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「どうして人を殺してはいけないの?」という息子の発言から、善悪の根源にあるものを考える

2023年8月19日

「善悪」とは何か?

答えることが、なかなかに難しいテーマですよね。

今回は、中学生の息子とのやり取りから、「善悪の根源にあるもの」について考えてみました。

 

どうして人を殺してはいけないのか

人を殺すことは善か悪か

「どうして人を殺してはいけないの?」

あるとき、中学3年生だった息子が言い出しました。

中学生あるあるな発言ですね。

 

夫は「人を殺すことは倫理に反するからだ」と持論を展開します。

息子は「じゃあ、自分を殺すのはいいの?」と返し、二人でけんけんがくがく。

なんだか空気が悪くなっていきます。

 

あなただったら、どう答えますか?

 

正直なところ、正解のない問いなので、答えに困りますよね。

世界中の賢い人たちが、「どうして人を殺してはいけないのか」という問いに、さまざまな答えを出しています。

 

私は、そうしたさまざまな知見をもとに、勝手に考えていたことがあったので、試しに、息子に伝えてみることにしました。

 

「人を殺すことが良いか、悪いかは、状況によって違うよ」

 

街の中で、表情1つ変えずに、次々と何人もの人間を殺していく人がいたら、どう思う?

恐ろしいよね。

きっと歴史に残る連続殺人鬼として、語り継がれると思う。

 

でも、戦争の最中に、表情1つ変えずに、次々と何人もの敵を殺していく人がいたら、どう思う?

感動するよね。

きっと歴史に残る英雄として、語り継がれると思う。

 

やっていることは全く同じなのに、一方は殺人者で、一方は英雄。

悪人と善人。

状況が違えば、全く違ってくる。

 

人を殺してはいけないことの根本にあるもの

「じゃあ、状況が許せば、人を殺してもいいってこと?」

 

「う~ん、そういう訳にはいかないんだよね」

 

本で読んだのだけど、どの国でも、どの地域でも、共通して禁じられていることが、2つある。

1つは盗み、1つは殺人。

 

「どうしてだと思う?」

「自分がされると嫌だから」

「そう、その通り!」

 

大切に蓄えた食べ物や財産を盗まれると、自分が嫌な思いをする。

自分や大切な人が誰かに殺されたら、同じく、自分が嫌な思いをする。

嫌な思いをすることを避けたいから、「盗みと殺しは、してはいけない」というルールを決める。

ルールを遵守することで、自分の身を守る。

 

それに、私にとって、あなたは、大切な息子。

あなたが、あなたの命を自分で断つのは、とっても嫌。

だから、絶対にやめてほしいと思う。

 

「イヤだ」という自分の感覚が、ルールの根本にある。

 

「な~んだ。結局、人を殺しちゃいけないっていうのは、自分の気持ち優先なのか。自己中じゃん」

「そうだよ」

「でも、『嫌だから、人を殺してはいけない』って言うほうが、納得がいく。本音っていうか、嘘がないっていうか」

 

「殺人は倫理に反する」という言葉に潜むもの

「じゃあさ、『人を殺すのは倫理に反する』、なんて偉そうなことを言うのは、なんで?」

 

「『自分が殺されるのが嫌だから、人を殺してはいけない』って言うのは、あまりにも正直すぎて、身も蓋もないじゃない。『倫理に反する』ぐらい、高尚で、美しい言葉ほうが、人の心を惹きつけるんだよ」

 

これまた、本で読んだのだけど、ホモサピエンスが他の類人猿を押しのけて世界に君臨した理由。

他の類人猿にはなかった特徴があったから。

それは、「ストーリー」をつむぎ出す力。

 

獲物をとらえる英雄の話をすることで、自分もそうなりたいというモチベーションを高める。

この世にない神秘的な力について語ることで、仲間内の結束力を高める。

素晴らしい未来について語ることで、明日への夢や希望を駆り立てる。

 

集団に属する人たちをその気にさせ、特定の行動へ駆り立て、集団の結束力を高めるために使われたストーリー。

集団に属する人数が多くなればなるほど、より壮大なストーリーが必要になる。

だから、「倫理」とか、「人の道」とかいう、美しく、荘厳なストーリーを作り上げる。

そして、「人を殺すのは倫理に反する」というストーリーをかかげ、大きな集団の治安を守ることに成功した。

 

ストーリーが集まって、巨大な力を持ったのが、宗教。

ほかに、資本主義、民主主義、社会主義。

お金もそう。

「お金にはこんなにも価値がある」というストーリーがあるから、みんなそれを信じて、ただの紙きれや金属で作ったものを、後生大事にしている。

 

ここまで話すと、息子は「なんか、納得した」と、自室へ戻っていきました。

 

善悪の根源にあるもの

そもそも、善悪とは何か。

あなたは考えたことがありますか?

私は、息子とのやり取りを通じて、考えこんでしまいました。

 

「人を殺すこと」。

これは、普通の環境であれば、「悪」。

ですが、戦争という状況下においては、「善」になります。

 

賢いあなたなら、もう、お分かりでしょう。

この世に、絶対的な善も、絶対的な悪もないのです。

 

では、善と悪は、何から生まれたと思いますか?

神様が決めた?

偉い人が決めた?

 

私は、一人ひとりの「好き」と「嫌い」から生まれたと感じています。

 

人殺しは、嫌い。

だって、人殺しをOKにしたら、自分や家族、親しい人たちがいつ殺されるか分からなくて、恐ろしいもの。

 

多くの人が「嫌い」と思えば、それは「悪」へと昇華します。

 

でも、戦争で敵を殺してくれる人のことは、好き。

憎い敵を一掃して、戦争に勝ったら、気分は晴れやか。

敵から奪った財産や土地があれば、今の暮らしはもっと楽になって嬉しい。

 

多くの人が「好き」と思えば、それは「善」へと昇華します。

 

「悪」や「善」は、ルールを生み出し、それが集まると、法律や常識になります。

法律や常識も、ひとつのストーリー。

法律や常識にのっとり、人々は、多くの人が「嫌い」と感じる言動を避け、多くの人が「好き」と感じることを行うようになります。

そのため、国のような大きな集団でも、秩序を保つことができるのです。

 

世の中には、たくさんの「善悪」があります。

法律、常識ほど大きくなくても、その集団に特有な「暗黙のルール」とか。

世の中の秩序を守るために、大小さまざまな「善悪」が、張りめぐらされているのです。

 

ただし、世の中に根づいた「善悪」は、時代とともに、そこに暮らす人々の「好き嫌い」と合わなくなることがあります。

また、「善悪」は、多数派の幸福を目指すものなので、少数派の「好き嫌い」とは、ズレていきます。

 

少数派の個性をもつ私は、ときどき、息苦しくなることがあります。

たぶん、私の「好き嫌い」という感覚とは違ったことを、世の中の「善悪」として、押しつけられるから。

 

世の中の「善悪」と、自分の中の「好き嫌い」。

一人ひとりの「好き嫌い」を根源とする「善悪」ですが、場合によっては、自分の「好き嫌い」とは、違っていることもある。

そんなときに、どう折り合いをつけていくか。

いやはや、難しい。

 

だから、世の中の「善悪」と、自分の中の「好き嫌い」とのギャップが見えてきた少年少女たちは、「どうして人を殺してはいけないの?」と、問うのかもしれません。

 

 

息子に伝えた一連の話。

夫にも話してみたのですが、「一種の詭弁だな」と言われて、おしまい。

たしかに、「死」については、たくさんの賢者が、さまざまな見解を説いています。

「まあ、こんな意見もあるんだな」ぐらいに、お考えください。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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