、「勝手にいろいろやるから、伝統的な内観研修所の人からは、嫌がられちゃうのよね」と、おっしゃいます。
ですが、柔軟に対応してくれるところ、温かい雰囲気が、私にはフィットしたのです。
固まった心をほぐすには、そのための環境が必要です。
悟りを開いたブッダのように、自分一人で、心を解放することができる人もいます。
でも、ほとんどの人は、凝り固まった心をほぐす作業を、一人でやりとげることはできません。
温かく包んでくれる環境が大切なんです。
書き出すことで、「考え方のクセ」に気づく
中野先生の工夫の中でも、私にピタッとはまったのが、「記録内観」。
「記録内観」は、
調べる対象(相手)に対して、
年代を区切って、
「してもらったこと」、「して返したこと」、「迷惑をかけたこと」という3つの質問を調べ、
紙に書き出す
といったものです。
通常の集中内観では、調べたことをメモしてはいけない決まりになっています。
定期的に訪れる面接者に、ただ口頭で報告して、おしまい。
「記録内観」に取り組むうち、私は、あることに気づきました。
現実にあることを、ねじ曲げて考えているのは、私だ。
頭の中で考えているときは、右から左へと流れて、消えていく考え。
でも、「ノートに書き出す」という作業を加えることで、自分の考えに、気を留めることができたのです。
たとえば、「相手にあいさつをしたとき、相手があいさつを返さなかった」という出来事があったとき。
「私のことが嫌いだから、私にあいさつをしないんだ」と、ねじ曲げて考える。
次に、その相手に会ったときには、相手をおもむろに避ける。
私が怒ったり、傷ついたりすることの根底に、「事実をねじ曲げて考えるクセ」があることが、ハッキリしました。
そして、両親に対しても、ねじ曲がった考えを持っていました。
母は、責任感が強いから、私のようなダメ人間でも、愛情を注いでくれた。
父は、人徳のある人だから、私のようなダメな人間でも、愛情を注いでくれた。
だから、両親に感謝はできても、自分が愛されるに値する人間であるとは、思えなかったのです。
「考え方のクセ」には、パターンがあった
中野先生のもとで、集中内観を終えた私は、「日常内観」に取り組みました。
「日常内観」とは、6泊7日の集中内観を終えて日常生活に戻っても、毎日、内観を続けることです。
通常の「日常内観」は、集中内観でおこなったのと、ほぼ同じやり方で行われます。
毎日、ある特定の人物(母、父など)に対して、生まれたときから年代を区切って、3つの質問について調べていく、というもの。
でも、これだと、「前にやったことあるじゃん」という感じ。
目新しい発見がなく、私は三日坊主で終わっていました。
ところが、中野先生の「日常内観」は、オリジナル。
「毎日、出会う人」に対して、「3つの質問について調べる」というもの。
たとえば、
- してもらったこと:職場の人から、お菓子をもらった。
- して返したこと:息子と夫の服を洗濯した。
- 迷惑をかけたこと:夫が洗い物をしてくれなかったことで、夫を怒鳴りつけた。
しかも、「日常内観」を、中野先生宛に、メールで送ってもOK。
毎日、メールで送る「日常内観」に、中野先生からの返信はありません。
でも、中野先生が読んでくれるというだけで、続ける意欲がわいてきます。
「日常内観」を半年ほど続けたある日。
私は、「考え方のクセ」のパターンに気づきました。
私が、だれかに迷惑をかけるとき。
事実をねじ曲げて考えるクセが、4パターンあるのです。
①だれも、私の話を聞いてくれない。
②だれも、私の話を理解してくれない。
③私が大変なときには、だれも、私を助けてくれない。
④私と一緒にいると、みんな、不愉快になる。
そして、その根底に、「やっぱり私は要らない子」という考えがあることにも、気づきました。
私がつらい思いをするのは、これだったんだ!
自分で自分の首を絞めていたんだ!
私が次に取り組むのは、「考え方のクセ」のパターンを解きほぐすこと、に決まりました。
私が、中野先生のもとで「日常内観」に取り組んだのは、約9年間でした。
その間、月1回ほど、中野先生が主催される「一日内観」に参加したり、信州内観研修所で数回「集中内観」に取り組んだり。
自己探求に励みました。
※「一日内観」とは、一日かけて、自分自身と身近な人との関係を見つめ直し、自己理解を深めるもの。6泊7日で行われる「集中内観」の短縮版のようなものです。
内観を通して、次第に楽になっていったのですが、どうしても手の届かない領域があることにも気づきました。
執念深い私の自己探求は続きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
続きはこちら。集中内観で、自分らしさを目の当たりにしたのですが……。